このころの歴史の授業などもちょっと変えていかないとな、旧石器捏造事件は早めに潰しておこう
さて、修学旅行での長崎・鹿児島・沖縄での戦争の悲惨を伝える施設をじかに見られたのは、いい経験だったと思う。
そして80年代の歴史の授業は、いまだ”江戸時代は士農工商穢多非人という身分をおいていて、商人士農工商のなかでは一番卑しく下とされたとか教えられている時代なのだよな。
“前”でも士農工商という教えは平成12年(2000年)度の教科書から消えていたりする。
武士が農民を見下し、農は工を、工は商を見下し、さらにその下に穢多非人がいてそれでウサを晴らしたなどとされている。
だからこそ、士農工商という身分を作って、農は上として農民に優越感をもたせ、工商をその下に置き、工商の下に穢多非人を作ったとも語られた。
たしかに、武士は名目上支配階級だったが、実際は札差などの商人に首根っこを掴まれて汲々としていた方が多かったし、穢多非人は別に農民や商人などの下とされたわけでもなく、特に穢多頭は下手な武士農民よりずっと裕福だったが、武士でも農民でも町民でも穢多でもそれぞれの中で上下があり収入による生活格差があったのだ。
そもそも本来は士農工商と言う言葉自体、古代中国での職業を列挙した四字熟語にすぎず“士”は学士、博士などの言葉が示すように士の本来の意味は、役人や学者、文化人などを表す言葉でしかなかった。
また、“工”という身分はそもそも日本では独立して存在しておらず、住む場所で農民や漁師、木こりなどの”百姓”か、職人や商人などの”町人”と呼ばれ、それの後は別に職業的に“穢多非人”がいて、それぞれが直接的に武士の支配を受けていただけであることもはっきりしてきた。
農民は職人や商人を支配しているという教え方に疑問を持つ人間もたくさんいたが、教師はそれを無視して教科書どおり覚えることを強制した。
そしてそれが間違っていることがはっきりしてきた後で、コソッと教科書からそれを消したわけだ。
江戸時代は外国との一切の交流をおこなわず“鎖国”をしていたというのもオランダ・中国・朝鮮などと交易を行っていたことから表記されなくなり、腐敗政治家と悪様に言われていた田沼意次の評価が近代的な経済感覚を持っていた彼を保守的な連中が言いがかりをつけて潰しただけであることがわかったたことで評価が変わったり、義のために戦ったとされる上杉謙信が実は略奪乱妨取りなどを繰り返していたことなどで評価を下げたりもした。
だが一般的な日本人は学生の時教科書で習ったことが事実だと思いこんでいたりするので、士農工商という身分制度があったと覚えていたりするわけだな。
このあたりは早めに教科書の内容を変えていくべきだろう。
あと旧石器捏造事件も早目に対処するべきだろうな。
これは藤村真司というアマチュア考古学研究家が昭和49年(1974年)から、江合川流域の石器を中心とした踏査を始めたが、石器の発見効率が驚異的に高いことから、仲間内では「ゴッドハンド」の異名を馳せ、北京原人より古い日本原人が存在すると日本中を沸き立たせた。
実際は自分で埋めた土器を自分で掘りだして「旧石器時代の石器を見つけたぞ!」とか言っていただけで日本歴史研究最大の汚点であり、韓国や中国に総叩きされてもこれに関しては本当に言い訳できず、これにより世界的な日本の歴史研究の信用は地に落ちたのだ。
彼が捏造を開始したのは昭和50年(1975年)宮城県の旧石器研究グループ「石器文化談話会」に近づいて開始した昭和51年(1976年)座散乱木遺跡発掘から始まって、昭和56年(1981年)には約4万年前の遺跡との報告が出され、”前”では昭和63年(1988年)から発掘を開始した宮城県築館町の高森遺跡発掘調査で約20万年前の地層から石器が発掘されたと発表し、平成4年(1992年)に北京原人とほぼ同じ約50万年前の地層から石器を掘り出して、当時の宮城県知事が”日本の歴史を塗り替える大発見”と賞賛した。
しかし、発掘の成果をめぐって「談話会」と県教育委員会の間に亀裂が生じ、藤村らが新たに「東北旧石器文化研究所」を設立し、別途見つけていた上高森遺跡を独自に発掘調査すると、藤村の抜けた高森遺跡からは途端になんの遺跡も発見されなくなり、新高森遺跡からはたちまち日本最古となる約60万年前の石器が出土した。
高森・新高森遺跡のある築館町は原人ブームに沸き、「原人まんじゅう」や日本酒「高森原人」、「原人ラーメン」などが次々と発売された。
このあたりで本格的におかしいと気がつくべきだと思うが捏造はまだまだ続く。
平成9年(1997年)には、山形県の袖原3遺跡と宮城県の中島山遺跡という、約30キロ離れた遺跡で見つかった石器片の断面が一致するという「天文学的確率の奇跡」が起きた。
石器片はいずれも10万年前の物と判定され、これは原人たちが二つの遺跡の間を行き来していた証拠とされ、「世界にも類例のない」画期的な発見と報じられた。
平成12年(2000年)に藤村らが同市の小鹿坂遺跡から約50万年前の柱穴の跡を発見し、「世界的にも例のない原人の建物遺構」と大々的に報じられたことで埼玉県秩父市に飛び火した。
秩父市は原人フィーバーにわき、イメージキャラクターの「秩父原人・チプー」を登場させ「秩父原人祭り」を開催し「原人定食」や「原人ワイン」、土産菓子「秩父原人の里」などが売り出された。
そして考古学上の相次ぐ「世紀の発見」を受けて、日本の考古学者たちは独自の学説を唱えるようになった。
