拾陸
まるで小枝を払うかのように、造作もなく吹っ飛ばされたオレ。
かすれる視界は、喜ぶ巨人の姿を捉える。
「ぐっほ、ぐっほ!」
アウトに出来たのが余程嬉しかったのだろう、巨人は一塁で小躍りしていた。煌火は鬼の形相でそんな巨人にゆっくりと近づくと、ゴウゴウと燃え盛る炎に包まれた右腕を、自分の頭くらいにある巨人の腹に思い切り打ち込んだ。
「ひんぎぃぃーーーっ!」
ズッドーーーン!
腹を突き破らんばかりの猛烈なパンチ! 巨人は悲痛な叫びと共に、ライト前まで吹っ飛ばされてしまった。パンチを食らった腹からはもうもうと煙が上がり、口から泡を吹き、白目を剥いて完全にグロッキーだ。
「え、え、えーーーっ?」
あ、あの巨人をっ! 五百キロを超える巨体をあそこまで!
でも、何で?
誰しもが唖然とする中、煌火は当たり前だと言わんばかりに、大きく叫んだ。
「ええかーーーっ! 雷児はウチの大事な人じゃけぇー、雷児ぃに手出したら、ウチがしごぉするけぇーのー! よぉー憶えとくんじゃー!」
正直、全員が驚愕し、そして困惑していた。もちろん、オレも。
こちらの世界の野球では、巨人のやった事はルール違反でも何でもない、全く普通の事なのだ。煌火のヤツ、その巨人を情け容赦なくぶっ飛ばした。
まったくの私怨で。
「お、おい、ちょっと待て、鬼南。お前、それはいくらなんでも……」
「かばちたれんなやっ! どげぇな言い訳もウチの耳にゃー入らんけぇー」
そう言うと煌火はオレの所まで駆け寄ってくると、嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑った。
「ナイスプレイ! ほんま、えーファイトじゃったぁ」
それから煌火は軽々とオレを背負うと、涼しい顔でグランドを出た。
「ほいじゃー、ウチラはこれで、いぬるけん」
「ちょっと待て、鬼南! まだ練習、終わってないんだけど?」
「ウチ、はよー風呂、入りたいんじゃ。まだ、臭いのが残っちょるけぇの。ウチ、きしゃないのはイヤなんじゃ」
「わ、わかった。好きにしろ」
ブライアン先輩は溜息を漏らす。
オレを背負った煌火がグランドから出た所に、大牙八裂が駆け寄ってくる。
「でしたら姐さん、アタシがカバン持っていきますんで。お供します!」
「オマエはええ。練習しとけ」
「え、何でですか? アタシはいつも姐さんと…」
煌火の目に火が宿った。思わず大牙がビクリと身を縮める。
「ワン子、おどれ、ウチが糞に塗れとる時、何しちょった?」
「え、いや、あれは」
「ウチに何かあったら、すぐに駆け付ける違うんか?」
「す、すいませんっ! あ、あの、言い訳させていただけるなら、アタシらの鼻は人間の一億倍の嗅覚がありますんで、その、あの時の臭いときたら、そのー」
「ウチが臭ぉーて、近づけんかったゆーんじゃなぁ?」
「いや、それは、その」
「今はどうじゃ? 今でも臭いか? 嘘ゆーたら、たたじゃ済まんからのぉ?」
「い、今でも臭いです。思いっきり糞と小便の、くっさ―い臭いに包まれています」
「おどりゃー、いねぇやーーーーっ!」
大牙は可哀相に、キャンキャン言いながら逃げていった。
そして煌火はグランドを出る際にもう一度振り向き、鼓膜が破れる程の大声で吼えた。
「ええかぁー! いずれホンマの鬼の恐ろしさ見せてやるけぇ、楽しみにしとけぇ! もちろん、ウチと雷児、二人でじゃーっ!」
何ともいたたまれない雰囲気など気にするでもなく、煌火は振り返りオレに微笑んだ。
鬼とも思えない、思いっきり素敵な笑顔で。




