2-7
「……走れ走れ!! 絶対コケるなよ助けないからな! 置いてくからな!!」
「やめてください不安煽らないでください! 引きこもり暦すなわち年齢だから体力無いんですよ!!」
「これから健やかに生きろ!!」
雷火とリリィは息を切らせて廃墟の街を疾走していた。その背後には二人を追う膨大な量の屍者。道幅を埋め尽くすほどの屍者達は今なお路地や建物内からわらわらと湧いてきて、その数を増やし続けていた。彼らは皆、雷火の腕にある一振りの輝く斧槍に惹きつけられていた。
膨大な魔力を秘めたこの斧槍は、一時間ほど前に雷火が己の魔力で生み出したものだ。安全地帯で斧槍を生成した雷火はやはり自身の魔力に耐え切れず一度は気絶したが、リリィの治療により意識を取り戻した。結果、雷火の手元にはこの強力な武器が残されることになったのだ。魔力は使えないが、既に形成した斧槍を振るう分には何の問題もない。魔力を秘めた斧槍はいわば強力な誘引剤だ。大量の屍者が集まってくれば、それだけ目立って想兼とアルテミスの二人とも合流しやすくなる、という魂胆だったが――。
「ああクソッ!!」
雷火は一瞬足を止めて身を翻し、後方の屍者の群れに向けて斧槍を振り抜いた。眩く強力な電光が迸り、乾いた音と共に数十の屍者達を焼き焦がし、歩みを止めさせた。魔力から他のエネルギーに変換すれば、こうして屍者を攻撃することも出来る。だがすぐさまその後ろの屍者達が焼死体を踏み分けてこちらに向かってくる。その濁流が如き勢いは一向に衰える気配を見せない。まるで焼け石に水だ。
「いくらなんでも多すぎんだろ! どうなってんだ!」
「すいません私の魔力がすごいばっかりに! 自分が怖い!」
「言ってる場合かよ! どうすんだよこのままじゃモイ達と合流する前に……」
その時ひた走る二人の前方、曲がり角の死角から、突如として地響きと共に巨大な影が姿を現わした。青白い肌、ハイヒールのような脚部、人馬のようなシルエットの異形。さらに周囲には猟犬めいた小型の異形達まで侍らせている。少女の絶叫と動物の悲鳴が混ざり合ったような不吉な声で、異形は咆哮した。
「うっ……!」
雷火の顔から血の気が引いた。
瞬間、銃声。異形の頭に穴が穿たれ、灰色の体液が噴出する。
「雷火さんっ!!」
その声に目をやると、すぐ近くの路地から想兼とアルテミスが顔を出していた。アルテミスの持つライフルからは硝煙が燻っている。
「早く! こっちです!!」
「えっ!? あっ?」
「お二人とも無事だったんですね! 何してるんです雷火さん! 行きましょう!」
「あっ、おっ、おう!」
リリィに急かされ、雷火は狭い路地裏に飛び込む。ゴミ箱を蹴飛ばし、散らかった路地に足を取られながらも四人は大通りへと出た。異形達の巨体では迂回せざるを得ないだろうが、屍者達は御構い無しに押し合いへし合いしながら追い縋ってくる。想兼の先導で四人はまた大通りを走り出す。
「どこ向かってんだこれ!?」
「駅っス! 構内を通り抜けて向こう側まで行きます!」
雷火は背後の様子をちらりと伺う。風鳴りのような呻き声の合唱と共に追ってくる屍者の群れは更に膨れ上がり、少しでも足を緩めればすぐさま襲いかかられ文字通りの八つ裂きにされてしまうだろう。
「まっったくあなたはチキンのくせに無茶苦茶しますね!」
「いいだろ合流できたんだから! それよりあるんだな! 策が!」
「無論です! 知恵の神ですので!」
「そうか!」
「……雷火さん!」
「何だ!」
「…………た」
「あん? 何て!?」
「……その……すいませんでした」
雷火は目を大きく見開いて想兼を見る。想兼は恥ずかしそうに目を逸らした。雷火と想兼が大小様々に喧嘩をするのはそう珍しいことではない。だが雷火が覚えている限りでは、彼女との七年近くの付き合いで、これほど素直に謝罪をされるのは初めてのことだった。
