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天魔屍侠譚  作者: スキャット
第3話「動乱のカルィベーリ」
22/44

3-1


「私達、きっと地獄に堕ちるのだろうな」


 吹き荒ぶ風が、外れかけた格子窓をがたがたと揺らした。半壊した廃屋。コンクリートの壁に寄りかかり、一人の少女――如月菜乃はぽつりと呟いた。

 黒を基調とした装いは防弾・防刃性能を重視したものであり、全身至る所に銃器と弾薬、携行品を備えたその姿はまるで戦地にでも赴かんとするかのようだった。

 

「人の道を外れ、天使を殺し、世の理を乱す……。業火で炙られて当然の罪悪だ」


「地獄なんてものが本当にあれば、だけどね」


 廃屋にはもう一つの人影。帽子を目深に被った少女、クロがくすくすと笑う。暗色の装備は菜乃と揃いのものだったが、その両手には大きな籠手が備わっていた。


「神を信じないのに、天国や地獄は信じるのかい? 君は」


「……地獄にでも行けば、いい加減お前とも離れられるだろう」


「まさか」


 クロは芝居掛かった仕草で菜乃の手を取り、


「ちょっと命をなくした程度で途絶える道なら、君は今ここには立っていないだろう?」


 菜乃は大きな溜息をついた。


「……ああ、全くだ」


 廃屋に冷たい風が吹き込み、二人の髪を揺らす。窓の外には満月が白く輝いていた。


「隊長……ああ、副隊長もいましたか」


 一人の少女が廃墟に入ってきて、二人に声を掛ける。


「準備完了しました。いつでも大丈夫です」


「そうか、ありがとう」


 夜風に吹かれながら、菜乃は廃墟から歩み出る。月明かりに照らされているのは、半壊したかつての街並みと、瓦礫を押し退けて生える痩せた草花。そして、菜乃と同じ装備を着込んだ、整然と列をなす数十人に及ぶ少女達。彼女らは、この一年で菜乃とクロが世界中から募った同士達だった。

 天使に欺かれ、利用された者。悪魔に虐げられ、搾取された者。境遇は様々だが、その志は一つだ。


「……皆、よくここまで付いてきてくれた」


 菜乃は声を張り上げる。


「我々には皆それぞれの苦難と、ここに立っている理由がある。今はそれは問うまい。確かに言えるのは、諸君が誇りと信念を抱いた(つわもの)であることだ」


 菜乃に視線を注ぐ少女達の瞳には、強い闘志が炎のように揺らめいていた。


「……今日ここから、我々の本当の戦いが始まる」


 菜乃の傍らに、クロが並び立つ。菜乃はゆっくりと口を開いた。


「――死した空に天は亡く、枯れた地に魔は満ちる」


 菜乃の言葉に、クロの声が合わさる。


「我は人が為人を捨て、人が為天魔を喰らう」


 そして少女達の声が重なり、斉唱となる。


「我は仮初めの死人なり。我は煉獄の咎人なり。我は理の番人なり」


 それは誓いの言葉であり、また祝詞であった。

 歴史も伝統も持たぬ菜乃達が組織としての強さを保つためには、厳格な戒律と過酷な修練が必要とされた。そしてそういった環境で生まれる強さの形とは、得てして信仰に近いものであった。


「我は厳格なる死を齎す者。我らリゴル・モルティス。全ての翼を狩る者なり」


 朝焼けに赤く染められた東の地平線から、僅かに太陽が顔を覗かせる。朝日が照らし出したのは、荒野に聳える半球状の建造物。現実感を失わせるほど巨大なその建造物は、一つの街すら内包する天使達の最重要拠点。人類に残された“最後の聖域”だった。

 菜乃は高らかに宣言する。


「反撃の狼煙を上げろ。全ての翼持つ者に、人間が利用されるだけの道具ではないと知らしめろ。奴らに我らリゴル・モルティスの名を、恐怖と共に刻み込め!!」


 地を揺るがすほどの鬨の声が湧き上がる。鳴り止まない歓声の中で、クロは静かに目を細め、菜乃へと謎めいた微笑を投げかけた。







「……何でテメェがここにいる?」


 悪魔アスモデウスは、唐突に自宅に現れた訪問者に対して苛立ちを隠そうともしなかった。


「人に聞きまして! どうぞお気遣いなく! 玄関で構いませんよぉ! すぐに帰りますので!」


「たりめぇだろ、馬鹿が」


 短躯で瘦せぎすの悪魔ロキは、彼の倍ほどにも及ぶ体躯のアスモデウスに卑屈な笑みを絶やさなかった。アスモデウスは歴戦の強者だ。彼が戦場で打ち立てた武勲と倒した敵の数は数え切れない。彼がその気になれば、ロキの命は造作もなく搔き消えるだろう。


「ええ、ええ、目障りですみません! 用事さえ済めばすぐに消えますので! へへっ! ……今日はあなたに、是非お願いしたいことがありまして!」


「……ああ?」


 鎧も剣も無く、シャツにジーンズというラフな格好のアスモデウスは、つまらなそうに煙草の煙を吐いた。


「実はですねぇ、今回、是非あなたの傭兵団にひと暴れして欲しいところがありましてぇ……」


「興味無えな」


「……え?」


 アスモデウスは言うなりふいと踵を返し、狭い廊下の奥へと歩いていく。ロキは必死に追いすがった。


「待ってくださいよぉ! 話! 話だけでも……!」


「…………」


「これはあなたにとっても……。……ぅぐえっ!?」


 ロキの細い首を、アスモデウスの太い腕が掴み上げた。


「……俺はなあ……弱え奴には興味無えんだよ」


「あっ……ぐあ……!」


 ロキは必死に足掻くが、アスモデウスはびくともしない。


「どこでどんな戦争がやってるか、俺はいつでも目を光らせてる。でもここ何年かは、クソしかねえ。どいつもこいつも、どこもかしこもヌルすぎる。あんなのは殺し合いじゃねえ。ガキの喧嘩だ」


