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101.0話 サイコパス

 


「千穂!? 康平くん! それなに!?」


「千晶さん、落ち着いて……」


 そう声を掛けつつ、梢枝は康平に歩み寄る。慌てず騒がず……、静かに歩み寄ると赤い巾着袋を覗き込んだ。勇太も追従する。勇太は絶句し、梢枝も美麗に描かれた眉を歪めた。


 拓真は封筒から一枚の便箋を取り出した。封印はされていなかった。千穂の下駄箱に入っていた手紙だが、誰がどう見ても緊急事態だ。よって開封したのだろう。


 2つ折りにされた便箋を開くと、直後に拓真の眉がピクリと動いた。しっかりと読む必要の無いほど短い文面らしい。


「拓真くん……それ……」


 背後から覗き込んだ佳穂の声が、微かに震えていた。巾着袋の中身をその文面で察したのだろう。

 拓真は何も語らず、康平の元に近づいていった。梢枝は勇太と違い、顔色1つ変えて居ない。一瞬、顰めた眉も既に元通りとなっている。


「……どうする? 警察を頼るのか?」


 拓真は手紙を護衛2人に向け、開いて見せた。


【ネコニアキタ】


 太字のサインペンで書かれたと思しきカクカクの片仮名。

 たったこれだけの文面だった。


「それって……」


 勇太は言い淀んだ。それを口にするのは憚られたのだろう。




 そう―――それは―――


    ―――殺害予告―――。




 ……とも受け取れる内容だ。


 ちらりと見せられた、その手紙にあからさまな嫌悪感を見せた千晶は、「千穂……大丈夫?」と声を掛ける。しかし、千穂に反応は無かった。千晶の半袖セーラーの袖口をギュッと握り締め、セーラーカラーに顔を埋めたままである。


 拓真は憂と千穂の両名には見せないようその手紙を閉じ、封筒に戻した。

 憂はいつの間にやら千穂に寄り添い、彼女の背中をそっと撫でている。憂いのある表情だったのが印象的だ。


「お姉さん……。申し訳ありませんが、学園までご足労願えますか?」


 静まり返ったC棟玄関。その中で梢枝の声が響いた。愛に電話中のようである。


「……これ、どうすんだよ?」


 沈黙に耐えかねたのか、勇太が口を開いた。


「ちょっと待ってくれるか?」


 康平の素の物言いに勇太は再び口を閉ざした。梢枝の声しか聞こえない。逆を言えば、梢枝の声だけはある……。それでも痛いほどに感じる静寂が、状況を物語っていた。





「どうするか……。ウチらとしては、警察は出来るだけ頼りたくありません」


 通話を終えた梢枝は早々に切り出した。通話中に聞いた勇太の質問への回答だ。


「でもよ」


「言いたいことはわかります。もちろん、当事者の千穂さん次第です。その手紙とあの巾着を届け出れば、間違いなく、警察は動いてくれます。何度も報道されているほどの事件ですので」


 梢枝のいつにない真剣な声に千晶は頷く。


「千穂……?」


「ん……」


 返事はあった。顔は上げられず、か細い声だったが、幾分か落ち着きを取り戻したようだ。

 千晶は封筒に目をやり、護衛2人に目線で問い掛けた。手紙の内容を伝えるべきか判断が付かないのだろう。千晶も話してみれば大人びた雰囲気を感じる少女だが、大人びているだけの15歳の少女なのである。年長者に判断を委ねたとしても致し方ない事だ。


 梢枝と康平の視線が交錯する。


 ……数秒後、康平が口を開いた。


「やばい奴に目を付けられた。だが、俺達には憂さんの問題がある。警察は出来れば頼りたくない。この件は俺達の会社に連絡し、万全な体制を構築する。蓼園さんの力も借りる。確実に動いてくれるか判らない警察よりも俺達を頼って欲しい。千穂ちゃんの身の安全は保障する。どうだろう? 俺達に任せてくれないか?」


 千穂はようやく顔を上げた。泣いてはいなかった。泣くよりも何よりも衝撃が勝っていたのかも知れない。


「……それでいいよ。お願いします」


 血の気の引いた弱々しい表情だったが、はっきりとそう告げた。


 憂の問題。憂の戸籍には問題がある。詳しく調べ上げられれば埃が出る。それは何としても避けたい。これはこの場の全員の共通認識だろう。


「それで……いいのか……?」


 拓真は再確認の為、千穂の言葉を繰り返す。猫の事件はローカルだが、ニュースになっているほどだ。警察も重く受け止め、真剣に捜査してくれる事だろう。今回、何故、手紙が千穂に送りつけられたかは不明だ。可能性はいくらでもある。例えば、本命が憂であった場合。これが憂の秘密の漏洩に繋がりかねない最悪のシナリオだ。警察が本腰を入れ、脅迫文の送り主を確保した時、憂の名前が出ると非常にまずい事態に陥る可能性があるのだ。()の身辺警護2名はそれを危惧している。


