拾伍
グランドではオレたちを待ちかねていたらしく、ブライアン先輩がポジションについている先輩たちにノックをしている最中だった。ごく普通の野球の風景だったが、ボールを無造作に掴んだファーストのマルゥマ先輩の手の中で、ボールが爆発していた。
叫び声を挙げるマルゥマ先輩に、ブライアン先輩は容赦なく怒鳴りつける。
「よくボールを見てから取れ! 敵がどんな細工してくるかわからないんだぞ? いまのなんてちょっと見れば爆弾だとわかるだろっ!」
いや、わからないって!
オレは改めてこの世界の野球の怖さを知る。本当にオレは、この世界ですら畏れられた〈東の雷鬼〉鬼東雷太の様になれるんだろうか?
「よし! 鬼南たちも帰って来た事だし、さっきの続きをやるぞ!」
「先輩、今度はウチが投げますけぇ」
「お前、制服に着替えてるじゃないか、いいのか?」
「構わん。あと、雷児も打席に立たせてもらいますけぇのぉ」
「ああ、いいとも。ではパテキシュスキー、打席に立つんだ」
「ぐもぉ」
「いいか? ここに立って、あいつの投げた球をこの棒で打ち返す、わかったか?」
「ぶも」
そんな様子を、煌火が腹を抱えて笑っている。
「そいつはとんだぽんすーじゃのぉ。そがーなヤツに野球は無理じゃろぉ」
「ぐもぉーー!」
さすがに悪口を言われている事はわかるらしい。巨人パテキシュスキー・スメヤガラが煌火に敵意を剥きだしにして怒っている。
「おぉ、ようやくえぇ顔になってきたのぉ。ほーしたら行くけぇ」
煌火は普通に手投げでボールを投げる。本気は出す気は無いみたいだ。打ちごろのボールではあったが、大振りした巨人のバットは空を切った。
「ヒャーッハハハ、そがーなスイングしとったら、何千年たっても当たらんわい。デクノボーが!」
「ぐっもーーーっ!」
怒りまくる巨人。二球目はかろうじてバットにあたり三塁前に。サードのブライアン先輩が叫ぶ。
「パテキシュスキー、走れ! 一塁へ走るんだ! ファーストを潰さないと、お前はアウトだぞーっ!」
その言葉にようやく一塁へ向かう巨人。遅い。アルゥマ先輩はタッチプレーを避け、サードからの送球を受け次第さっさと逃げる算段だ。
それもそのはず。身長4メートル体重500キロを超える巨体である。それが鈍足とはいえ、一応全速力で突っ込んでくる。ここは当たり前にホースプレイでアウトだけ取るのが正解だろう。
けれど余程あせったのか、アルゥマ先輩は何でもないサードからの送球を落としてしまい、慌てて拾いなおした。しかしその隙に一塁へ突進してきた巨人に体当たりされ、挙句その巨体の下敷きになってしまった。
ブチッという何かが潰れる様な嫌な音と悲痛な叫び声とともに、アルゥマ先輩はパテキシュスキーの体の下で、ピクリとも動かなくなってしまった。しかしながら、天晴な事にボールは離しておらずホースアウトとなった。
しかし、みんな唖然とするばかりだ。アルゥマ先輩とて、身長3メートル弱、体重200キロの巨体なのだ。それをあそこまで完璧に潰してしまうとは。
巨人パテキシュスキー・スメヤガラ、恐るべきサイズとウェイトだ。
結局、気絶したままアルゥマ先輩は目を覚まさず、そのまま巨人がファーストの守備に入る事になった。
「いいか? お前はとにかく投げられたボールを取り、走ってくるやつを殴り倒せ。取り敢えずそれだけ出来ればいいから」
ブライアン先輩が身振り手振りで懸命に説明しているが、当の巨人が理解したのかどうか。
そしてオレの打席だ。グランドの緊張感が一気に引いていくのがわかる。コイツは楽勝、そういう事だろう。もう誰もオレに期待していないという事だ。
煌火は軽く頷くと、今度はちゃんと振りかぶってボールを投げ込んできた。ド真ん中のボール、オレはあえて見逃した。
凄く速い、伸びのあるいいボールだ。140キロは軽く出ているんじゃないか? オレの世界で女子がこんなボールを投げる事が出来たなら、それこそマスコミ、球界を上げて大騒ぎになるだろう。
しかし、煌火は鬼、ここは化物の世界。こんなボール、バッピーの投げる打ちごろのボールというわけなのだろう。
それならば、そのボール、完璧に打ち返してやる。今オレに出来る事をする。オレの中にも本物の鬼がいるというのなら、いつか、そいつを引きずり出してやる。そのためにもオレは死に物狂いで野球と向き合うしかない。
煌火の投げた二球目、内角を抉る速球、オレはそれを完璧に捉え、ライトフェンスを軽々と越してやった。僅かにファールだったが、それは意図しての事。
煌火がニッと笑った。こんな事、当たり前だろう。そういう顔だ。そして、今度は深く頷いた。わかっている。この世界で野球をやる以上、絶対に避けては通れない道。
振りかぶる煌火。三球目ももちろん速球。オレはバントで少し強めに三塁前に転がすと、猛然と一塁へダッシュした。
今、ファーストは巨人だ。オレがいくら全力でぶちかまそうとビクともしないだろう。けれど、そういう事ではない。大事なのは、オレがファーストを殺してでも塁を奪いたいかどうか。
そうなんだろう、煌火?
巨人は足をベースから離し、ブライアン先輩の送球を取る事に一生懸命だ。さっきのアドバイス、どうやら理解したのだろう、タッチプレーに持ち込むつもりだ。
ならばオレは、そのタッチを掻い潜り、ヤツの腹に頭から突っ込んでやる。この頭の角を、ヤツの腹に突き立ててやる!
巨人は危なげながら送球をキャッチすると、オレに正対し待ち構えた。オレは構わず突っ込む。巨人のタッチは緩慢で、上手く避けられた。オレは体よく腹に頭から突っ込めた。けれど、出来たのはそれだけ。
巨人の腹は岩の様に固く、オレは脳天に激しい衝撃を受け、目の前が真っ暗になった。
その瞬間、巨人のタッチプレイ、要は猛烈なアッパーカットを腹にくらい、オレの体は一塁側ベンチまで吹っ飛ばされた。
木製のベンチは木っ端みじん。激しくコンクリートの床に打ち付けられ、全身に痛みが襲い、息が止まる。
「ゲボッ!」
血ヘドが溢れる。腹が捩れそうだ。けれど、それ以上に、こんなにも不甲斐ない自分自身が悔しくて悔しくて吐き気がする。
せめて嗚咽を漏らす事だけは避けたくて、歯をギリギリと噛み締める事しか出来なかった。




