拾参
しかし、この世界の野球、何をしても良いだなんて塁に出るのも命がけだ。なにかしらルールみたいなものはないのだろうか?
オレはブライアン先輩に尋ねてみた。
「何だ、今さら? これは野球だ、格闘技ではない。ワケも無く殴りつけたりして良いわけがあるか。ただし戦いはピッチャーとバッターだけのものではない。グランドに立った時点で戦いは始まっている。直接的な接触の少ない野球の場合、牽制球は敵の選手にダメージを与える格好の機会なのだ。わざと塁に出し、そいつを潰すというのは重要な作戦の一つだ。だからこそ、ランナーのほうもそれを防ぐためのフィジカルとテクニックが不可欠なのだ」
「さっき大牙が袋叩きにされたのは?」
「立っている事、それがプレイヤーの必須条件だ。グランドに寝ているヤツは路傍の石と一緒。プレイングデッドと言って何をしたって構いやしない。殺されるのが嫌ならいつまでもグランドで寝てるな。立ち上がったものへの無差別な攻撃までは認められていない」
なるほど、一理あるような無いような。
それで、次のバッターは煌火だが。
アイツ、もし塁に出る事があったら、あのバカでかいアルゥマ先輩とどう渡り合う気だろう? 体格差は圧倒的だし、やはりタッチプレイを避けるしかないだろうな。
煌火はそんなオレの想像を、一段も二段も超えていた。
オレのストレートをバントし軽く三塁前にボールを転がすと、煌火は一塁にむかってスライディングを仕掛けたのだ。
煌火は一塁間際に思い切りジャンプすると、スパイクをアルゥマ先輩に向け、体を激しく回転させながら、突っ込んでいった。スゲェ、人間の動きじゃない! 人間じゃないけど。
タッチプレイで煌火を叩きのめす気だったアルゥマ先輩はギョッとして怯み、煌火はその左足を、ミットもろとも抉ってしまった。
吹き出す鮮血、のたうち回るアルゥマ先輩。
「ウチにお触りしよぉーゆぅんわ、千年早いんじゃー!」
一塁上で得意満面の煌火。アルゥマ先輩は、苦痛を堪え顔を顰めながら、なんとか一塁ベースについた。血まみれの手足が痛々しい。
「牽制球、せんほぉがええ。そがーな事したら、今度は腕、のうなりますけぇ」
「ち、ちくしょー! おい、鬼東! 牽制球、絶対に放るなよっ!」
アルゥマ先輩は完全にブルッている。
そして次のバッターが、巨人のパテキシュスキー・スメヤガラ。
やっぱデカい、まるで目の前に立っているみたいだ。けれどバッティングサークルになんとか両足を納め、ただ突っ立ているだけ、バットを構える素振りすら見せない。
オレは構わずボールを投げる。オレが右足を上げた瞬間、煌火が走るのが見えた。
巨人はまるで興味がないとばかりに、ボールをあっさりと見逃す。キャッチャーのRT3トリリオンJは捕るが早いか、矢の様な送球をセカンドに返した。送球があまりに早く、オレの顔を掠めたボールが頬を切ったくらいだ。
セカンドベースに入ったジュエル先輩は、その送球を捕ろうともせず、カバーに入ったセンターのブラッド先輩が慌てて捕球する。
盗塁成功と思いきや、そこに駆け込んでくるはずの煌火の姿はない。
「あれ?」
みんなが首を捻る中、ショートのジュエル先輩は満面の笑みでうなずいた。
「オー、ウマクイキマシタ! オニムスメ、キエタ、ワタシノマホウ、ダイセイコウネ」
「おい、ジュエル! 鬼南をどうした? 何をした?」
「アンナスライディング、ワタシイヤヨ。ダカラ、マホウデケシタネ。ワタシノショウメツマホウ、スゴイデショ? ハジメテセイコウシマシタ!」
「消したって、どこに消したんだ? 困るよ、鬼南はエース候補なんだから! 早く元に戻してくれよ!」
「モドス? デキナイ。ワタシニモ、ドコニキエタカ、ワカリマセーン」
「おいおい、どうするんだよ、ピッチャーいないんじゃ、全国大会どころじゃないぞ?」
ブライアン先輩が頭を抱えていると、外野フェンスの奥にある便所が突然炎に包まれた。便所は建設現場によくある小さな簡易便所で、燃え上がった炎はポリエチレン製の簡易便所など瞬時に焼き尽くし、程なく炎の中から人影がゆっくりと表れだした。
「おどりゃー、許せんけぇーのぉー! よぉーもウチを糞まみれにしてくれたのぉーっ!」
便所からドロドロに汚れた煌火が、メラメラと怒りの炎に包まれながら現れた。
「おぉー、良かった! 鬼南、無事だったか!」
ブライアン先輩は、煌火の様子など気にもせず、脳天気に大喜びだ。
「なんがええんじゃーーっ! ウチ、こげーに糞まみれになっとろぉーがぁ! なぁーんが魔法使いじゃー、先輩ゆぅーても許せる事とぉ許されん事があるけぇーのぉ!」
煌火は烈火のごとく怒りまくり、ジュエル先輩に襲いかかる。
「イヤーー! ワタシ、ヤキュウノルールヤブッテナイ! マホウ、ダメナイデショ? テキケス、ユウコウナサクセン、ワルイコトナイ!」
「おどりゃーかばちたれんなぁーっ!」
「アカオニキライ! アカオニタイサーン!」
「あ、赤鬼ゆーたんかぁーっ! 赤鬼ゆーたんは、おどれかーっ!」
どうも赤鬼というのは煌火にとって禁句の様で、全身を包む怒りの炎がいっそう激しさを増した。
オレたちは、煌火がジュエル先輩に炎の鉄拳をくらわす前になんとかしようと、煌火とジュエル先輩の間に入り、火傷を負いながらも必死で説得する。
ただでさえ少ない部員が、これ以上いなくなるのはマズい。
「ジュエルの魔法は不安定なんだ。何もわざと便所にお前を落としたわけじゃない。勘弁してやってくれ!」
「ワザとじゃのぅても、許されん事ちゅーのもがあるじゃろうぉが! おどれの口にも、糞、味合わせてやうけぇーのぉーー!」
「いや、お前は本当にスゴイ鬼だ! 化け物の頂点だ! だから魔法使いの小さな失敗くらい、大目にみてやれ、な?」
「なんが小さな失敗じゃーっ! こがーに可愛いウチを糞まみれにしたんじゃ、あのクソ魔女――っ!」
「煌火! すぐシャワー浴びよう? それで帰ってお風呂に入ろう! 風呂に入って、綺麗に洗えば、臭いなんてすぐに落ちるさ」
「ウチ、臭いじゃろぉ? のぉ、臭いじゃろう?」
「あ、まぁ、うん」
「いやじゃーーっ! しばいちゃるーーっ!」
よく見ると涙目の煌火。顔は糞と涙で酷い事になっている。こんなんでも、やはり女子なんだな。
「ねぇ一緒に行ってあげるから、まずはシャワー浴びよう? 元通り、カワイイ煌火に戻れるから、ね?」
「一緒? ええんか?」
「いいとも。ね、先輩、いいですよね?」
「あ、ああ。よし、鬼南、鬼東といっしょにシャワー浴びてこい。場所はわかるな?」
フゥー、何とか煌火の怒りは収まったようだ。オレたちは安堵の溜息をもらした。
火傷して身体中がヒリヒリするけれど。




