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144.0話 それぞれの想い

 


 ―――10月17日(火)



(……たくよぉ……。憂はまだ返事くれんし。宙ぶらりんじゃねーか……)


 圭佑はNBAの録画を視聴中だ。いや、録画された映像が流れているだけだ。圭佑の目には映っているはずだが、頭には映像は浸透していない。


(もし、OKしてくれたら、あいつらに……)


 何を言われるか分かったものではない。振り切ったはずのその呪いは、彼の心に影を落とす。


(……決めただろーが。そんなん関係ねぇ)


「んく……んぐ……んく……。プハァァァァ……」


 葡萄の炭酸飲料を一気飲みした。少し涙目の圭祐が。そんな()は求められていない。


(優な……。夢を見せてくれた。藤校中等部(あそこ)に勝った試合だって、チェック厳しくて削られてよ……。それを指示しやがったうるせぇ監督さん、殺してやりたいくらいにムカついて……。それでも泣き言1つ言わずに……。それどころかキレそうになる俺を抑えてくれて……)


 リモコンを手にし、電源を切ってしまった。西海岸の大好きなチームの試合の音声が何故か煩わしく感じた。


(俺は憂が大切だ。あいつが笑ってられんだったら、俺は何でも出来る。男の時だって、そう思った事あったろ。あいつは最高の仲間だったじゃねーか。それが女になったんだ。だったら交際したって何の問題もねーだろうよ!)


 今現在の憂の姿を脳内に描く。それは初代の制服を着た、いつも以上に幼く見える姿だった。


(……女子小学生かよっ! 俺って、そんな()、無かっただろっ!)


 ガリガリと頭を掻き毟った。


(そっちの方で白い目を向けられる可能性もあったか……)


 圭佑は返事を頂くまでは、苦悩の日々となってしまうのかも知れない。






「めぐ? 今日、どうする……?」


 蓼園総合病院の裏手に聳え立つ高層マンションの上階の一室。幸せいっぱいの新婚さんが住んでいる。食後らしい。テーブル上の汚れた食器がカチャリカチャリと片されていく。


 ……憂の入院していたVIPルームは表側に面している。だからこそ、VIPルームからは見下ろす建物ばかりなのである。実は反対側……。廊下側に目を向けると、このマンションが存在感を示しているのだ。


「……うん。しよっか」


 ……何の話だろうか? 気にしないほうがいいのだろうか? やけに恥ずかしそうにもじもじしている。


「あの子たちみたいな子どもが欲しいね」


「あの子たちって、憂さんと千穂ちゃん?」


「……うん」


「高望みかもー? すっごくいい子たちなんだから!」


「2人の事、聞かせてくれる?」


「ダメー! 絶対に教えられませんー! 守秘義務遵守だよ……?」


「……そっかぁ……。ま、仕方ないか」


「……ごめんね」


「いいよ。それにしてもめぐがこんなに明るくなるなんてなー。1年前は死にそうな顔して仕事行ってたのに。憂ちゃんが変えてくれたの?」


「言えないってば」


 しつこい旦那に困り顔だ。話を変える為か「死にそうだったのは……1年と……数ヶ月前かな?」と言葉を継いだ。話を逸らすコツを恵は知っているのだろう。


「そうだっけ?」


「うん」


 ……完全に食器を片付ける手は止まっている。家事スキルはまだまだらしい。千穂にも遠く及ばないだろう。


 旦那は、そんな恵の手伝いを始めた。良い事だ。


 末永くお幸せにどうぞ……。







「ほら。目ぇ、瞑っとけ?」


 勇太は弟と入浴中である。これから頭を洗ってあげるらしい。


(憂って、自分で頭洗えるんか?)


 バシャーと容赦無く、必死に息をとめる小さな頭にお湯を掛けた。


(なんかお姉さんと一緒に入ってるんだっけか?)


 どこから仕入れた情報か? 佳穂辺り怪しい。

 思考は兎も角、手は動く。シャンプーのボトルを弟の頭上に掲げ、てっぺんをひと押しした。


「ほら、自分でわしゃわしゃしろ?」


「うん!」


(お姉さんと一緒? あの美人な姉さんと!?)


