対馬の発展のために保養施設としては温泉、観光名所としては史跡が欲しいところかな
さて、一晩ぐっすり寝た翌日の朝、俺たちは車で比田勝へとむかった。
今回泊まっているのは借家で、ホテルや旅館、民宿ではないので朝食は出てこないし、自分たちで料理をするというのもそれはそれで楽しそうだし。
「朝食は比田勝の朝市で食材を買って自分たちで作ることになるな」
それを聞いて張りきっているのは浅井さん。
「な、なら、私、頑張ってお料理しますね」
「浅井さんの料理の腕はキャンプでよく知っているからそれなら安心だな。
朝食もできれば対馬ならではというものがたべられるといいんだけど」
イカ釣り漁船などの漁船が並ぶ漁港では朝市が立っていてそこでは今朝方に水揚げされたばかりの新鮮な魚介類や干物、産みたての鶏卵、新鮮な朝野菜などが売られており、その中からカサゴ、アナゴ、アジ、カマスの一夜干しの開きや剣先イカの刺身用、イカの塩辛、岩ノリにあとはアナゴ、カワハギ、トビウオ、キスに白菜の御新香、鶏卵などを買い、魚の干物は焼き魚に、アナゴ、カワハギ、トビウオ、キスは天麩羅、イカは刺身にして、岩ノリの味噌汁と御新香、ご飯に卵焼きと魚という献立になった。
「うんやっぱり新鮮だと刺し身でも天麩羅でもうまいな。
浅井さんは料理すごく上手だし」
「えへへ、小さい頃から自分たちで作っていましたから。
お肉よりお魚のほうが前は安かったですしね」
「たしかに。
最近はそうでない感じもするけど」
俺がそういうと足利さんもうなずいた。
「カサゴの一夜干しの開きも炙ってお醤油をかけるだけですごくおいしいですね。
さすが高級魚です」
カサゴは淡白な味わいだが脂が乗っていてうまい。
「カサゴは対馬だと安いけど、関東じゃあ足利さんの言う通り結構高級魚だしな」
カサゴが高級魚なのはあまり数がとれないからでそこまで珍しいというわけでもないらしいけどな。
そして朝食が終われば片付けをして、みんなでおにぎりを作り、お茶を魔法瓶に入れて、山の中の川で遊ぶために移動を開始する。
「7月初め位までにここに来ていれば、夜中には光る蛍も見られただろうけど、ちょっと遅すぎたから今年に見るのは無理だろうな」
俺がそういうと北条先輩はうなずいた。
「そうですわね。
対馬は開発が遅れている分、川の護岸は石積であるためホタルやアユ、ウナギ、ドジョウなどが多く見かけられるそうです。
海水浴シーズン前の初夏の観光の目玉にできるとは思いますが」
「ああ、たしかにホタル観賞を観光の目玉にするのはいいかもね。
きれいなのはこの川には家庭排水とかもあんまり流れ込んでなさそうだからかな?」
「しかし、下水道の普及が遅れているため厳原や比田勝の河川に関してはその限りではないようです」
「下水道の普及は船橋も遅れていたりするしなぁ……。
古い家が多いとそのあたりが大変だよな」
対馬の川にいるのは下流だとコイ・フナ・タナゴ・メダカ・ウナギ・ドジョウなど。
汽水域だとハゼやムマチチブ、上流だとアマゴやヤマメ、アユやウグイ、タカハヤ、シマヨシノボリなどがいるらしい。
比田勝方面の川沿いに走る道路で車を走らせて、しばらく山を登っていくと、適当な河原で降りて、川を上から覗くと、大量のアユが群泳していた。
「これなら手づかみでもアユが取れそうだな」
「実際にアユやウナギなどを川に捕まえに行くというのは珍しくなかったようですね。
最近はそうでもなくなりつつあるようですが」
「じゃあ捕まえてみるか」
俺たちは水着の上に転んでも怪我をしにくいように長袖の上着を羽織って川に降り、軍手をしてアユを手づかみで捕まえようとしてみた。
「こんなにアユはいっぱいいるのに捕まえるのは意外と大変だな」
しかし北条先輩はポイポイとアユを掴んでは魚籠に入れていってる。
「なんで先輩はそんな簡単に捕まえられるんです?」
「自分から捕まえようとうごくのではなく、アユが近づいてくるのを待ったほうが確実ですわ。
あとは両手で挟み込むようにすることですね」
「なるほど」
とりあえずアユが泳いでくるのを待ち構えてみると、たしかに結構にあっさり近づいてきたので両手で挟み込むようにすると捕まえられた。
「なるほど、意外と行けるもんだな」
捕まえたアユは肛門から食べ残り(フン)を絞り出して、串をうち、塩を振って塩焼きにする。
「ん、身は引き締まっているけど固くはないし、鮎独特の西瓜のような香と脂の乗りかたが最高だね。
内臓もちょっと苦味はあるけど美味しいし」
