上がる煙と割れる仮面4
学校内でのいざこざは表面化されにくい。それはどのような学校でも抱える問題ではあろうが、明澄は秘匿化されていると言っても過言ではない。それは偏に、みなが明澄のそのブランディングを大切にしているからだ。ここに来ている学生は、明澄の名を欲している。その名前が穢れるようなことをのぞんでいる人はいない。だから、もしいじめがあろうと、傷害事件が起きようとも、だれもそれを表沙汰にはしない。すべては学校内で完結する。
端から聞けば異常であろう。だがしかし、その場の一員としていざ当事者になれば、皆同じ思考に走る。
「ほんとくだらねえな」
昭穂はうんざりしていた。そんな浮かない表情では雲間から差す日光を見ても、希望の1つも見つからないのだなと、しみじみとしていた。
駐輪場は、ペトリコールに支配されていた。昭穂たちは校舎にもたれかかってアスファルトの上に座っていた。汚れることなんて気にせず、ただその空気にさらされていた。
「そうだね。ここはゴミ箱だ」
慧はアシカが芸を披露するみたいにペットボトルを加え、首の動きだけでその内容物を飲み始めた。あまりにも上手に飲むものだから、ちょうど上を向いたときに掴んでみる。そうすると溺れるみたいにもごもごとして、そして口元から首筋へと内容物が零れていく。それをぼうっと眺める。
そしてついに蹴りが飛ぶ。ブレイクダンスさながら、回し蹴りなんていつもの間抜け具合からは想像がつかない機敏な動きがなぜできるのだ。カポエラの心得でもあるのか。
「なにするんですか!陸地で窒息って私は魚ですか!肺魚ですか!」
ぜーはーと荒い息をしながら、慧は躍動感ある姿勢のまま話を始める。
「タマちゃんかと」
「それはゴマフアザラシ。私はヒト科ヒト目、サヘラントロプスチャデンシス!」
「それは猿人だ」
「知ってますよそんぐらい。1位になって高飛車になってるんですかアウストラロピテクスくん」
慧は昭穂のポケットを弄ってハンカチをひったくるとそれで口元を拭いはじめた。
「だいたい、こっちは真剣に考え事をしているんですからね。こうやってあなたがふざけている時間もかずまくんは殴られた傷がうずき、化膿し、そこから顔面が壊死してしまうかもしれない恐怖と付き添っているんですよ。これはゆゆしき事態です」
「それで何か答えは出たか」
「いえ。でも、いいアイデアは浮かびそうです」
「そうか?俺等からはできることはないだろ。誰かが暴れたらそこに火消しに向かうぐらいしか手の打ちようがない」
「まあ、かずまくんはあなたと違って友だち多いですし、問題が起きたことさえ知らせることができれば助けてもらえますよ。だから私たちは彼から目を離さないことが大切」
「それはそうだな。でも、毎回助太刀するわけにも行かないだろ」
「そこはもう少し頭使いましょうよ。かずまくんは人気者なんですよ、ていうことは東風派にもお友達は多くいると思います。それも運動部とかいう野蛮な一族が。彼らさえ味方につければ怖いものなんてありませんよ。だから私たちがしないといけないのは放送部に彼をとどめること」
意外にも慧の言っていることはまともだった。
「きっと、彼は退部するって言うと思います」
きっと、というよりもたぶん絶対に。昭穂は自分が彼を勧誘したときのことを思い出す。屈託の笑みで、まざまざと見せつけられた愛嬌と人当たりの良さというやつは、彼の天賦の才だろうか。それとも後天的な才能なのか。
「放送部?何でまたぼくに」
初めて会話をするというのに砕けた物言いで、そして柔らかな笑顔で、昭穂の目を見てくれた。その瞬間に自分の目に狂いはなかったのだと直感した。
「お前、サッカー部辞めたんだろ」
「まあね。怪我して、今までの感覚が戻らないんだ。そこまで重症じゃないんだけど、試合に出たら迷惑しかかけないしね」
「なら暇だろ」
「酷いこと言うね」
慧を真似てみたがこれは間違いだったのかと、すぐに気づく。そんな失礼な物言いも彼はただ笑う。
「暇なのは確かだ。でもね」
きっと自分の家族の問題で躊躇っているのだろう。昭穂はその重みがよく分かっていた。家族というどうしようもない存在の重みというのも彼もまた知っていたからだ。それでも昭穂の計画に彼は必要だった。隠し球。万が一における最終兵器。そう呼べば大げさだが、時と場合においては一番重要となるピースだった。もちろんそれに並ぶ比重で、斉藤涙への交渉材料という役割もあった。
「昭穂くんは、涙が目当てなんでしょ」
まあ、バレるよな。
「それは半分正解だな。ニアピンだ」
「半分でもぼくにとってはすべてだ」
その言葉の意味が分からなかったが、そこにはきっと彼の大切な気持ちがこもっているのだろうというのだけは分かった。
姿見かずまの姿が昭穂の目に歪に映っていた。それは一見円のような綺麗な形だ。でも近くで見れば角があり、それを知れば全体が歪んでいった。絵に描いたような聖人には裏があると思いたいからかもしれない。そしてそれもあながち間違いじゃない。でもやはり心配にも思っていた。この男のすべてが分からなかった。
「明澄に居場所ないだろ」
だから口を吐いたその言葉の真意を、きっと姿見はくみ取ってくれたのだろう。
「まあ、いいよ。でも1つだけ約束してね」
そういって健康的な白い歯を見せる。そんな彼を思い出す。
笑ってばかりだ、あの男は。