 湯船から洗面器でお湯を掬うと自身の頭に豪快に掛けた。シャンプーをワンプッシュし、手に取るとガシガシと洗い始めた。


(なんか、羨ましい生活してんね)


「勇にいちゃ、おわった!」

「もっとしっかり洗えー?」

「えー?」

「ほら。もう1回」


(……そうでもねーか。バスケ、たいぶ出来るようになったけど、全盛期にゃ程遠いし……。何よりセーラー服、常時着用だぞ!? 水泳の時とかアレ着てたんだぞ……。うわ、泣けるわ……)


「よっしゃ。じゃ、ちょいと目ぇ瞑れ?」

「うん!」


 弟の頭もガシガシと洗い始めた。弟は歯を食いしばり、耐えている。手加減してやって頂きたい。


(いやいや。今、考えるのはそこじゃねー。憂の事だ。憂っていえば……千穂ちゃんがどうすんのかな……って。千穂ちゃんの動向次第でオレと佳穂の今後も……って、なんか人任せみたいになってるしー)


「まだー!?」

「あ。すまん。流すぞー?」


 流す時にはシャワーのようだ。長い手を伸ばすと、座ったままシャワーヘッドを手にした。憂が見たら拗ねてしまいそうな便利さだ。

 ……座ったそのままで蛇口を捻った。


(オレ、あんな宣言しちまったけど……出来るんかな? もしも他の誰かから告白なんぞされたら……)


「掛けるぞー?」


 また容赦無くシャワーから流れる激しい水流を弟の頭に命中させた。


(んな事ねーか。告白なんかされたことねーし! される気配もねーし! 拓真の野郎は告白されたらしいけどなっ!!)


 彼は彼で悩んでいるようである。







「~~~♪ ~~~~~~♪」


 立ったまま、ご機嫌に鼻歌を歌っているのは千晶だ。勇太同様、入浴中……? いや、浴槽にお湯は張られていない。シャワーのみらしい。


(千穂が明るすぎて、ちょっとうざいかも。佳穂と一緒になってうるさい時があるから困ります)


 鼻歌がやんでしまった。本当に厄介だと思っているのかも知れない。親友だからこそ、そう思うのだと信じる。


(……千穂は悩みを吹っ切ったのかな? 空元気じゃ無さそうだけど)


 千晶は洗体の最中だ。ダイエットを始めてから、胸の差でグループ内で第2位のプロポーションとなり、現在も維持されている。


(何でもいいか! 千穂が元気だと憂ちゃんも元気! わたしも嬉しい! いい事ばっかりじゃないですか!)


 泡まみれの肢体が艶めかしい。濡れ髪で降ろされている黒髪は、普段の千晶よりも随分と大人らしく見せている。


(今のこの関係……。いつまでも続くといいのにな……)


 手を伸ばし、シャワーヘッドに付いているボタンを押すと、丁度良い加減でお湯が広がった。泡が流れ落ちていき、何1つ、隠すモノが無くなっていく。


(千穂と憂ちゃん。これから、何があっても2人を守っていこうね。佳穂?)







 康平は立花家周囲の最後の見廻り中だ。これが終われば後は、機械警備に任せるのみだ。


 ふと、オレンジ色の光を発する小窓を見てしまった。


(憂さんと愛さんの2人で仲睦まじく入浴中かぁ……。美人姉妹……)


 ヒュウとやや冷たい風が吹き付け、顔を顰めた。


(寒くなるときっついわ。ご一緒させてくれないもんかね?)


 ……頭をブンブン振り回した。

 薄暗い夜道だ。人が居たら逃げ出していたかも知れない。


(あかんって! 愛さんと憂さんの裸なんか想像するな!!)


 ひっひっふー。ひっひっふーと呼吸を繰り返した。以前にもしていたがそれはラマーズ法だ。用途が違う。


(愛さんか……。しっかりした年上の美人……。めっちゃ好みなんだよな……)


 この男、優れているのか愚か者なのか未だに判別が付かない。


(憂さんは可愛い。最強の美少女だ。後遺症の影響なんだが、一々、動作が可愛い。マジ反則だ)


 ……どこからか梢枝の声が聞こえた気がした。


(千穂ちゃんから憂さんを……? あの2人を引き離す? 無理だって。2人()幸せになって欲しいんよ。俺は……)


 ポケットから怪しげな機器を取り出し、その電源をOFFした。怪しい電波は存在しなかったらしい。


(そろそろ防寒対策せんとあかんわ……)


