そろそろソ連崩壊に備えた動きもしておかないとな
さて、年が明けて昭和63年(1988年)になった。
大学受験はこれからだが高校は三学期はほとんど登校日はないし高校生活はほぼ終わりだ。
この80年代はまだ高卒で就職する人間も多いしな。
思えば中学3年生に生まれ変わってからの学生生活は楽しかった。
まあ、やることが多すぎて大変でもあったけどな。
そしてそろそろソ連の崩壊や中国での六四天安門事件後への対処を考えていくべきだろう。
ソ連は昭和60年(1985年)からペレストロイカが断行されてきたが、結果としては抑圧型インフレーションを加速させ、ソ連を危機的状況に追いやることになっただけだった。
アフガニスタン撤退などによる、ソビエト経済の軍事的負荷は軽減されたが、その結果、軍産複合体を形成する多くの軍需工場が閉鎖に追い込まれ、国家公務員ですら末端への給料遅配など日常的になっていた。
これには沿岸警備隊将校なども含まれていたりする。
経済活動の自由化により新たな富裕層を産み出す素地は現れたが、インフレにより年金生活に頼る高齢者などは苦しむことになり社会的不満が増大中である。
一方の中国も、昭和59年(1984年)に、4つの経済特区と14の対外開放都市を設置し、外資を呼び込むという政策をとり、経済改革により農業及び工業生産高が毎年約10%で成長した。
その一方で、中国は社会主義の悪い所である共産党幹部層の強固な官僚主義、汚職、財産権の侵害と同時に資本主義の悪い面である貧富の格差の拡大、急激なインフレに直面することになった。
1989年6月4日(日曜日)に中華人民共和国・北京市にある天安門広場に民主化を求めて集結していたデモ隊に対し、軍隊が武力行使し、多数の死傷者を出した事件である六四天安門事件の発生も昨年昭和62年(1987年)1月1日に北京の天安門広場で学生数百人がデモを起こしたものがいつまでも燻り続けていてそれが爆発したものである。
同じような過程をたどったソ連と中国であったがソ連は消滅し、中国はそのまま共産党の一党体制を維持し続けた。
この辺りはあくまでも欧米とは対立していたソ連と欧米と接近しうまく利用していった中国という差があったろう。
そして最終的には中国は米国を抜き世界一になり、日本は30年にインドに抜かれて4位に転落していった。
ソ連崩壊直後になら北方領土や樺太を取り戻すことはできたと思うんだがな。
もっとも北方領土は日本が二枚舌でソ連の信用を失った経緯があったりもする。
日本が再独立した昭和26年(1951年)のサンフランシスコ条約で千島列島の領有を正式に放棄しその年の国会で「国後・択捉は千島、歯舞・色丹は北海道」と政府見解を出しているし、昭和31年(1956年)の日ソ共同宣言でも平和条約締結後返還を約束したのは「歯舞・色丹」だけだったりする。
これは国後 択捉は国際的に見ればクリル諸島(千島列島)に含まれるのが普通で、逆に歯舞 色丹は含まれないから日ソ共同宣言において平和条約を結んだ際には返還されることになったというわけだ。
それなのに日本政府は国民に対しては北方諸島4島は日本の領土と言ってきたからおかしなことになるわけだな。
ソ連が日ソ中立条約を破って日本に攻め込んできたことを問題視する声も大きいが、そもそもソ連の参戦は極東密約いわゆるヤルタ協定で、ルーズベルトが太平洋戦争の日本の降伏にソ連の協力が欠かせないため、日ソ中立条約の一方的破棄、すなわちソ連対日参戦を促し、その代わりに満州国の権益確保や、樺太南部や千島列島の領有を認められてるわけだ。
ソ連は1945年8月9日に日本への攻撃を開始し、日本は8月15日にポツダム宣言で武装解除したが、8月17日には北海道占守島に上陸、25日には樺太全土を占領、25日に松輪島、31日に得撫島という順に、守備隊の降伏を受け入れながら各島を順次占領し、8月29日に択捉島、9月1日に国後島・色丹島の占領を完了した。
歯舞群島の占領は、降伏文書調印後の、3日から5日のことであるのでこれは明らかに国際法的にもおかしなことであるが、世界的には太平洋戦争の終戦は8月15日ではなくポツダム宣言の履行を含む降伏文書が署名され休戦(戦闘停止)が確認された9月2日こそが終戦日だと認識されていたりする。
8月14日は日本が受諾すると応じた日で、15日は天皇がそうと国民に知らせた日であり、連合国側が同意して国際的に認められたのは飽くまで9月2日であるというのが世界的な普通の認識であったりする。
つまり千島列島のなかで日本が固有の領土と主張する北方4島も8月16日以降9月1日頃までにはソ連軍に大部分を押さえられていたことなってしまう。
結局領土を失いたくなかったらアメリカと戦うという選択自体が間違っていたのだな。
なおヤルタ協定による領土獲得はソ連の強い働きかけであったかというとそうではなく、むしろアメリカのルーズヴェルト大統領やトルーマン米大統領がスターリンに働きかけたというのが実情だ。
まあ結局ポーランド問題で、スターリンは帰国したポーランドのロンドン亡命政権の指導者を逮捕し、ルブリン共産党政権によるポーランドの社会主義国化が決定的となったことで、トルーマンはこれを知って激怒したりしてるし、80年代に中国に接近し結局は経済で追い抜かれていくと、あほなことをしていたりするんだが。
まあそれはともかくエストニア、ラトビア、リトアニアといったバルト三国の独立と同様にソ連崩壊のタイミングで日本領土と宣言しなければ、その後もずるずると行くだろうことは目に見えている。
そのためにも現地に住民や沿岸警備隊とは仲良くなっておくべきだろう。
ソ連やロシアの政治家には樺太や北方諸島返還のメリットはないが、現地に住んでいる人間は違うだろう。
俺は防人を通じてソ連の沿岸警備隊の隊員を食べ放題焼肉屋や海鮮料理屋へ連れて行くと彼らは本当に涙を流して喜んで食べていた。
末端でまじめに頑張っている人間が馬鹿を見るようなことをやっているとしっぺ返しを食らうことに気が付かないのはどこの国の政治家も同じらしいな。




