276.0話 土曜日は会議室
―――4月21日(土)
「……こちらからの報告は以上です」
抑揚無く、淡々と報告する声が止んだ。
その報告は多岐に渡っており、凡庸な者であれば付いていけないだろう。
だがしかし、この蓼園総合病院最上階、VIPルーム内には理解が追い付かない者は存在していない。
いつからか始まった定例会議。
出席者はちょくちょく変化する……が、今回はいつものメンバーだ。
総帥・蓼園 肇と、その秘書・一ノ瀬 遥。
病院から院長・川谷 光康と、その愛弟子である渡辺 智貴。更には、立花 憂 及び 渓 圭祐 の主治医である島井 祐司。
そして、憂の身辺警護として、直接的に動く榊 梢枝と、その上司だ。
以上7名。
人員が増えた時には、憂の父であり、蓼園商会取締役の1人である立花 迅だったり、私立蓼園学園学園長だったり、鬼龍院 康平だったり、蓼園綜合警備の者だったりする……が、今は関係のない話だ。
先程の遥の報告は国内外の憂に関する情報群だった。
某国で絶大な発言力を誇る『連合』の企業が、自国内での憂に関する動きを牽制するかのように、声明を出した。
三大宗教から見ても捨て置けない存在なのか、水面下で『連合』の企業が接触を受けた。
総じて『連合』の影響力は強大であり、拉致を目論んでいた存在も経済面での爪弾きを怖れ、尻込みしている。
そんな情報から始まり、どこかの非合法組織が手を引いた。しかし、女性幹部がその件に於いてミスを責められ、除名された。その女性が日本へ入国しようとし、失敗した……。こんな情報もあった。
この前には、病院を代表して渡辺が発言している。
その渡辺は、県外の研究所に足繁く通っており、憂の成分に関しては1番の情報通とも言えるのである。もちろん、遥には詳しい情報が入っているだろうが、それでは病院の発表が無くなってしまう。謂わば、秘書が情報を出さないのは、彼女から病院への忖度なのだ。
遥と総帥にとっては知ってる情報なのだが、梢枝たちにとっては有意義な時間だった。
以下、渡辺の挙げた情報を纏める。
災害の際、直接的に唾液……。いや、唾液内の成分である憂ちゃんβ(渡辺談)を与えてしまったが、憂自身が持つ成分には一切、問題が無かったそうだ。
この件では、渡辺が苦言を呈した。
島井は南部へ応援に赴き、渡辺も川谷も執刀中。そんな中での安易な行動により、憂ちゃんβが失われたら大きな損失である……と。
今回はギャンブルに勝った結果、憂の爆発的な支持率アップに繋がったから良いものの、以降は控えて貰わなければならない。
総帥も秘書もしかと頷いたものの、憂の決定であれば強くは逆らわない事を言明。小さなしこりを遺した。
完全に同一方向に進むことは難しい。そう考えされる場面だった。
因みに、いつまでも憂の成分に正式名称が付けられていない理由。
これは待っているのである。研究サイドからの発表よりも、正式な名称が必要だと世論が盛り上がる瞬間待ち。
世論が盛り上がれば、続いては名称を公募する予定だ。
誰しもが関わるチャンスを与える。これも味方を増やす戦略であり、遥が強く勧めたものだ。
渡辺は最後に患者について触れた。
憂の血液を与えた2名の内、1名は未だ意識不明。再構築を起こす事もなく、ただ静かに一般病棟で眠り続けているそうだ。
もう1名は、生死半々の可能性を見事に生き抜いた。
頭部に損傷を負った少年は、もう半月すれば退院出来るだろうと。
そのまま亡くなっても不思議では無かった2名中1名は回復。もう1名も命を繋いでおり、憂ちゃんαのお陰だとも言える状況を確保した。
それよりも憂ちゃんβの効能は便利が良く、美優、凛が与えた血液は、被災者に十分な効能を示している。
他者である美優たちを介して、βを与えられた者は追加調査により、βの増殖は認められなかったが、怪我の早期治癒に成功している。