「あっ……あ……ああ……いやその……オレも悪かったし……別に気にしてない……お互い悪かったってことで……その……うん……」
戸惑いながら、雷火も何となく気恥ずかしげに目を逸らして言った。ニコニコ顔で二人を見てくるリリィを雷火は渋い顔で睨み、想兼は微笑して頷く。
「よかったですね!」
「……はい……そうですね……」
「二人ともちゃんと仲直りできたじゃない! こりゃ今宵はセックスだね! しようよ! 迸る感情の赴くままに互いの肢体を求め貪り合い耽溺するような甘く淫らな仲直りックスを!」
「爆発的に語彙力上昇させんなよ! 今そういう感じのアレじゃないからやめろ!」
「雷火さん」
真剣な面持ちで想兼が雷火を見る。
「……今謝ったばっかりで何なんですが……薬を使わせてもらいます」
「ああ? お前……」
怪訝な顔をする雷火だったが、その言葉の示すところに思い当たりにわかに表情を変えた。
「お前、もしかして……」
「ええ」
想兼がこくりと頷く。
「『完全掌握』を試みます」
◯
巨大な駅の構内へと駆け込み、雷火たちは停止したままの改札を抜ける。背後からは濁流のような屍者の群れ。カーブを曲がりきれずに倒れた者を踏み付け、改札に突っかかった者をよじ登り、動く死体が四人に向かって殺到する。
「どっち行けばいいんだ!?」
「こっちです! 今入ったのが中央改札! 西口を抜けて外に出てそこであの大きいのを迎え撃ちましょう!」
「はっ……! はぁっ……! オェッ……! 死ぬっ……!」
「二人とも! リリィちゃんが虫の息なんだけど!」
「あと少しだから踏ん張れ! 止まったら死ぬぞ!」
「努力はっ……しまずっ……!」
四人は無人の廃駅をひた走る。背後から轟音。振り向くとガラス戸を粉砕し、人馬型の異形が巨体をそこら中に突っかけながら突進してくるところだった。
「うおおお!! 走れ!! 走れ走れ!!」
雷火が慌てて踵を返そうとした時、不意に頭上から何かがひび割れるような音が響いた。
嫌な予感と共に見上げてみると、天井に備え付けられた採光窓の上に大量の屍者がへばり付き、血まみれの腕で窓を殴りつけていた。窓に走ったヒビは今まさに大きく広がり、今にも決壊しそうな有様だった。
「下がれッ!!」
採光窓が砕け、足を止めた雷火たちの眼前に十数体の屍者がぼとぼとと落下してくる。進路を完全に塞ぐ形だ。当然、今この瞬間にも背後からの屍者の群れと異形は迫ってきている。
「ふざっ……けんなよクソがっ!!」
雷火は斧槍を振り抜き、目の前の屍者達を電撃で黙らせる。斧槍の放つ輝きが薄れ、ほんの少し輪郭がぼやけた。膨大な魔力で生成された武器とはいえ、その魔力にも限りがある。そう何度もこんな攻撃を放つことは叶わないだろう。
アルテミスが銃に実弾を装填し、後方の人馬の脚を撃ち抜く。灰色の体液が噴出するが、異形はほんの少しも怯まない。
「雷火さんはリリィさんを担いで! アルテミスさんは実弾で可能な限り足止めを! 全力疾走で構いません!」
「外で迎え撃つんだろ!? ここで体力使い切ったら……!」
「大丈夫です! とにかく走って!!」
雷火は怪訝そうに眉根を寄せたが、悩んでいる余裕は無かった。
「……分かった。おい! 行くぞ!」
「ぐぇっ!」
リリィを小脇に抱えて雷火は全力で走り出す。屍者の群れはますます膨れ上がり、今やこの街全体の屍者が集まって来ているのではないかという程だ。アルテミスが何度も振り返り銃撃を加えるが、まるで効果が見られない。改めてリリィの持つ魔力の大きさに空恐ろしいものを感じずにはいられなかった。
「あそこです!」
想兼が叫ぶ。四人は西口を抜け、駅と繋がった歩道橋へと走り出る。下は広々とした駅前広場となっていた。
「飛び降りて!」
「ちょっと待っ……ぎゃあああ!!」
アルテミスと想兼、それにリリィを抱えたままの雷火が何の躊躇もなく数メートル下方の道路に飛び降りる。リリィは絹を雑に裂くような悲鳴を上げた。
