千葉県東方沖地震の被害はほぼ史実通りか
12月17日 - 千葉県東方沖地震(M6.6)、死者2名。
さて、昭和62年(1987年)12月17日11時8分17秒。
千葉県房総半島の東側、九十九里の上総一の宮、東方沖約10キロメートルを震央とするM6.7の地震が発生した。
やっぱり起きたか……。
大きく揺れたことで生徒は各々机の下に隠れた後、地震が治まり次第校庭へ避難する。
そして北条先輩を見つけた俺は先輩に声をかけた。
「北条先輩。
地震被害の状況を把握したいからヘリをチャーターしてここへ呼んでもらえますか?
あと被害状況が確認でき次第、ドームハウスの仮設住宅の設置準備ができるようにドームハウスの住宅メーカーに手はずを整えさせて」
俺の言葉に北条先輩はうなずいた。
「ええ、わかりましたわ」
そしてチャーターしたヘリが校庭に到着した後俺はそれに乗り込んだ。
「上杉先生、ちょっと社会貢献してきますんで授業ふけるのは見逃してください」
「ああ、理事長にはそう伝えておくよ」
まあ、理事長の娘にいろいろ指示を出してる時点で分かっているとは思うけどな。
そしてヘリの操縦士が言う。
「どちらへ行けばよいですか?」
「まずは上総一宮駅へ」
「わかりました」
そして上総一宮駅へ到着する前に上空から見たががけ崩れや山滑りが起きてる場所が結構あった。
「幸い家の被害とかはそこまで大きくないみたいだな」
その後、市原から千葉にかけてを飛んでもらった。海岸の埋め立て地において液状化が起きている場所が結構あったようだが幸い人的な被害は出なかったらしい。
人災はともかく地震のような天災は回避そのものは不可能だ。
俺は元アカヒ系のテレビや新聞にくわえて、テレビ房総やトーキョーベイFMなどでも地震に対する注意喚起自体は行っていた。
だが、だからと言って多くの人間が耐震性のある住宅に突如建て替えたりするわけはなかったし、家具の転倒防止に注意を払うようにもならなかった。
それをやろうとすると結構な金がかかるし、死者が出るような大きな地震は、大正関東大震災以後今まで来なかったしなからな。
その結果として市原市と茂原市で倒壊したブロック塀の下敷きになって2名が死亡する事態となってしまった。
その他の被害は全治一か月以上の重傷が26名、全治一か月以下の軽傷が118名、建物全壊が16棟、半壊102棟、一部破損6万3692棟でほぼ”前”と同様の被害だ。
負傷者の多くは固定されていない家具、食器棚やタンスなどの下敷きや落下してきた屋根瓦、石灯籠やブロック塀にあたってのケガだ。
また昼ご飯の準備に入っていたことから、火災3棟を出した。
ただブロック塀の倒壊による死者は人災といえないこともない。
ちゃんと鉄筋で補強されたコンクリート基礎の上にのっており、鉄筋を入れてあれば倒壊はしないはずなのだが、実際は地面の上にただ積み上げただけのものが多いのが実情だ。
電気・水道・ガスなどライフラインの停止に加えて、道路の陥没や山や傾斜地の崩壊など比較的大きな影響がでたが、上総一ノ宮のある長生郡一宮町や、茂原はまだそこまで人口が多くなかったのが幸いしたといえただろう。
しかし、道路が陥没していたりするのは厄介だな。
この時点では千葉東金道路は開通しているが首都圏中央連絡自動車道いわゆる圏央道は影も形もないので茂原直通の高速道路はない。
また市原方面も館山自動車道がまだ開通していなかったりする。
まあある程度したら車は通れるようになるだろうから、順次建物の被害の多かった場所へ仮設住宅を建てに行くべきか。
断水などに関しての給水車などはもう自衛隊に動いてもらうしかないけどな。
まあ、それとともに学校などの公共施設の建物やブロック塀などについての見直しもさせるべきだろう。
これは関東だけでなく日本全国においてで、今後の地震対策は早急に推し進めるべきだろう。
阪神淡路の震災までに被害の大きかった地域の古い木造の文化住宅などを何とかできればいいのだが実際は難しいだろうな……日本は不動産に対しての縛りが強かったりするからなのだが。




