第96話 この館はなにかがおかしい【中】
前回のあらすじ)治療院に一人残されたリズは、絶好の機会と見て家探しをすることにした
「……?」
首筋に悪寒が走った気がしてリズは振り返った。
だが、誰の姿もない。気のせいだろうか。
「まあ、いいわ。今のうちに――」
支配者の館からエルフの少女が出て行き、一人残された今がチャンスだ。
ここが廃屋に見せかけた支配者の館だとリズは踏んでいるが、当初の想定以上に入り口で躓いており、このままではいつ支配者の元へ連れて行ってもらえるのかわからない。
この機会に地下空間への入り口を見つけるのだ。
あわよくば支配者の部屋に潜んでおいてもいい。
不意をついて手駒に加えるのだ。
「だけど、随分と静かね……」
ベッドからそろそろと足を下ろして辺りを見回す。
なんというか、人の気配らしきものが全く感じられない。
割れ窓の奥では陽射しが茜色を帯びている。
黄昏色に塗り替えられた空がどこか不気味に感じられた。
「なんだか、ちょっと冷えるわ」
冬、という訳でもないのに妙にぞくぞくする。
リズは自身の肩を抱きながら室内を歩いてまわった。
今いる部屋には、ベッドの他に随分と古い机や書棚が置いてある。ぱっと見たところ地下への入り口は見当たらないが、巧妙に隠されているのかもしれない。
まずは床板をあちこち叩いてみるが、空洞のようなものはなさそうだ。
次は本棚。
人体の解剖図だとか、骨の図鑑だとか、内臓の説明本とか怪しげな書物が並んでいる。だが、書棚の後ろに扉が隠されているということはなかった。
次は戸棚を左右に引き開けると、ぷんと薬品の匂いが鼻をついた。目を凝らすと、怪しげな草や液体の入った瓶が並んでいる。
「人体の解剖図に謎の薬品……なによ、めちゃくちゃやばい奴じゃない」
ここの主は、人体実験でもやっているのではないだろうか。
というか、妙に濃い審査をされていたが、まさにその実験体が自分だったのではないかと感じ、今更ながら背筋に戦慄が走る。
だが、戸棚の中にも隠し階段は見当たらない。
「急がないと、まずいわね」
さもなくば、次の実験体は自分だ。
部屋の奥、壁の後ろを回り込むと一見キッチンに見える場所があった。
角には冷気の魔石を使った冷蔵庫がある。
中を覗くには一瞬の躊躇があった。
凍結されたバラバラ死体が入っていると思ったが、幸い一目で目玉や手足とわかるものはない。
ただ、綺麗に切り分けられた肉が丁寧に並べてある。
これは一体、何の肉なのか――リズは考えるのはやめた。
ドアを抜けるとテーブルが中央に置かれた部屋がある。
普通に見れば食堂だが、なんせここは異常者の館、そんな生易しいもののはずがない。
「ひひひ……」
「誰っ!」
急に笑い声がした気がして振り返った。
が、誰の姿もない。
「な、なんなのよ……」
背中にじっとりと汗が滲む。
リズは気を取り直して、あちこちを調べた。
だが、秘密の地下通路は見つからない。
「くくく……」
「ま、またっ!」
慌てて首を巡らせるが、どこにも人の気配がない。
それでもなぜかすぐそばで声が聞こえる。
まるでこの部屋に誰かがいるような――
ごくり、とリズは唾を飲み込んだ。
「ま……まさか、人体実験の犠牲者の声って訳じゃないわよね……」
「イタイヨー、イタイヨー」
「うわわ、あっ!」
また悲鳴のような声がした。
リズはぶるっと身を震わせる。
「わ、わかったわ……この部屋の目的が……!」
支配者は人体実験を行い、キッチンで解体し、冷蔵庫に保存。保存した肉はどうするのだろう。きっと、ここで食べ――
「イタイヨー、タベナイデー」
「や、やだ、ちょっと……!」
地獄から聞こえるような呪詛が鼓膜を揺らし、リズは思わず駆け出す。
「マッテー」
「うわ、わわわわっ」
声がついてくる。
廊下の奥に飛び込むと、そこは風呂場だった。
な訳がない。
死体を洗う場所に決まっている。
「も、もう、いや。なんなのよぉ、ここは……」
「オボエェェ」
「ぎゃあっ!」
リズは再び駆け出した。
廊下の反対側の突き当りにはベッドが二つ並んだ部屋がある。
普通に見れば寝室だが、もうわからない。
ここは一体何が何でどうなっているのだ。
恐ろしい。
貧民街の支配者を少し甘く見ていた。
「うぅ……」
リズは体の震えをおさえるように、その場にうずくまった。
敵は思った以上に強大だ。一度、態勢を立て直すために逃げるべきか。
いや、駄目だ。顔を見られている以上、同じ手は使えない。
リズはしばらく座り込んだまま深呼吸を繰り返す。
そして、おもむろに顔を上げた。
「……上等よ。私を……甘く見るんじゃないわよ」
奥歯を噛み締めて、ゆっくり立ち上がる。
私は地下ギルドの女傑。
何人もの男を手玉に取って来た。
この程度のことで音を上げてどうする。
伊達に魑魅魍魎の住まう地下ギルドで何年も生き延びてきた訳じゃない。
立ち上がると、もう体の震えは消えていた。
一見寝室に見える部屋、そしてさっき通り過ぎた廊下や、死体の洗い場を素早く調べるが、地下への入り口はない。
「一体どうなってるのよ……」
入り口が見つからない。
そして、あまり時間もかけられない。
ベッドの部屋に戻ってくると、ふと気づいたことがった。
入り口の脇に階段がある。
「二階……?」
そういえば外から館を監視していた時、部下のガイオンが二階で手招きする女を見たと言っていた。
もしかしたら、二階から地下への直通の梯子がある可能性もある。
またはガイオンが見たという女がそこにいれば、何かを知っているかもしれない。
まだ、生きていればの話だが。
「よし……」
リズは、おもむろに、二階に向かう階段へと足をかけた。
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「あっ、ゼノス」
「リリ、どうしたんだ」
夕暮れ時の道端で、リリは往診帰りのゼノスの姿を見つけて駆け寄った。
「迎えに来たの。リンガさんが行き倒れの人を連れてきたんだけど、リリじゃどうにもならなくて」
「重症なのか?」
「わからないんだけど、意識が戻らないの」
ゼノスは立ち止まって、翳りゆく太陽を眺める。
「……なんとなく不穏な予感するな。ちょっと急ごうか」