βの増殖無し。
この情報の意味合いは大きい。
もしも憂以外のβ保持者が献血する事により、βを増殖することが可能となれば、憂は単なる一次……となり、憂が居なくとも二次、三次と爆発的増加を見せる事になる。それが防がれた形であり、総帥はともかく、『連合』は胸を撫で下ろしているだろう。
今回、憂の唾液からβを得た者は小さな子どもたちに限られた形なのだ。
そもそもβのそんな効能の発見が遅れた理由は、臨床試験まで漕ぎ着けられていなかった為だ。
それが美優の告白から調査開始。
人体への影響が知られるのが遅かった。爆発的増加は他者に与えられた場合に起きているのだ。マウスに与えても変化しなかったモノが。
そんなβについては、今後は大きな研究テーマとして調べられていくだろう。
「では続きまして私から」
梢枝の隣りに座る者が立ち上がりもせず、発言する。
VIPルームに椅子を運び込んだだけの会議だ。面子は重いが堅苦しいものではない。
「本日はTSKからの出席がありませんので、代わりとなります」
憂や千穂の警護について……が、少々ややこしい。
梢枝と康平の所属は小さな探偵社である。元々、学園潜入の任務から開始された2名だ。警備会社であろう筈がない。
よく憂の周囲を固める私服・黒服のSPは蓼園綜合警備の所属なのである。
「分かりました。今後、TSKの者は毎回出席と致しましょう」
「助かります。それでは報告です。立花 憂さまへの敵意は、もはやほとんど感じられません。それに準じ、漆原 千穂さまの脅威はゼロ……には出来ませんが、一般人と同等程度のものとなりました。鬼龍院の報告によれば、立花一家全員も漆原さんと同様です」
「……ギャンブルも必要なんですかねぇ?」
「分の良いギャンブルでしたら積極的に仕掛けるべきです。今回は勝率99%を超えるようなギャンブルとは言えないレベルのもの。その見返りとしては莫大な益であったと考えます」
秘書と脳外科医の発言時とは異なり、口出しされているが、力関係の問題では無い……筈だ。
疑問や意見がポロポロと零れ始めたタイミングなのだろう。
「総じると、より安全になったと言えます。以上です」
「警護の体制は状況に合わせ、順次、弱めております。立花家の祖父、祖母に至っては既に解除済み。ご友人方も千穂さまを残すのみです」
秘書の言葉に主は嗤う。
どうだと言いたいのだろう。
事実、発覚した時点から考えてみれば、半年ほどで大きく様変わりを見せている。これには、病院にも学園にも一定の成果がある……が、やはり蓼園商会の果たした役割が大きい。
「良い傾向ですね。当初、私の考えた平穏とは異なりますが、その時は近いのかも知れません……」
考え深げに感想を語ったのは島井だが、まだ早い。もう1人、報告するべき者が残っている。
「そうですねぇ……」
梢枝もそれを解っている。
10代でありながら、この面子の前でも自分を崩していない。
彼女は元々持ち合わせていた胆力を更に強靱な物とした。
発覚直前、他の誰もが知らぬ総帥・総帥秘書との戦いに於いて、勝利一歩手前まで押し込んだ自信が彼女をより一層、強くした。
「学園生活は順調そのものです。危険を顧みず避難指示の中、行動を起こした結果、最大のリターンを得ました。
これに関して、病院側に1つ質問ええですかぁ? 5月、連休明けのオペの予定はどうなっておりますかぁ? 1月には圭祐さんに400cc……。同じく4月初旬に400cc。女性の年間献血量は800ccと定められており、明確に違反する事になりますえ? 何のお咎めも受けていませんが、女性の献血スパンは16週間を空ける必要があり、こちらに至っては既に違反しておりますわぁ……」
「それ! ちょっと困ってるんだよねぇ……。川谷先生が動いて下さっているんですけどぉ……」
「憂さんならば、1ヶ月もあれば、悠に回復出来るのですが……」