上高森遺跡で発見された石器のまとまりを男性器と女性器に見立て、原人たちがここで一種の豊穣儀礼を行なっていたと述べていたのだが、それまでの考古学の常識では、「文化」と呼べるような精神性をヒトが獲得するのはホモ・サピエンスになってからで、ネアンデルタール人などの原人は言葉を話す能力を持たず、身振り手振りで簡単なコミュニケーションをとるだけで、埋葬などの習慣もなかったと考えられていた。
だが紀元前70万年から50万年に東北地方で暮らしていた原人は複雑な言語を使用し、時間や距離の概念を持っていたとされ、原人の能力を低く考える欧米を中心としたこれまでの学説は”事実”によって覆されたと高らかに宣言した。
そして中学や高校の歴史教科書にこれが次々と掲載された。
約三万年前までに原人は絶滅したが、しかし世界でただひとつ日本列島だけは、きわめて高い知能と文化を持つ原人たちが暮らしており、彼らが進化したことで日本人が生まれた。
すなわち、日本人だけが「特別」なのだ。
などということが論文に書かれていたのだ。
しかし平成12年(2000年)11月5日の、「毎朝新聞」朝刊一面に、上高森遺跡の発掘現場で、藤村がポケットから石器を取り出し、地面に埋め込む場面が大きく掲載された。
それが発端となり、それまでの業績のほとんどが捏造であることが判明し、当時考えられていた日本からは確実といえる前期・中期旧石器時代の遺跡が消滅し、このため、過去四半世紀に及ぶ日本の前期・中期旧石器時代研究のほとんどが価値を失い、周知の遺跡の抹消・検定済教科書の書き直し、更に中国、韓国、北朝鮮といった歴史教科書問題で日本と対立している国々が、それぞれの国内マスコミで本事件を「日本人が歴史を歪曲しているのが証明された」「一研究家だけの問題ではなく、日本人の歴史認識そのものに原因がある」と、大々的に報道し日本の歴史研究そのものが信頼できない物とされてしまった。
功名心にはやった一人の大馬鹿者のために、どれだけ日本社会が大きな損害を被ったか社会が混乱したかその損害は計り知れないが、彼は刑事罰には問われなかった。
捏造をする方もする方だが、それを見抜けずちゃんと指摘しない専門家は、専門家といえるのだろうか?
そもそも前期旧石器遺跡の捏造に気づくきっかけはすでにたくさんある。
例えば座散乱木遺跡の発掘でも、すでに昭和56年(1981年)に約4万年前の遺跡との報告の段階で、現場を訪れた地層調査の専門家から、そこが火砕流堆積物であるとの指摘があって、当然のことながら、高温のガスが噴出する火砕流の上にヒトが住めるはずはなく、調査団は深刻な動揺に見舞われた。
しかし「石器が出土した」という事実があるということにこだわって、一度堆積した火砕流層が雨水などの自然作用で流され、再堆積した地表面で原人たちが生活していたのだと都合よく解釈してしまったのだ。
なお後の検証作業では、こうした見解は完全に否定されたそのずさんさが明らかになっている。
今年にも、藤村らが発掘した「前期旧石器」に対し、同じ場所で出土した石器でも同じ母岩からつくったとみられるものがないことなどを指摘する論文が投稿され、“前”では上高森遺跡の埋納遺構から出土した石器を実見した大学教授が“あまりのことに呆れてただ大声で笑った、約60万年前の地層から発掘されたというそれらの石器は、原人とは異なる繊細で器用な手でつくられた、まぎれもなく縄文時代のものだったからだ”といって藤村らの発掘した石器は私がこれまで見てきたいかなる前期旧石器時代の石器とも全く異質で、縄文時代の石器と形も技術も一緒だと指摘している。
俺がそういった地層調査の専門家や論文を投稿したりした人たちと対談している様子を放映し、徳田を買収したときに手に入れた新聞のトウキョウタイムズでも掲載した後、毎朝新聞の朝刊一面に、上高森遺跡の発掘現場で、藤村がポケットから石器を取り出し、地面に埋め込む場面が大きく掲載されたことで日本での原人フィーバーが大きく盛り上がる前に詐欺師として彼は考古学会から追放され彼のかかわった全ての遺跡について再点検が行われ、座散乱木遺跡・高森遺跡など、多くの遺跡が旧石器時代の史跡としての認定を取り消された。
また、日本の考古学界が捏造発覚以前にそれまで捏造を批判した学者や研究者を排斥し、圧力を加えていた事も全てバラされて彼らは引退を余儀なくされ、彼を持ち上げ続けた大学教授やマスメディアたちもその大きく名を下げ信用を失うに至ったが、特に遺跡ねつ造事件の共犯と言える文化庁官僚の岡村路雄は退職することになったりなど政府文化庁に対しての批判も強まった。
アメリカでも1980年代初期に深刻な科学研究の不正事例が続出し、社会問題化したため、議会は科学研究の不正行為に介入し、連邦政府にその防止のための組織と規律を確立するように要請している。
それでもシェーによる論文捏造事件のような事件は起こっているが。
それはともかく“全研究の計画、実行、解析、或いは結果報告などにおける捏造、改ざん、盗用”を研究の不正行為と定義し、政府から資金援助を受けている研究者に適用し、不正行為が認定された研究者に対しては“不正行為事例とそれに関わった者の実名での公表”、“助成金の打切りと返還請求、および新規申請の停止”、“政府関連委員への委嘱中止”、“研究者の所属する機関からの懲戒解雇”、“不正論文の撤回”などの措置が日本でも取られるようになった。
いずれにせよ日本の旧石器時代に関しての歴史の捏造問題が大きくなって、それが他のもの、例えば南京大虐殺や慰安婦問題、徴用工問題などにまで”日本による捏造”のレッテルを貼られて大きく悪影響を及ばさずにすむのは良いことだろう。




