部員補充譚2
テスト2週間前のこと。
「斉藤、話がある」
2年4組は騒然とした。それはよく分からない男子高校生が、我らがマドンナを呼びつけたからである。
涙は机の間を一切ぶつかることなく決められた歩幅で昭穂との距離をつめる。教卓のすぐそばでの話し合いは注目を集めたがそんなことどうでもよかった。何度目かの顔合わせだが、やはり何でこいつのこの冷たい眼差しは受け入れられ、自分のは駄目なのか一切理由が分からない。
「なんですか」
「宣戦布告に来た。今度のテスト、俺はお前の牙城を崩す」
「そうですか。勝手にどうぞ」
「そして俺が勝った暁には、お前に放送部へ入部してもらう」
「なんで私だけ損する形になるんですか。こういうやりとりはお互いになにかを賭けないと成立しません。それにあなたみたいな顔だけ知っている間柄の人間とは反故にされる可能性を考慮してなにも賭けません」
「顔は覚えてくれたんだな」
「それはそれはしつこい勧誘ですからね」
昭穂はこれまでに何度も涙を口説きに行った。その度に足蹴に扱われ、そして到底人間に向けるべきではない睨みをきかされていた。トンボの死骸より落ちてノミの死骸に向ける視線だったと記憶している。こんな日々を続けていては、常人では精神が持たなかったであろう。がしかし昭穂は鏡の前に行けば常に自らの反射に同様の視線を向けられるため痛くもかゆくもなかったのである。
そんなこと露知らず、涙のほうも胆力のある男であるというただその印象のみで彼の名前と顔を覚えていたのである。
「じゃあいいだろう。お前は俺からなにが欲しい。それともなにを失わせたい」
「放送部。今は確か有坂さんとの二人での活動になっていますよね。彼女のお話はかねてから耳にしています。ずいぶんと愉快なお嬢様とか」
「愉快ですめば世話ねえよ」
「仲は良いのですか」
「まあ、それなりには。去年の夏休みあたりからよく会うようになったし」
「そうですか。端から見れば恋人のようですけど」
「それは勘弁。どっちもその気はねえよ」
「お弁当を交換していたじゃないですか」
「あれは自分の弁当に飽きたから、らしい」
「体育のとき、紀伊さんの水筒を有坂さんが飲まれていましたが」
「スクイーズてのはそういうもんだぞ」
「冬場にされていたマフラーは彼女からのプレゼントだそうですね。ずいぶんと大切にされているのが窺えました」
「人からもらったものは大切に決まってるだろ」
やはり。斉藤涙は重傷だ。
彼女はあまりにも恋愛脳過ぎる。
昭穂は恐ろし過ぎてもはや笑いが込み上げていた。こいつはきっと男女の中を見れば片っ端から恋愛に紐付け、そしてその行動のすべてに意味を見いだそうとしてくる。だいぶ所か慧並の面倒な人間だ。
「あら照れ隠しもほどほどになされたらどうです。好きな人がいるのは恥ずかしいことではないですよ」
きっと自分がそうだから出てくる言葉だ。端から見ていたらこいつの露骨さはとんでもない。やはり姿見に恋しているのは間違いない。人は自分と同じ境遇の人間をほしがる。それは斉藤涙も同様だ。同じように恋の悩みを持っているものとそれを共有したがっている。
「面白いことを思いつきました。あなた有坂慧に告白しなさい」
この世に悪魔がいるとしたら、この眼前のくそったれがまさしくそうだ。
「お前な、好きでもないやつに告白しろって頭いかれてんのか」
「じゃないと私は条件をのみません。私に負けたら告白をする」
人として到底受け入れるべきではないこの申し入れを昭穂は承諾するかしないか、その逡巡の6秒間にあらゆる可能性が脳内を駆け巡る。これでもし負けた場合、俺は慧に告白しなければならない。それは罰ゲーム的なものでいくら仲のいい相手だとしても許される行為ではない。しかし、これ以外に涙を加入させる方法もない。いや、方法はいくらでもあるのだが、なるべく拘束力の強いものでないときっと彼女は入ってこない。彼女の言い訳にはできない。
慧に裏で協力を頼むか…
いやだめだ。
そこである一つの考えに行き当たる。相手に不快感を与えない。かつ涙の望みを聞く形にできる方法。
「分かったそれでいこう」
「決まりね。じゃあ簡易的な誓約書でも書きましょう」
涙は羽織っていたカーディガンのポケットに忍ばせていたペンを取り出す。育ちのいい彼女が持つそれはとても高価なもののように見えた。そしてそこら辺にあった学級案内を二つ折りにし、その真ん中に複雑な模様を書き記し、そして綺麗に二つに分ける。
「まるで勘合符だな」
「これで本物かみ分けがつきます」
「そこまで信頼できないかよ」
「それでは今から読み上げる文言を一言一句間違えることなく書きなさい」
私は、 以下の内容について双方合意のもと契りを交わす
・斉藤涙に負けた際、今後一切の勧誘を自粛し、貴殿は一切の理由を問わず有坂慧に告白をすること
・告白の際は斉藤涙を現場に居合わせ、一部始終の公開をすること
・この契約を反故にした場合、斉藤涙が取り消しを命じた場合を除き、いかなる理由があろうとも放送部の活動停止、及び解散を求める
・この契約は試験当日までに紀伊昭穂からの直接の申し出があった場合に破棄することが可能である。
「これだけか」
「これだけって。私だって鬼じゃないわよ」
これだとありがたい。ここには時間の制約が書かれていない。であれば卒業間近まで引き延ばすことが可能だ。以外と詰めの甘いお嬢様だな。しめしめ
「では次に俺の言うことをそこに書き記してもらう」
私は以下の内容について双方合意のもと契りを交わす
・齋藤涙は1学期中間試験において紀伊昭穂よりも下位の成績を収めた際に放送部へ入部すること
「それだけ?」
「当たり前だ。俺の狙いはそれだけだ」
「私が断ったときのペナルティは」
「こっちが無理言ってるんだからそんなのないに決まってるだろ」
そんな心優しい男ではない。昭穂は内心ほくそ笑む。お互いに契約書を交換し、昭穂は胸ポケットにそれをしまった。これで放送部は存続できる。
今必要なのは人間としての寛大さを示すこと。それのみである。