島井と渡辺の表情が翳った。名前を出された川谷も明るくない。
「医師会は私の為に動きません。立花 憂さんは既存権益を乱す存在であり、彼女の研究をごり押ししている私どもは目の上の瘤。
しかしながら、足並みは盛大に乱れており、私に擦り寄る者も数多い。怖れる必要など何もありません……が、法律となれば話は別です」
「遥くん?」
川谷の発言が終わると、この中で一番、恰幅の良い男が自身の部下を顎で指した。
「はい。この件に尽きましては政権内部より対処中です。特例法が密かに議会を通過するでしょう。もしも野党が噛み付いたとすれば、人道的な観点から訴える予定です。
5月に憂さまの血を求めている相手は、余命の少ない幼い少女。古い法律と現存する命を秤に掛けます」
「……こわっ」
渡辺の声が漏れた。
総帥の権力は法律さえもねじ曲げてしまうと考えてみれば、怯えの声も上げてしまうだろう。つくづく、味方で良かった……と思わせる男である。
「……憂くんに法律など不要だ」
「肇さま?」
「閣下?」
不用意な発言だ。ハイセキュリティに守られたVIPルームなので、外部に流出するような事は無いだろうが、強すぎる発言はここの少人数でさえ、綻びを生じる。なので、秘書と院長が窘めた。
「ふん。気にするな。単なる独り言だ」
そして、また嗤う。
まだ策を用意しているのだろう。そう思わせる嗤いだった。
「ところで梢枝ちゃん?」
「はい?」
乱れた空気を調整するのは、この会議では渡辺だ。
彼は独自の考えを持ちつつ、周囲に気配り出来る。そんな有能な人物だ。
しかし、総帥たちの中では評価は過剰に振れていない。独断専行の素養を持つと警戒されている。
「生徒会長さんは大人しい?」
「……えぇ。貴方の仰った通りです」
東宮 桜子。
以前、手に負えない相手だと匙を投げただけに梢枝の言葉も弱い。
「そうだろうねぇ! その桜子ちゃんは長い目で戦う決断をしたんだ! 決して、精神に異常をきたした人物じゃあないよ。完全に状況を把握して動いているんだねぇ。
だから身内に裏切り者が出た瞬間、方針を変えたんだ。負けないようにね。
今は雌伏の時なんだよぉ。彼女にとってはね。
これから先、彼女は憂ちゃんにとって有益な行動を取り続けて、いずれは話を持ってくるんだよぉ? 気を付けてね? 騙されちゃダメだ。全部が特殊性癖の為の行動って思っていいよぉ? 秘書さんの調査結果からみた僕の分析に依ると、彼女は生粋のサディストであり、ネクロフィリアなんだ」
……長々と語り、断定したがこれは渡辺の予想であり、勘だ。
こういった処が完全な信頼を得られていない理由なのだが、本人は気付いていないだろう。
「ご忠告感謝しますえ? ですが、遥さんは変えてしまうべき……。そう仰いました。総帥閣下もそうお考えですよねぇ?」
「そうだ! 桜子くんと言ったな? その娘は憂くんと話してみるべきだ。何度も何度も話せばいい。彼女は人を変える。儂も遥くんも変えられた。島井くんもだろう? 1対1にさえせねば良い。ただそれだけだ」
「反対ですっ! ナイフでも隠し持っていたらどうするんですか!?」
「先程、貴方が分析結果を披露して下さいました。見解は概ね、私どもと一致しており、対処法が異なるだけです。そもそも矛盾が生じております。渡辺さんは生粋のサディストと仰いました」
「ですがっ!」
……こうして、会議は紛糾していく。
ここの大人たちは全力を投じ、今後について考え抜いている。
しかし、憂の行動は突拍子のない事も多く、総帥・蓼園 肇や院長・川谷 光康でさえ、振り回されているのが現状である。
彼女の行動は誘導する事あれど、極力、思うがままに任せている。まるでそれが最大のプラスを運んでくると言わんばかりに。