「その手紙を見せて?」


 早口だった。憂には聞かせたくない。それだけに千穂の覚悟が感じられた。


 拓真は千晶の背後に回り込み、憂には見せないよう、そっと手紙を開いた。千穂はこくりと生唾を呑み込んだ。猫に飽きたと云うことは人を……と、認識させるには十分のメッセージである。それが自身に向けられている。その恐怖心は計り知れないはずだ。それでも千穂は言った。断言した。


「警察は頼らない。康平くん。梢枝さん。みんな……。お願いします」


 瞳いっぱいの涙を溜めた依頼に、彼らは力強く頷いたのだった。




 方針が決まった途端、梢枝は康平に指示し、自身はまたスマホを取り出し、通話を始める。


 そんな時に憂の姉がC棟正面玄関に到着した。千穂と康平は愛の車で帰っていった。「説明は車内でします」と言う康平を信じ、姉は何も聞かず、自宅へと車を走らせていった。


 梢枝は正面玄関に残った。他の面々は教室へと向かった。憂の存在は大きい。しかもメンバーの全員が不在となれば、騒ぎとなる事は間違いない。通話を終えた梢枝にそう促されたのだ。


 その後、梢枝は私立蓼園学園警備隊の1人と共に、例の手紙と巾着を手に何処かへ消えていった。




 その夜……。


 千穂の父・誠人(まこと)に憂の秘密を告白する事となった。


 千穂は愛と康平と共に、憂の家へと(いざな)われた。まさか、千穂の家へと送り帰せる訳が無かった。


 夜も同様だ。犯人(相手)が千穂の事をどこまで知っているか判らない以上、自宅は危険だ。帰す事が出来なかった。


 千穂は無断外泊をするような子では無い。理由が必要となる。その理由は作らなかった。憂の家族はそれを善しとしなかった。本来ならば警察へと通報する事案だ。

 そんな事件にも関わらず、警察へ通報しない。その理由として、憂の性転換の事実を告白したのである。立花家の誠意とも云えるだろう。


『千穂……。千穂が元気になった本当の理由は優くんだったんだね……』


 そう言って千穂の父は瞳に涙を浮かべた。


『今まで隠しててごめんなさい……』


 その言葉を聞いた千穂の父は何も言わず、千穂を抱き締めた。


 脅迫とも殺害予告とも取れる手紙については『そう言う事なら仕方ありません。蓼園総帥に全てをお任せします』と理解を見せた。

 彼はたった1人の家族。愛娘の希望に沿ったのである。


 こうして、また1人。憂の秘密を知り得た者は、増加したのだった。










【防犯カメラの解析は進んでますえ? 実行のシーンは映って居ませんが、怪しい者が正面玄関を出入りしています。真っ黒な衣装に身を包み、顔を隠してはりますが、スラックスの裾が見えてます。C棟以外の蓼園学園生でほぼ間違いありません】梢枝


【立花家の周囲には人を配置しております。良からぬ考えを持つ者は、容易には近づけません。ご安心を。しかし、私どもの手の者の中で憂さまに興味を持つ者の出現は否めません】秘書


【何を悠長な事を! さっさと捕まえんか!!】肇


【已むを得ません。千穂さんの安全が最優先事項です】島井


【あいつかも知れない。前に現れた自転車男だ。あの日も猫の死骸が発見されている】康平


【憂くんに興味を持った者は排除しろ】肇


【あの日、あの場所で自転車を乗り捨てはったんなら、遅刻か欠席しはってるはずですわぁ。その線から当たってみたいと思います】梢枝


【……それは更なる興味を抱かせるだけかと。肇さま? すぐに向かいます。1分ほど、静かにお待ち下さい】


【病院サイドとしては何も出来る事はありません。静観をお許し下さい】Dr.川谷


【いえ。とんでもありません。ありがとうございます】千穂の父


【その日の欠席、遅刻の者をリストアップしておきます。本来ならば守秘義務を果たさなければならない処ですが、案件が案件だけに学園長として全面的に協力致します】学園長・西津流


【本当に蓼学の生徒が……?】担任のリコ


【裏サイトの接続者も怪しいです。アレ(・・)が入っていたのは巾着袋でした】康平


【巾着袋は今では、蓼学生の大半がぶら下げてます。除外しても良いかと】梢枝


【裏サイトですか。蓼園グループと云えども外部の者には触れさせたくないですね。私が当たりましょう。可能性を感じたならば否定せず、調べるだけです。皆さんも怪しいコメントを発見したら教えてください】秘書


 憂の父【一ノ瀬さん、自らですか!?】


【はい。肇より許可は頂きました】秘書




 この日。大人たちと一部の学生の遣り取りは深夜に及んだのだった。当然ながら全体への告知はしていない。それはいたずらに不安を煽るだけだ。グループメンバーも身辺警護の2人しか参加していない。