駅の出口からは大量の屍者が溢れ出し、さらに駅内からは異形が刻一刻と近付いてくる破砕音が響いてくる。四人は瓦礫の散らばる広場に辿り着き、敵を待ち受ける。想兼は大きく深呼吸をした。
「……行きます」
「……ああ」
「無理しないでね?」
想兼はピルケースから数粒のカプセルを取り出して割り、中身の粉末を鼻腔から吸引した。
「……ふッ……うっ……!」
想兼は脳が発熱しているような感覚に目を大きく見開く。視界の全ての輪郭と動作がゆっくりと、かつ明確に映り、髪の一本、汗の一滴までもありありと感じ取れるような極度の集中。激しい耳鳴り。薬物のもたらした一種の興奮状態の中で想兼は、深海への潜行めいて意識を研ぎ澄ます。駅の出口を粉砕し、土煙と共に姿を現した異形の人馬に、その全ての集中力を向けた。
人馬は咆哮し、広場中央に佇む雷火たちに向かって歩道橋を飛び降りる。
「雷火さん、屍者の群れに斧槍を投げて、出来る限り頭数を減らして下さい」
「ああ!?」唯一の武器を捨てるに等しい指示に雷火は難色を示したが、ほんの数秒想兼に目をやって頷いた。「……分かったよ!」
雷火は思い切り振りかぶり、力の限りで斧槍を投擲する。
「オラ死ねオラーッ!!」
斧槍は回転しながら飛んで行き、屍者の群れの中央辺りに落下した。高密度の魔力の塊に屍者達が次々と群がり、巨大な団子の状態となったところで、斧槍は閃光を放った。瞬間、地上から天に昇る雷を彷彿とさせる凄まじい電流が迸り、群がっていた数百の屍者達、それに猟犬型の異形を瞬く間に消し炭へと変えた。肉の焦げる匂いと白煙が巻き上がり、後には悪趣味な前衛芸術のような黒焦げの塊が残った。
「…………。……で!? どうすんだよ!?」
屍者の群れはその大半が失われたが、巨大な異形は雷の余波で多少傷付いてはいるものの未だ健在だ。むしろ大量の屍者という障害物が無くなり、さらに猛烈に一直線に雷火たちに突進してくる。
「想兼さん!」
「モイちゃん!」
リリィとアルテミスが悲鳴に近い声を上げた時、想兼は静かに前に歩み出る。懐から取り出したのは、大口径のリボルバー。
「想兼さん!?」
「……ッ……下がれ!」
引き止めようとしたリリィを雷火が制する。
「でも!」
「いいから! 黙って見てろ!」
無防備に歩み出た想兼に、異形の柱のような脚が振り下ろされる。ハイヒールを思わせる踵はアスファルトを粉砕して大穴を穿ったが、想兼はその攻撃をほんの少しのステップで躱していた。さらに横薙ぎに脚が振るわれるが、その攻撃も悠々と身を屈めて回避する。
「…………!?」
リリィは驚愕の表情を浮かべる。狂乱したように矢継ぎ早に繰り出される異形の猛攻を、想兼は最小限の動作で全て躱しきっていた。彼女の身体能力が上がったのではない。あらかじめどこにどう攻撃が来るのか分かっているような動きだった。
『完全掌握』。それが想兼の異能の奥義といえる技だった。
それは対象のありとあらゆる全ての情報を知覚することで、ほとんど未来予知に近い程の動作予測が可能となる能力。
振り下ろされる脚を一歩前に踏み出して躱し、想兼は銃に弾丸を装填する。魔力で形成されたのでもなければ、銀の弾丸が装填されているわけでも特別な仕掛けが施されているわけでもない、ごく普通のリボルバー。ただ口径は大きく、弾薬は高威力のマグナム弾。想兼にはその方が都合が良かった。
ピンヒールめいた踵による突きを回避して、両手で銃を構え、撃つ。弾丸は吸い込まれるようにして異形の右前脚の肩に命中し、青白い肌に食い込んだ機械部分を破壊した。金属のぶつかる火花が散り、右前脚の動作が明らかに鈍化して体勢を崩す。その隙を突き想兼は身を屈め、胴体の下から左後脚の関節部を銃撃し、破壊する。異形はがたがたとたたらを踏んでなんとか体勢を保った。
「凄い……!」