 ……思考に関西弁が侵攻している事を康平は気付いている。


(防寒対策しよっと……)


 思い直してみたらしいが、どこかオカマさんの言葉みたいになってしまった事には気付いていない。





 立花家の3件隣では中学生が入浴中だった。浴槽の(ふち)に頭を乗せ、考え事の真っ最中だ。


(千穂先輩と憂先輩って付き合ってないんだよね? 優お兄ちゃんが好きだって気付いた時には、もうお2人は付き合ってて……。すっごい仲良くて、諦めて……)


 美優は動かない。じっと天井を見上げている。


(優お兄ちゃんは今も好き……。憂先輩と一緒にいたい……。あたしって変なのかな……? 千穂先輩が交際しないのなら、あたし……。奪いにいっちゃうかもですよ? でも、千穂先輩って、いつも綺麗で可愛くて……。すっごく優しくて……。困ったなぁ……)


 浴槽の端に両手を掛け、立ち上がった。対象が女子中学生の為、ここまでとさせて頂く。





 佳穂は……脱衣中のようだ。これから入浴なのだろう。

 ……狙っている訳ではない。サービスではない。たまたまなのである。そんな時間帯だから仕方がない。


(るんちゃっちゃー♪ るんちゃっちゃー♪)


 彼女の躰は引き締まっている。まるでアスリートのように。


(おっふろー♪ おっふろー♪)


 彼女の胸は幼馴染に比べ、小ぶりだ。だが、スレンダーな体型に良く似合っている。


(今日も憂ちゃん、可愛かったなー! 千穂は夢を捨てるなよー! 千穂の中で結論は出たんだろうけどさー)


 白黒の縞々パンツを脱ぎ捨てた。お気に入りなのかも知れない。顕になったお尻もまたキュッと上を向いている。つくづく部活『興味ない!』が勿体無い。本気で何かのスポーツに精を出せば、今からでも大成する可能性を感じさせるほどだ。


(は・や・く。あたしと付き合おうよー!)


 ……能天気だ。佳穂は、どこまでも佳穂なのだろう。





 薄暗く設定された部屋でバスローブを身に纏っている。その中には何も着ていないだろう。

 ずんぐりむっくりとさえ、していなければセクシーと表現できたかも知れない。


 総帥・蓼園 肇は瞑想中だ。


(……あの入室記録から時間は経った。何もアクションを起こさないのは何故だ?)


 瞑目したままピクリとも動かない。


(突付くか? それはプラスか?)


 誰も居ない。秘書は既に向かいにある一室に篭ってしまった。


(全てを明るみに……。大丈夫なのか?)


 幾度となく自身に問い掛けた。何度、考えても行き着くところは同じだった。


(……儂の判断に間違いは無い。今までそう確信し、やってきただろう? とうの昔に引き返せない領域にまで踏み込んだ。覚悟を決めろ)


 そして、開眼した。あの全てを射殺す視線だった。彼がリモコンを掴み上げ、2,3操作すると、憂の映像が巨大なスクリーンに映し出された。

 すると、途端に好々爺のような目に切り替わった。


(初代制服とメイド服を着た憂くんを見に行かねばな。だが、少し梢枝くんが喧しい。変装でもしてみるか……)


 文化祭へ突撃するつもりらしい。


(……憂くんがメイド。悪くない。最悪、憂くんの意思に反すれども儂が雇うとするか)


『だらしのないお顔はお控え下さい』と幻聴が聞こえた気がした。





「最近は調子いいみたいだな」


「悪くないよ。でも、やっぱり難しいね」


 京之介は兄と語らっている。例によってテレビは点いているだけだ。


「作戦通りにやればいい訳じゃないからな。PGは」


「……うん。つくづく優の凄さを実感するよ」


 気弱な発言とは裏腹に、その両眼の奥底に炎が見て取れた。


「追い掛けるなよ? アレは天才だった。同じ事をやっても追い付けん。自分の形を探せ」


「……嫌だね」


「お前……」


 京之介は自身の道を優の辿った道に定めたようだ。吉と出るか凶と出るか。


(憂が教えてくれてるスタイルは、優のスタイルそのもの。僕は憂が望む優の形を継承したいんだよ)