「うっ……! うう……!」


「それを言うに事欠いて、ひと暴れしてほしい、だぁ? テメェ、俺をクソの溜まり場に放り込もうってのか?」


「ち……がっ……! ……!」


「……死ぬか?」


「…………!!」


 アスモデウスの腕にさらに力が込められ、ロキが蒼白な顔で目を見開いた時―― 。


「アス!!」


 小さな家に、よく通る女の声が響いた。

 アスモデウスはぎくりとして手を離した。ロキはどさりと床に落ち、激しく咳き込む。


「うっ……ごほっ! おえっ……! ぐっ……げほっ……!」


「何してるの、アス!」


「……静江さん……」


 家の奥から現れたのは、ロキよりほんの少し大きいばかりの小柄な女だった。幼い顔立ちでぷりぷりと怒り、アスモデウスはバツが悪そうに縮こまる。


「こんな小さい子相手に見っともない!」


「いや、小さい子じゃないんだって! 見ろよほら! オッサンだろ!」


「あら本当。……そういう問題じゃないでしょ! いじめなんて情けない!」


「違うんだって……ただの脅しで、こんな奴殺す気も無いって……」


「そういう問題でもないでしょ!」


 小柄な女――静江は、床でうずくまるロキを助け起こす。


「あらあら……大丈夫ですか? ごめんなさいね、うちのアスが……」


「い……いえ……大丈夫です……ありがとうございます……へへっ……」


 ロキはまだ青白い顔に弱々しい笑みを浮かべた。静江がアスモデウスをきっと睨むと、アスモデウスはますます所在無げに縮こまった。


「せめて話くらい聞いてあげなさい! それがお客さんへの礼儀でしょ!」


「……はい……分かった……分かりましたよ……」


「もしこの人が何か失礼をしたら私を呼んでくださいね、すぐに叱りますから!」


 ロキにそう言い残して、静江は家の奥へと戻っていく。程なくして、彼女が食事の準備をする音と匂いが廊下まで届いてきた。


「……で?」


 アスモデウスは床に胡座をかき、頬杖をついて不満たらたらな様子で顎をくいと動かす。ロキは正座して答えた。


「……もちろん、あなたとあなたの黒貂熊(くずり)傭兵団が生半可な戦場じゃご満足いただけないのは分かってます。ただ、この話はあなた方にとっても大きな利益があるお話なのです」


「利益だあ?」


「はい。一度だけ、ただの一度でいいのです。あっしの提案する時間と場所で好きに戦っていただくだけで……世界は再び、かつてのような素晴らしい戦乱の混沌へと墜ちていくでしょう」


 ロキのその言葉に、アスモデウスはぴくりと眉を動かした。


「……一応、聞いてやるよ。一体俺達を、どこで暴れさせようって魂胆だ?」


 ロキは至極愉快そうに、口の端を吊り上げて笑った。


「……我々悪魔にとってはこの世で最も縁遠い場所。人と天使にとっては地上で唯一の安息の地。難攻不落の城塞都市にして、白日連合の最大拠点……」


 アスモデウスの瞳が、次第に熱を帯びていく。ロキは恭しく頷いた。


「その名は――」







 寒々しい灰空の下、“篠突く雷火”は焚き火を前にして、己に与えられた手札を凝視していた。共に焚き火を囲むのは同じく天使の想兼(オモイカネ)とアルテミス。少し離れた場所から、紅のローブを着込んだ少女リリィが微妙な顔でそれを見ていた。

 アルテミスが叫ぶ。


「……あっ! 雷火ウノって言ってない! 追加ね!」


「があああ!!」


「ウケる〜〜! 雷火さん雷火さん? ウケる〜〜〜〜」


「ちくしょうめぇぇ……」


 全力で煽ってくる想兼を横目に山札からカードを引きつつ、雷火は口を尖らせる。


「大体このルールに何の意味があんだよ? 残り一枚になったらウノと叫ぶってルールによって競技上において一体どんな戦略性が生まれるってんだよ?」


「ウノからウノ取ったら虚無じゃないですか。大体自分が不利益を被ってからルールに文句付けるのマジでワックなんでやめたほうがいいっスよ」


「この女……自分に(パンチライン)があると見るやすかさずカマしてきやがる……!」


「あのー……ちょっといいですか?」


 三人の会話を遮り、リリィが手を挙げる。


「どったのリリィちゃん?」


「……せっかくすぐ近くまで送っていただいたのに……いつまでここでウノやってるんですか……?」


 リリィの指摘に、天使達は一様に目を背ける。


「……いやぁその……なあ……」


「……だって……ねえ……?」


「……ポーウ! ポウ!」


「あっ! ほらお前がストレスかけるからモイが壊れただろ! 責任取れ責任!」


「いい加減にしてください! いつまでも先延ばしにしてても問題は解決しないんですよ!」


 リリィは三人からウノを引ったくり、焚き火に土をかけて消して出発の準備を始める。


「何をする! やめろ! やめろー!」


「ほら行きますよ皆さん! ほらはやく!」


「やめろー! やめろー!」


「やめてぇぇ……」


「ママ……?」


 押し合いへし合う四人の行く先には、天使達の街――カルィベーリの巨大な壁が聳え立っていた。




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