壱岐も保養場所としては最高だけど微妙に危うい状態だな
さて、対馬空港から壱岐空港へチャーターしたYS-11で移動し、壱岐の湯の元温泉の温泉旅館で宿泊する.
そして壱岐はウニなどの海の幸がうまいのは対馬と同様だが、平坦な地形が多いため、農地も多く牛などの畜産や、米や麦といった穀物に、野菜作りも盛んに行われている自給自足ができる。
壱岐牛は、古くは弥生時代から飼育されていて平安時代から鎌倉時代までは、日本の牛の中でもトップブランドとして位置づけられていたが、2度にわたる元寇でほとんど殺されてしまった。
しかし、江戸時代ぐらいにはそれなりに復活し、現在では高級牛肉で有名な松坂牛や神戸牛の元牛として飼育されて、生後7~8ヶ月でそういった地域に出荷されていく。
壱岐には牧場はなく、「牛のまや」と呼ばれている牛小屋で飼われていて、牛7000頭ほどがいたりする。
「ん、この壱岐牛の肉野菜炒めはめちゃうまくて米にあうな。
地元で栽培されている米もうまいし、対馬とはまたちょっと違った名物料理があるっぽいな」
壱岐牛の肉がうまい理由は、餌と壱岐独特の環境にあるらしく、周囲の海から潮を含んだ風が吹いてきて、それが牛の餌に自然にくっつくので、牛は塩分のミネラルが入った餌を食べて育っていくが、これが、壱岐の牛肉がおいしい理由であるらしい。
そして壱岐には、長崎県では2番目に広い深江田原平野があり壱岐の米は、長崎県では一番おいしいといわれているらしい。
しかし、最近は、減反政策などもあって米の補助金がめっきり減ったうえに昔はかけ干しであった乾燥が
ライスセンターでの乾燥になったが当然それなりの機械の使用料を払わなくてはならず、米作りがもうからなくなり、葉タバコ、大豆、麦、そしてアスパラなどに栽培が切り換えられているらしい。
「このアスパラの牛肉巻きもうまいっすよ」
明智さんがほくほく顔で言っているが最近は米作りでは儲からないので、田をつぶしてアスパラ栽培に切り替える農家が増えているらしい。
稲わらと牛の糞尿を堆肥にして、これを畑の土に混ぜ合わせて作るアスパラはとれたてで、みずみずしく、しゃきしゃきしていて歯ごたえがあり、ほんのりした甘さがあり確かにこれもうまい。
「うむ、壱州どうふに地元の麦焼酎というのもなかなか乙だな」
そういうのは上杉先生。
壱岐のとうふは、都会のとうふに比べて、固く作られていて、普通の豆腐と高野豆腐の間のような食感だったりする。
壱岐のとうふが固い理由は、普通のとうふを作るときよりも、2倍の豆乳を入れ、さらに海水を少し加えたにがりを使うことにあるらしいが地元産の大豆にきれいな海水で作り上げられる豆腐は間違いなく美味い。
「生ウニのぼっかけ丼もうまいですよ」
朝倉さんが紫ウニが下のご飯が見えなくなるくらいたくさん乗せられたどんぶりに箸をつけているが、玄界灘はプランクトンや海藻が豊富なため甘みがあって確かにうまい。
「カレイのから揚げもなかなかですわね」
壱岐の新鮮な魚を、豪快に丸ごと一匹使用した唐揚げは、サクッとふわっと素材の旨味を存分に堪能できるな。
そんなうまい料理に源泉かけ流しの温泉で疲れをいやした翌日は館でゆっくり朝ごはんを食べてから壱岐観光だ。
湯ノ本温泉から車で15分の勝本朝市をまずは散策。
江戸時代から始まったとされる勝本朝市は、おばちゃんやおばあちゃんたちが椅子に腰かけ籠の中に入った野菜や魚介類などを売っている。
「あら、あなたたち、どこから来たのー」
「千葉から来ました」
「そりゃまたとおいとこからきたんだねぇ。
よければ何か買っていってよ」
「じゃあ、剣先イカの干物をもらおうかな」
「あいよ」
朝市での買い物はけっこう楽しかった。
「やっぱりこういう風景はいいよな」
そしてサルの横顔にみえる”猿岩”をみてから、深田原にある弥生時代から古墳時代の環濠集落遺跡である”原の辻遺跡”をみにいく。
現在ではまだ無名だが平成7年(1995年)、原の辻遺跡は『魏志倭人伝』の中の「一支国」の王都として特定され,平成12年(2000年)に弥生時代のものとしては国内3カ所目の国特別史跡に指定され有名になったりもする。
それから壱岐のモン・サン・ミッシェルと呼ばれる”小島神社”へ向かう。
ここは干潮時にだけ参道が浮かび上がり、1日に限られた時間だけ裏手の本殿に参拝することができるのだが、恋愛成就のご利益とされているので、若い女性にけっこう人気のスポットであったりするらしい。
また海水浴場の水や砂浜もとてもきれいで結構にぎわっているらしい。
そんなのどかな壱岐だが五島列島とともに密航や密輸の中継地点として使われていたりするらしい。
特に天安門事件につながるデモに対しての弾圧などが厳しくなると密航者もいだいぶ増えたようだ。
また盗難車の輸出や、市長選に移住民が立候補して当選しかけたりなどきな臭い動きもあったりする。
また昭和35年(1960年)には5万人いた人口も昭和60年(1985年)には4万人を割り込み、平成22年(2010年)には3万人を下回って過疎化や人口減少に悩んでいるのは対馬と同様だ。
「対馬同様、壱岐の温泉旅館も保養施設として買い取って、ここにも防人を1000人くらい常駐させたいところかな」
俺がそういうと北条先輩もうなずいた。
「食材の豊富さに加えて天然の温泉がすでにありますから保養地としては最適ですわね。
早速調査してみます」
「あと耕作放棄地をできれば買い上げたいね。
ここは湧水も豊富みたいだし、冬季湛水不耕起農法も試せそうだし」
「わかりました、そちらもやっておきましょう」
そうして俺たちは壱岐空港にもどり、そこから羽田空港へYS-11で飛んで、帰りのリムジンハイヤーで送ってもらい、それぞれ家路についたのだった。
高校生最後の夏休みも十分堪能できたと思うし、壱岐や対馬の現状も知ることができたからかなり有意義な旅行だったと思うよ。




