薔薇の花を摘む姫君
「お帰りなさいませ、フェリス様」
「ああ、レイ。
レティシアの様子は? 学問は、どうだった?」
随分と、あちこちで、祝いを述べる人々に捕まって、
戻ってくるのが遅くなってしまった。
ここで邪険にして、
レティシアの評判を落とす訳にもいかん、
といつになく愛想笑いを顔に張り付け続けたので、
フェリスは著しく顔面が疲労した。
「滞りなく。午前中はセドリック伯爵夫人がマナーの講義に、
午後はランス伯がディアナの歴史の講義にいらっしゃいました」
「ランスが来てたのか。それは、僕も講義を聞きたかったな」
子供の頃、いくつも受けていた授業の中で、ランスの授業が一番好きだった。
彼の語り口が好きだったし、
彼だけはフェリスの「先生、それは何故?」の質問に
嫌な顔一つしなかった。
知ってることなら教えてくれたし、
知らないことならフェリスと一緒に考えてくれた。
ランスは、
昔から決まっていることに、子供は疑問を持ってはいけない、
という顔をしなかった。
「レティシア様も、フェリス様のように、
ランス伯と気が合われたらしくて、
遅くまで楽しそうに講義を受けてらっしゃいましたよ」
「うん。それはきっとそうだろうな」
レティシアも、
ちいさな姿と魂があってない様子だから、
ランスの講義は、
幼いころのフェリスと同じように居心地がいい筈だ。
本ばかり読んでいる小さな娘はおかしいと不評で、と、
しょんぼり語っていた、うちの花嫁殿。
「セドリック伯爵夫人にはいじめられてなかったか?」
「つつがなく、御二人で竜王陛下とフェリス様の話をされて、
お茶の時間に盛り上がってらっしゃいましたよ」
「午前中の世俗、午後の知恵…だな」
「どちらも肝要かと。
どちらか一つでは、宮廷では、とても生き残れません」
レイの返事に、確かに、とフェリスも頷く。
人は、愚かさでも滅ぶけれど、
賢さだけでも、簡単に足を掬われる。
何処であろうと、生き残るには、雑草のような強さが必要だ。
「フェリス様! お帰りなさいませ!」
愉快でもない思いに包まれかけていたら、
庭から、ピンクの花びらを散らしながら、小さな弾丸が飛び込んできた。
「レ、レティシア?」
「すみません、薔薇を摘んでいいと言って頂いたので、
どれにしようとたくさん悩んでたら、
戻るのが遅くなってしまって」
レティシアは、フェリス帰還と聞いて、
急いで戻ってきたのか、頬とお鼻が赤くなっている。
りんごのほっぺをした少女が、
摘みたての薔薇を両手に抱えて、
弾丸のように、フェリスめがけて走ってくる。
なんと……平和なんだろ、我が家は。
「謝らなくていいよ、何も」
兄君や、
話しかけてくる貴族たちに、
ずっと気を張っていたのが、
いっきに解けた気がして、思わず笑ってしまった。
「髪に花びらがついてるよ、レティシア」
フェリスは指を伸ばして、レティシアの髪から薔薇の花びらをとる。
「あ、ありがとう…ございます。
……フェリス様? 何か楽しいことありました?」
「どうして?」
「とても楽しそうに見えます」
「そうかな。帰ってきて、ほっとしたからじゃないかな」
生まれた時から、この広い宮殿に住んでいるものの、
自分には、帰る場所なんて何処にもない、と思っていたのだけれど。
なんでだろう?
昨日会ったばかりの、ちいさなレティシアの顔を見て、
家に帰って来たような気持ちになるのは、どういう心の動きなんだろう?
不可解すぎて、おもしろい。
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