部員補充譚 息抜き3
向かい合った2つのソファに分かれて座るそれぞれ。
中央のローテーブルに並んだタングステンの細い棒、それこそが彼ら彼女らの命そのものであった。この仁義なき戦いの末に見えるものは何もない。この無益な戦いからしか得られないその誉れこそが、闘志滾る双眸が見据える先に存在する唯一の証である。信頼できるのは己が歩んできた人生、その他にない。
ここはコロシアム、どよめく歓声と唾を飲む音が昭穂には聞こえていた。
「俺からいかせてもらう」
・背が高い
「初めはやっぱり様子見ですね」
慧がその上に重ねる。
・コピー機のものまねができる
昭穂のアイデンティティは思考の余地なくコピー機のものまねに敗北した。
「そうだね。でもちょっと上げるよ」
・絵がかける
「かずまくん絵かけるの!」
「うん。ちょっと上手いぐらい、かな」
姿見はなんてことないようにカードの裏に雀を描く。小さな命がそこに芽生える。サラサラとその姿が露わになると慧と昭穂は声を上げた。
「かずまの特技のあとなら、これぐらい出さないとね」
そういって涙がカードを重ねる。
・クレー射撃 全国大会出場
「面白いことしてるな。弓道とかの方がイメージがつきやすいが」
「弓道は昔触れたときにミミズ腫れができてすぐやめたの」
なるほど、これはいい。人の知らない一面がこんなに簡単に分かるなんて。
1回目は涙の勝ちであった。流石に全国大会よりも強いカードはあまりない。
「それじゃあ、勝者の私から。弱いの出すから安心して」
そして彼女はカードを切る。細い指につままれた一枚のカード。その内容に皆が注目し、その緊張にも似た期待は忘れていた童心を思い出させた。遊びとはこういうものだったのだと。
・こいたろうが優勝した
「妹さんのこと?何の大会に出てたの?」
「弟だろう」
「うるさいですね、分かってますよ。あえてです、あえて。これでもし妹さんだったら分かる女、て思われるじゃないですか。株の上げどころですよ」
「はあ」
そんなことで上がる株がどこにある。
「こいたろうはペットの錦鯉だよ。涙のおじいさんが池で飼ってるんだ」
池…
昭穂は慧と目を合わせる。慧は目が点になっていた。彼女は思考が追いつけなくなるとすぐにこうなるのである。2人にとって池というのは山にある貯水用のため池か小学校にあったビオトープでしかなく、その正しい姿形が思い浮かばなかった。池…
「そのこいたろうが、このあいだ品評会で一番綺麗な錦鯉だって評価されてね。私はあんまりお世話していなかったんですけれども、おじいちゃんが大喜びしていたので嬉しかったですね」
錦鯉…品評会…
それがどれほどすごいものなのか、皆目見当がつかない。
「パスだ」
昭穂は恐れ多くて、慧に判を譲る。
赤べこのようにうんうん首を縦に振り続ける慧は手札のカードを無駄にシャッフルしては持ち直しを繰り返していた。
「じゃあわたしのばん」
錦鯉って高いよね?池ってなに?品評会って全国大会かそれとも地区予選?
慧はすでに脳内のキャパシティーを越えていた。それでもなにかを出そうとする、その手の動きに皆の視線が注がれる。先ほど見せてくれた手札のなかにこれ以上のものはあっただろうか?昭穂はそれでも立ち向かおうとする慧が勇ましく見えた、気がしただけだった。
重ねたカードは・ほっぺが柔らかい
なんてことをしているんだ!昭穂は驚嘆した。それで勝てるわけがないだろう。なにを考えているこのおこがましいやつめ。こいたろうに謹んで謝罪しろ!