 兄は「はあぁぁぁぁぁ……」と異常に長い溜息を聞かせてみせた。きっと……、わざとだろう。






 リビングで寛ぐ慈愛の人の足元に、小さな女の子が纏わり付いている。2歳と半分くらいだろうか。オムツで膨らんだズボンが何とも可愛らしい。


「……そろそろ寝ましょうね?」


「まだー! まだばあばとあそぶー!」


 言うなり膝の上へとよじ登った。瞳が大きく年齢の割に頬がすっきりしている。美人顔だ。将来性を感じさせるが、この頃に可愛ければ、将来可愛い……とは、限らない。不思議なものだ。


「言う事を聞かないと立派な人になれないのよ?」


「やー! あしょぶのー!」


 慈愛の人らしく、孫を優しく見詰めている。怒った様子どころか困った顔さえ見せない。蓼園総合病院で多数のナースを統べる看護部長は、怒りに身を任せない。ただ諭すのみだ。


 ……子どもの教育にはマイナスかも知れない。


 我が子のわがままっぷりに、隣に座っていた幼女の母が立ち上がった。


「ばあばにワガママ言わないの。お部屋行くよ? お義母さん、すみません……」


 幼女の母が抱っこすると「わかったー」と抱きついた。比較的、聞き分けの良い子なのかも知れない。


「いいえ。大丈夫よ。子どもは元気が一番だわ。ゆきちゃん、おやすみなさい」


「ばあば! おやすみー!」


 息子の妻と孫に手を振り見送った。


 ……リビングに1人切りとなると、慈愛の人のシンボルが崩れた。影のある顔を見せるようになってから1ヶ月以上経過している。







 ブォォォとけたたましい音と共に、細く柔らかな髪が靡いている。


 ……それは、憂にとっての至福のひと時だ。


 うっとりと目を細める妹に愛もどこか楽しそうだ。髪は乾いた。乾いているが、冷風を当てている。普段は、乾くとすぐに終了している。そんな気分なのだろう。



 ……やがてその音が尾を引きつつ、やんでしまった。


「髪質……。少し、変わったね」


「――そう? ――わからない――」


「あんたは自分でほとんど触んないからね」


 毎日のように触っているからこそ変化を感じたのかも知れない。

 以前より、憂の髪は落ち着いたように思える。幼児の髪が児童の髪へと変質していくように、ふわふわだった髪は直毛に変化してきた。色も次第に濃く変化してきている。


 ……憂の髪は一度、全て抜け落ちた。そこから再び伸びてきたのだ。鋏を入れた事の無い童子のような頭髪をしていたのは、その為だ。髪質は目下、成長途上なのである。



 早口だった愛の言葉に小首を傾げていたが、理解を諦めたのか元に戻した。不満げな顔は微塵も見せていない。憂は朗らかな表情をしている。


「良い事……あった……?」


 少し間を明けた後、微笑み、返答する。


「千穂が――げんき――」


「そっか。そりゃ、いいね」


(千穂ちゃんはどっちに結論出したんだろーね。私に言わないって事は……やっぱり、憂にはきついほうの選択なのかな……)


「あんたはええんかいっ!? 自分に正直になってもええじゃないんかいっ!? 置いてかれてから文句言うなよっ!?」


「――お姉ちゃん?」


 流石にポカンとしてしまった。妹に捲し立てても聞き取ってはくれない。理解には至らない。


(女の子してないと危険なんだけどさっ! ……女の子にしたかった……。そうするべきだと今も思ってる。そうしないと危険だから。でも、千穂ちゃんとの繋がりは途切れさせたくない……)


 ドライヤーを再度、ONすると自分の長い髪に向けた。


(勝手だなぁ……。私って……)


 すぐにドライヤーをOFFした。ドライヤーの音で言葉が掻き消されてしまう為か。


「明日……忙しいよね? 寝なさい……」


 話題を変えると小首を傾げる。千穂から教わった通りだ。


『反応が早い時って、その事を考えてる時なんだと思いますよ!』


(……例外もあるけど、ほぼ正解っぽいね)


「――はーい」


(ちょっち悔しいかも)


 また騒がしい音がし始めた。憂は気にした素振りを見せず、シルクのシーツに身を埋もれさせた。


 ドライヤーをBGMに眠るのは難しそうだ。


 ……いや、問題ないのだろう。睡眠に関しては同学年の中でTOPクラスであろう憂なのだ。




 彼女が朝、目を覚ますと文化祭が幕を開ける当日だ。



 ―――それは蓼学最大のイベントなのである。



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