リリィが感嘆の声を上げる。雷火とアルテミスは想兼の予測から不確定の外部要素を減らすべく、必死に周囲の屍者を処理し続けていた。
オモイカネは銃を高く掲げ、四本脚の巨体に接続された少女の上半身、その頭部を撃ち抜いた。灰色の体液を撒き散らして頭部は半壊したが、それでもなお異形は止まらなかった。
「……駄目ですね」
オモイカネはぽつりと呟き、未だ続く異形の攻撃を避けながら雷火たちに振り向く。
『完全掌握』は一度発動してしまえば無敵に近い性能を発揮するものの、使用には極度の集中力を必要とし、また対象以外の外部要素で予測が崩れる危険もある。そもそもいかに予測が完璧であろうと想兼本人の身体能力が生身の人間とほとんど変わらないため、対人であればまだしもこういった巨大な相手には時間稼ぎ程度にしかならない能力でもあった。
「駄目でーす」
「はあ!?」
雷火は大声を上げた。
「やっぱり普通の屍者と同じッス。 頭部を破壊しても無駄で全身バラバラに解体しない限り止まりません。そして今の我々にはそうするだけの火力がありません」
「はあああ!? じゃあどうすんだよ!? やっぱり屍者共じゃなくてそいつに雷ぶつけたほうが良かったんじゃねえの!? つーかやっぱりって何だよ!? 最初から分かってたのかよ!?」
「問題ありません。時間稼ぎは済みました」連続で繰り出されるストンピングをひらひらと躱しながら、想兼は叫ぶ。「私を誰だとお思いですか? 私は想兼。八百万に知恵を授けし高天原の頭脳にして知恵の神、想兼ですよ!」
雷火は呆れたような笑みを浮かべ、目の前の屍者を金槌で殴り飛ばして叫んだ。
「……ああ、よーく知ってるよ!」
瞬間、四人の背後から轟音と地響きが巻き起こった。
雷火たちの後方、濛々と立ち上る土煙の中から現れたのは、蜘蛛を思わせるシルエットをした巨体だった。これまで戦っていた異形とは対照的に全身が硬質な無機物で構成され、節々から魔力の燐光が漏れている。
「ゴーレム……!?」
突然の新手に雷火は戦慄した。これ以上敵が増えるなど、手に負えるはずがない。蜘蛛は八本の脚を動かし、猛然と四人の方へと突っ込んでくる。雷火はリリィを抱き寄せて跳び退り、追撃に備えた。
しかし蜘蛛は雷火達には目もくれず、その場を通り過ぎて真っ直ぐ人馬型の異形へと向かっていく。
「えっ……!?」
リリィが驚きの声を上げる。オモイカネもとうに人馬から離れた場所に退避していた。
「やはり、来ましたね」
蜘蛛はそのまま人馬に突進し、鋭く尖った脚先を脇腹に突き立てた。灰色の体液が噴出し、人馬は悲鳴を上げながらも、鋭利な蹄で蜘蛛の頭を踏み付ける。そのまま二つの巨大な異形同士による壮絶な死闘が始まるのを、雷火とリリィ、アルテミスは呆然と眺めていた。
「え……どういうことー……?」
「想兼さん、これは……?」
集まる視線に、想兼はどこかバツが悪そうな顔を見せた。
「……あの怪物を見た時から疑問に思っていました。屍者や天使を狩るには、体格も装備も過剰に大きすぎると。個人的な嗜好で造形したと考えるには、あまりにも芸術的というより機能的でした。その答えはただ一つ。この街には……あの怪物への対抗手段を造り出せる魔術師がいるからです」
「阿呆面引っさげてよくこんなところまで来たものだな、“篠突く雷火”!」
唐突に高らかな声が響き渡る。声を聞いた時点で雷火が、姿を見た時点で想兼も苦虫を噛み潰したような顔を浮かべ、アルテミスの顔には諦観のアルカイックスマイルが張り付いた。リリィだけは状況が理解できず、オロオロと辺りを見回した。
四人の元へ歩いてきたのは、鮮やかな金髪に碧眼、随所に改造を施した白衣を着込み、見るからに尊大で傲岸不遜な態度の男だった。
「我が研究所へようこそ。一応の歓迎くらいはしてやろう、盆暗諸君」
魔術師――ミカ・シルヴェスタ・ヴェステライネンはそう言って、不敵極まりない笑みを浮かべた。