「お前のほっぺに錦鯉以上の価値はあるのか、この不届き者!」
「ありますよ毎日冬の寒い日も怠らずにスキンケアしてるんですから!そうやってまるで自然生成物みたいな産物だとか幻想抱かないでください努力の結晶に!蓄積された化粧品とか摂取した栄養の素たどって17年分の食費、その他諸々の金額合わせたら余裕で越えます!」
「錦鯉も餌は食うだろ!池の水道代、電気代、それどころか池掘るまでの工事費用考えたらそれ以上の金かかっているだろ」
「池って自然生成物じゃないんですか!」
「なんで池優先して家建てるんだよ!」
「じゃあ私が錦鯉のこいたろうに負けるって言うんですか!私だって親の愛情を一身に受けて育てられた箱入り娘ですよ、品評会があるんだったら出場して金賞もって帰ることぐらいできますよ、地元に錦飾ることだってできますよ!鯉に負けませんよ!」
「鯉と張り合うな!」
「じゃあここで品評会やりましょう。私のほっぺ触って、もちもちだから!だいたい私の評価をしないままに判断されるなんて癪に障ります」
ということで急遽始まった、ほっぺ品評会。
トップバッターは涙だ。
「それでは」
そう言って触れるやいなや、彼女はすぐに引っ張ったり伸ばしたりを繰り返した。
「すごーい!お餅みたい。柔らかいし、マイナスイオンが出る」
「ありがと~。るいちゃん大好き」
「これはこいたろうには申し訳ないですが、負けたかもしれません」
それほどの逸品なのか。
次に姿見。
「これすごいよ!柔らかいし弾力あるし、どうやってらこうなるの?」
「ひりたいですか?こつふぁしゅとれしゅをためないことです」
説得力しかないと昭穂は頷く。
「食べれそうなくらいもちもちだ」
「カニバリズムはごかんべんして~」
そんな2人のやりとりを見つめていると涙は不意打ちの耳打ちをしてきた。
「どうですか?ドキドキしていますか?それってやっぱり慧ちゃんのこと意識しているってことではないですか?」
本当に煩悩に支配されているようだ。
「てかちゃん呼びになるほど仲良くなったのか」
「おお!ターゲットの同性の友だちに嫉妬するのはいい兆候ですよ」
慧に関わる人間は全員バカになるみたいだ。
昭穂は緊張していなかった。ただほっぺに触れるだけ。それだけのこと。いつもおふざけで慧が触ってくるのを思い出しながらこのようなスキンシップはよくあるものであり、そこに対して何か感じる方が以上であると昭穂は学習していた。だからその時も上手くいけると思っていた。
「さあ最後は昭穂くん!」
指先が頬に触れる。張りのある感触とぬくもりが伝わる。なんだか小動物に触った感触と似ている。
「照れているんですか?こうぐわーって引っ張らないと彼女の良さは分かりませんよ」
涙は昭穂の手を強引に慧の頬に押し当てる。両方の掌の全面が慧の頬に触れる。横髪と頬の間に挟まれたようになり、先ほどとは比べものにならないほどのぬくもりと、それからもちもちとした感触が伝わる。なるほどマイナスイオンが出るというのもあながち分からなくもない。
「昭穂の手は冷たいね」
「ああ、ごめん」
離そうとする手を慧は上から押さえる。
「ここから本領発揮なのに」
そう言って昭穂の手を使って自分の頬を伸ばす。
「これ、ろう?もひもひでしょ」
「ああわかったわかった。錦鯉より十分価値あるほっぺだ」
恥ずかしさから昭穂はすぐに手を離し、姿見の後ろにまわる。慧はずいぶんと満足げに自分の頬をなで回し、全員からシャーペンの芯を徴収しはじめた。
「顔、赤くなってるよ」
姿見がぼそりと呟いた言葉にハッとして、昭穂はすぐに窓ガラスで確認する。薄らと映る自分の顔色を確認するために目を細めるが、上手く分からない。
「嘘だよ」
姿見は愉快そうに笑った。さすが涙のそばにいるだけある精根の悪さだ。
「そう怒んないで。あのほっぺたはすごかったから仕方ないよ」
「フォローありがとさん」
そのあともゲームは続行した。
結局俺たちは、嘘みたいに齋藤涙に蹂躙され、すべてのシャーペンの芯を失った。