……そんな憂は本日、病院の下のフロア。入院病棟を訪問している。現在地は小児フロアの談話室。妙に堅苦しい名が付いているが、パステルカラー満載で、遊具や玩具も転がっている。そんな子どもたちの憩いの場で憂は、直座りだ。床にはウレタン素材のマットが敷き詰められている。
そんな憂には、姉と専属から1名、裕香。更には黒服が2名、付き従っている。
「ちょうし――よさそう――」
訪れる階は大抵がこの小児フロアだ。
今も例に漏れず、病魔と闘う子どもたちに囲まれている。
「そうだね。今日は……体が……軽いんだ」
一般のフロアには近付かないほうが良いと、島井に釘を刺されてしまった。
術後の痛みに耐える者にとって、痛み止めよりも早期の治癒を促進する唾液に有り難みを感じる。
命掛けのオペが控える者にとっては、憂の血は垂涎ものだ。
憂は、外では多くの一般人の目に守られ、外歩きも可能となったが、逆に院内では危険度が増してしまっているのである。急に手術の傷を見せつけられ、舐めろと言われかねない。
「なおると――いいね――?」
話している相手は、訪問の度に会う少年だ。
この少年は憂の体を気遣っており、憂に妙な依頼をしない。
「……うん」
微笑みかける憂に、少年はゴクリと喉を鳴らす。
何度も何度も話に来てくれた。話を聞いてくれた。微笑みかけてくれた。
そしていつしか芽生えた恋心。
「あのさ……。治ったら……」
治ったら……。
治るとすれば、それは腎臓の提供を受けた場合のみだ。
1つだけ残された腎臓も病魔に冒されている。
「なおったら――?」
小首を傾げ、見上げる女の子座りの少女に……。
「ううん。なんでもない」
少年は言わなかった。
治ったら伝えればいい。
運良くドナーが現れ、運良く定着し、運良く退院することが出来たのならばその時に。
何よりも読み耽った小説内で出てきた『フラグ』になってしまうような気がした。
俗に言う死亡フラグだ。
「つらいの――?」
「ううん。言ったよ? 調子いいって」
心配顔……どころか涙目に変化した綺麗な瞳に吸い寄せられる。
何も考えていないように見える少女は世間の注目を浴びている。
思う事は多いにあるだろうと思う。外野や味方に振り回されても少女は素直だ。感情に直結している部分があることは今まで接した事で知っている。
一生懸命でありたい。目の前の全力で生きようとする少女のように。
「おねえちゃん、あそぼー!」
「え――? ――うん」
「もう1点。お伝えしておくべき事がありますわぁ……」
VIPルームの紛糾は落ち着いたようだ。
桜子が接触を求めてきた時、これに応じる。こう結論付いた。要するに総帥派の勝利である。
「ネットの底で厭な噂が流れ始めていますえ? 遥さんはご存じの筈です。手を打ったのですかぁ?」
憂に関するスレッドは乱立している。
真偽などどうでもいい書き込みが日々、山のように投下されている。
「いえ、静観しております」
「なんだ? 詳しく話せ」
梢枝が挙げたのは、そんな憂の名を匂わせるスレッドではなく、美容に関する所だった。
「憂さんの血で永遠の美を得られる。誰が妄想したのか知りませんが、そんな偽情報です……。人間、何百年経っても変わらないのですかねぇ……?」
欧州での古い話だ。
かつて、若さを保つ為、処女の血を求め、殺戮を繰り返した女性がいた。
血を浴槽に。それに浸かった。
それを憂の血で行えば……などと言う、突拍子もない噂だ。
実行した者など居ないにも関わらず、生じた噂だ。
「美しさかぁ……。厄介ですねぇ……」
「取り締まる事も出来ん。流した者に直接当たれ」
「畏まりました」
「では、その噂が立ち消えるまで、警護を強化……ですか?」
「うむ。憂くんには必須だ。腹立たしい。撒いた主を儂の前に引き摺り出せ……」
抑揚の無い声が印象的だった。
……こうして、周囲の警護が解かれていくのに対し、憂自身の警護は緩む事がない事が決定された。