 上記のチャットの数時間前、ようやくあの子が動いた。不穏な気配は感じていたようだ。千穂に向けられる気遣いの眼差しがそれを証明していた。

 彼女は延々と成り行きを見守っていたが、ついに限界がきてしまったらしい。あの一件から時計は半周以上。よく知らないままで我慢していたものだ。


 憂は気付いている。自分に教えてくれないと云うことは自分は知らない方が良い事柄であり、自分が知ったところで何の役にも立てない事を。


 それでも我が家に千穂と、その父と思しき人物まで居る。その不思議さが案外堅いその口を開かせたのだろう。


「千穂――なにが――あったの?」


「憂……。大丈夫……だよ?」


「おしえて――ほしい――」


「憂は……知らなくて……いいの」


「――わかった」


 しょぼくれながらも従順に従う憂だったが、言葉を追加した。


「でも――ボクが――んぅ?」


 そして、忘れる……。千穂も愛も家族も千穂の父・誠人(まこと)もじっと待つ。憂は今回、非常に長い言葉探しの旅を決行した。


 その間、実に15分と少々。夕食後の出来事だったのが救いか。沈黙に耐え切れなくなったのか『優くん?』……そう口を開こうとした千穂の父は、愛する娘に窘められた。

 千穂は待つ。愛は、なるべく待つ。この日は千穂への気遣いが滲み出ていた為、この妙な時間が形成されてしまったのである。



「めも――かして?」


 これが長い旅路から戻った直後の第一声であった。考えていた事を忘れる事は無かったようだ。


 すぐに剛が家の電話(家電)の横に常備してあるメモ用紙とボールペンを手渡した。そのボールペンでキーワードを書いていく。また忘れない為に……だろう。

 何度も繰り返すが、憂は話そうとした事を忘却してしまう。常々、気にしていたのだろう。

 必死の顔で一生懸命にメモしていく憂の姿は安らぎを与えたのだが、憂本人は周辺に気付かなかった。そんな事とは露知らず、メモ用紙と格闘を繰り広げていたのだった。


 壮絶な戦いを終えた憂は、ようやく全員に向き直った。


「またせて――ごめん――」


 ……自覚はあったらしい。みんながそんな憂に苦笑いとも違う、何やら不思議な笑みを見せていた。これが癒し系としての本領なのだろう。


 そこから先は辿々(たどたど)しかった。


 メモを見ながらの独白だ。言語野が破壊された憂である。仕方の無い事……だが、要点を纏めさせて頂くこととする。



 彼女は驚くことに千穂に起きた出来事の大半を理解していた。


 決め手は投げ捨てた赤い巾着袋と拓真が手にした封筒だったようだ。その時のグループメンバーの様子と言葉の切れ端を集め、事態の大半を把握したものと推測する。


 その上で、自身の秘密のせいで本来、頼るべき所を頼らない事に不満を漏らした。

 そこはすかさず愛も迅も千穂の父まで説得したが、それらを跳ね除け、彼女は言い切った。


「千穂に――何か――あったら――」


 その部分だけは真っ直ぐな凛とした物言いだった。


「ボクは――ゆるさない――」




 ……この言葉には2つの解釈が出来る。


 1つは正しい対応をしなかった周囲に向けての『許さない』だ。




 もう1つは―――『僕は僕を許さない』




 誰1人として、その言葉の真意を問い掛けることは出来なかった。例え、聞いてみた処で、はぐらかしたかもしれない。

 憂は本心を滅多に漏らさない。いや、()となり、漏らさなくなったのである。





 その3日後……。


 身辺警護とその会社、及び、遥を中心とした信頼できる『知らない』者たちは、犯人を数名にまで絞り込んでいた。


 そんな中、思わぬ情報が舞い込んできた。





  ―――『猫連続殺害犯の現行犯逮捕』





 犯人は梢枝たちの絞り込んだ内の1人だった。


 少年は早朝、康平たちの会社の張り込みを知らぬまま、ふらりと出掛けた。


 そして、3駅ほど離れた駅で降り立ち、その街で実行しようとした。


 今回の対象は犬であった。


 庭に鎖で繋がれた飼い犬はサバイバルナイフ片手の少年を前に、自身の危機を察したのか、あらん限りの力で吠えた。

 そのタイミングで尾行を続けていた男は退路を絶った。


 そこに既に起床していたらしく、家主が現れ、揉み合いとなった。

 そこに張り込みの男も突入。現行犯逮捕に至ったのである。


 何とも呆気ない逮捕劇であった。



 この日は一応の対応として、厳重警戒の体制を保ち、憂と千穂は通学した。

 佳穂と千晶に密かに付いていた護衛は役目を果たし、解除された。勇太も同様である。


 そして、放課後までに警察内部の総帥支援者から情報がもたらされ、晴れて通常下校となったのである。




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