内臓をそのまま食べる魚は少ないが、アユはその数少ない魚の一つだったりする。
「川に入って冷えた体には温かいお茶はありがたいわね」
斉藤さんが言うことに俺はうなずいた。
「川の水は結構冷たいもんな」
河原で昼飯を食べたら今度は史跡めぐりだ。
まず対馬の厳原に所在する金石城跡は文禄・慶長の役の際に築かれた平城で、藩政期にも使用された国の史跡だ。
対馬藩主宗家の執政の拠点として、17世紀後半に整備された城館の遺跡でもる。
そして小茂田浜元寇古戦場跡へもむかった。
ここは1274年の文永の役に900隻の軍船で対馬西海岸一帯に攻め込んできた元軍はまず対馬を、次に壱岐を襲い備前国を荒らして九州に上陸したが、そのときに迎え撃った守護代の宗助国以下主従80騎が全滅した場所だと言われている。
小茂田濱神社には国難に殉じた人々を祀り毎年11月には慰霊大祭が行われているそうだ。
このころの学校の歴史だと元軍に日本の武士は負けっぱなしでヤバかったけど台風(神風)が来て偶然助かったと教えられていたりする。
だが、そもそも鎌倉幕府は壱岐対馬は最初から見殺しにして相手の戦法を見極めつつ、出兵5か月前には出兵の時期を想定し鎌倉武士団を大宰府に展開し、相手が人質を楯にして攻めてきても関係なく矢を射かけまくって、しかも、日本の和弓の威力は元軍の鎧も盾もサクサク貫いて平気で2人同時に貫いてくる恐ろしい威力。
しかも大鎧を着てるのに音もなく海を泳いで船に乗り込んで切りかかってくるわ、牛や馬の死体をもっていって船に投げ込むわ、相手が士気を落とそうと大将の首を掲げたら、それを取り戻さんと命がけて攻撃し続けるわ、最新兵器のはずのてつはうも追撃してくる敵に向かって投げることで「馬」には効果があったが、鎌倉武士団は馬を置いて徒歩でお構いなしで突っ込んできたので実際には多少の時間稼ぎ程度にしかならなかったらしい。
挙げ句には「一晩に10艘は船が襲われて燃えている」だの「捕虜を盾にしても最初から捕虜ごと殺しに来る。船に捕虜縛り付けても捕虜ごと船燃やしに来る。あいつらは人の心を持ってないわ死ぬことを恐れないわ、いったいなんなんだ」とか資料には残される始末だったりするらしい。
それを教えられてもそれはそれで困るが、日本の歴史教育がいかに歪んでいるかよく分かるな。
それから63年に朝鮮半島西岸の白村江で大敗したあと、唐・新羅の侵攻に備え667年に天智天皇によってつくられた金田城跡にも向かう。
意外と遺構が残っているのは都市開発に巻き込まれたりしなかったからなんだろう。
そして対馬空港から壱岐空港へチャーターしたYS-11で移動。
壱岐空港は1,200×30の滑走路なので大型のジェット機は離着陸できないがYS-11なら余裕だから空路の移動自体は10分程度とごく短時間ですんだ。
フェリーでも2時間、高速船なら1時間で移動できる程度には近かったりするんだよな。
そして、壱岐の湯の元温泉の温泉旅館で今日は宿泊だ。
子男温泉の歴史はかなり古く、約1700年前に神功皇后が三韓出兵の帰路に立ち寄った際に温泉を発見したと伝えられている。
温泉に入りながら俺はゆっくり考えた。
やはり対馬に温泉はほしい。
そうすれば自衛隊や海上保安庁、防人の隊員の疲労回復も早くなるだろうし観光資源としてもホタルや川や海で遊べない季節の集客も見込めるだろう。
そして対馬の観光をアピールするためにはテレビの歴史大河ドラマやアニメ、映画などで元寇を扱うことでロケ地として有名にするべきだろうな。
実際北海道は映画のロケ地としての観光名所は結構多い。
それと厳原と穂井田活にそれぞれ1000人程度の防人と相応の数の巡視艇を配備するべきだろう。
昼夜の交代勤務であることを考えればこれでも多いとは言えないかもしれないけどな。
財源は競艇の売上からだせば十分間に合うだろう。
あと真珠や魚などの養殖産業も勧めたいところか。
そして考えをまとめたあとオレは北条先輩にそれを話した。
「対馬の観光地としての間を広めるために元寇を題材にした大河ドラマを制作しつつ温泉を掘削ですか。
たしかにそれがいいかもしれませんわね」
「対馬は絶景や史跡はあるけどそれだけだとパンチに欠けるしね。
話題を作るためには対馬が舞台のテレビ番組を作って放映するのが一番だと思う。
あとは連載漫画を週刊少年ホップで書いてもいいかもしれないけどね」
「なるほど。
そちらも検討しておきましょう」
「うん、お願いね」
明日は壱岐の観光だな。




