壱
学校からの帰り道。まだ夕刻、西の空には沈みかけの太陽が残っている。今にも振り出しそうだった空には、今は雲一つない。
「辛いか、雷児?」
「いや、それほどでもないよ。もう自分で歩けそうだ。降ろしてくれるかい?」
「まだええー。このまま背負われちょったまま、耳貸してくれ」
自分よりもずっと小柄な女の子に背負われたデカい図体の男に、街ゆく人々は好奇の目を向ける。かなり恥ずかしいのだが、煌火はオレをしっかりと背負ったまま、そんな事少しも気にしていない様だった。
「ウチな、雷児に足らんもん、それがよぉわかったんよ。体、それは立派な鬼の体じゃ。戦うに相応しい鬼のもんじゃ。そりゃ心配でんでええ。その体をどぉ使うんかはウチが教えちゃるけぇ、えーんじゃがのぉ」
「うん」
「もっと大事なんわ、心じゃ。雷児は優し過ぎるんじゃ。野球は殺し合いじゃけぇ、優しさは時に自分の身を危うする。雷児にゃ、無慈悲で狡猾な鬼になってもらわにゃーいけん。優しいんわ、ウチに対してだけで十分じゃ」
「じゃあ、どうすればいいんだ?」
「ウチに心当たりがある。これからそこへ行くんじゃ」
結局、その目的地につくまでオレは煌火に背負われたまま、降ろされたのは大きな門を持つ、広大なお屋敷の前だった。
「ここは?」
「北鬼の道場じゃ。北鬼ゆぅんわ現代鬼修道宗家、北鬼羅閻の事で、ここは北鬼羅閻の屋敷でもあり道場でもあるんじゃ」
煌火はインターフォンを乱暴に何度か鳴らし、応対を待っている。
「知り合いなの? オレたちが尋ねるって事、言ってあるの?」
「まるで知らん。ウチらが来るゆぅんも、知らんじゃろぉ。なにせ、さっき思いついたばかりじゃけぇ」
「え、でも、それじゃ」
その時、インターフォンから応える声が聞こえた。
「はい。どちらさまでしょう?」
「〈南の炎鬼〉と〈東の雷鬼〉のお越しじゃ。〈北の水鬼〉北鬼羅閻さんにお会いしたいんじゃが、ここ、開けてくれんかのぉ?」
「羅閻は生憎留守にしていますが」
「ほいじゃ、ここで待たしてもらいますけぇ」
それだけ言うと煌火は門にどっかりと腰を下ろし、オレにも座るよう促した。
「いいの? そんな偉い人、突然来て会ってくれるかな?」
「突然じゃけぇ、ええんじゃ。そのほうが、会ぉーてくれるかもしれんじゃろぉ」
「そもそも何、その鬼修道って?」
「ほぅじゃのー、鬼の鬼としての心を鍛え、そして鬼剣術を磨く、言うてみれば人間のやる武道の様なもんかのぉ」
「それを、オレが?」
「雷児にゃ鬼の心、取り戻して欲しいからのぉ。さっき言ぅた優しさ捨てるんわ、鬼修道が一番じゃろぉ思うたんじゃ」
そんなやり取りをしていると、門の脇の勝手口が開き、一人の鬼の少女が顔をみせた。
細見でスラリと伸びた長身。陽の光にツヤツヤと輝く黒く長いストレートの髪、艶やかに輝く肌、頭のてっぺんには黒い一本の角がギラリと鋭く光っている。
整った美しい顔には冷たい無表情が張り付き、光を映さない黒い瞳は漆黒の闇の様で、オレは背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
鬼としての恐ろしさ。煌火とは違う、静かで冷たい恐怖。
「そんな所で待たれても困ります」
その鬼少女は、ニコリともせずに、心底迷惑そうに言い放った。
「アンタが北鬼羅閻さんかぁ?」
「羅閻は留守だと言ったはずです。羅閻の留守中に勝手な事をされては、私が叱られてしまいます」
「ほいでも、おらん言われて、すぐに諦めるちゅーわけにはいけんしのぉ」
「一体、羅閻に何の用です?」
「ここに来たゆぅんわ、目的は一つじゃろぉ? 鬼修道、学ばせて欲しいんじゃ」
鬼少女の目が、スゥッと細まり、顔に酷薄さがいっそう増す。
「あなたが学びたいというのですか?」
「ウチじゃのぉーて、こっちじゃ。鬼東雷児じゃ」
「鬼東雷児…」
「〈東の雷鬼〉、鬼東雷太の一人息子じゃ。〈東の雷鬼〉の名を名乗れるんわ、この雷児の他はおらん」
「鬼東雷児さんの事は存じております。〈南の炎鬼〉を名乗るあなたは、鬼南煌火さんですね?」
「なんじゃ、ウチらもそれなりに名前、知られとるよぉじゃのぉ!」
「鬼の中で、あなた方は有名人ですから。もっとも私、野球なんて下衆なスポーツにはまったく興味はありませんけれど」
その言葉に煌火の赤い瞳がギラリと光った。かなりイラついているぞ、煌火のヤツ。
「ほーか、わかったわ。アンタ、北鬼瀬羅じゃな、北鬼羅閻の娘の。なんでも、十六歳にして次期家督継承者に選ばれったちゅー優秀な女で、えらいべっぴんさんじゃとの噂も聞いちょったが。なんの、よぉー見たらボラみたいにキラキラしちょるだけじゃのぉー」
「ご存じいただいて下さって光栄ですわ。赤鬼さん」
「お、おどりゃーっもう一度、赤鬼、言うたら、ただおかんけぇのぉー!」
しかし、この二人、初対面なハズなのに、相性が悪過ぎだろう?
角を突き合わせ一触即発、今にもバトルになりそうな二人を前に、オレはただオロオロするばかりで、どうして良いのか見当もつかない。




