第89話 予感
前回のあらすじ)地下ギルドでゼノスを狙う女は孤児院時代の関係者のようで――
貧民街に夜の帳が降りる頃。
街外れにリザードマンの男が一人佇んでいた。
祭りの際、地下ギルドの一派から襲撃があったことを受け、首領のゾフィアから街のパトロールを命じられていたのだ。
徒党を組んでまわっていたが、尿意を催したため、一人集団から離れていた。
戻ろうとした時、後ろから声をかけられた。
「ねえ、お兄さぁん」
振り返ると、女が立っていた。
切れ長の瞳と、風に揺れる紫色の髪。
むっとするような色香が全身から漂っている。
「なんだ、お前」
「なんでもいいじゃない。ちょっと私と遊ばない?」
「なんだと? お、俺ぁ、仕事中だ。そ、そもそも誰に断ってここで商売して、やが、る……」
めまいのするような甘い香りに、男の語尾は小さくなる。
いつの間にか女はすぐそばに近づいていた。
妖艶な笑みに目を奪われているうちに、手を取られ、鋭い痛みが走った。
「いたっ、なにしやがんだ」
女の爪に手の平をひっかかれ、わずかに血が滲んでいる。
人差し指を下に向け、女は言った。
「伏せ」
「ぐ……」
膝が勝手に折れ、地面にはいつくばる。
「お前、これ、はっ……」
うめく男のそばに女は身をかがめた。
「さあ、もう私に逆らえないわよぉ」
「なに、を」
「ふふ、地下にいるのもそろそろ飽きたから、地上をもらおうと思ってぇ」
「な、に?」
女の甘い息が、鼻腔を刺激する。
「という訳で、あなたの頭はだぁれ?」
「……」
閉じようとしたが、口が勝手に開いていく。
「し……疾風のゾフィ……」
「それはリザードマンの女首領でしょ。さすがにそれくらいは知ってるわよぉ。そうじゃなくて、異なる種族をまとめてる男がいるんでしょぉ? うちの部下ちゃんの襲撃を軽くあしらったっていう、黒づくめの男が」
「し、知らねえ……」
「ふーん……」
女の指先が男の顎をもちあげた。
濡れた瞳で男を見つめる。
「言いなさい」
「……ゼ……」
リザードマンの男はそこで気を失った。
「わ、すごぉい! 私の命令には逆らえないはずなのに、気を失って抵抗するなんて。よっぽど言いたくないのねぇ」
女はゆっくり立ち上がると、風にたなびく髪を手の甲で払った。
曲がり角から緑がかった肌の大男が姿を現す。
「……よほどの恐怖で支配されてるって訳ですかい?」
ごくり、と男は喉を鳴らした。
「大したものねぇ。ますます興味が出てきたわぁ。その男。そう思わない、ガイオン?」
「はい、リズ様の命令に逆らうほどの恐怖を与えるとは……かなり危険な奴ですな」
ガイオンと呼ばれた大男は神妙な顔つきで言った後、地面に横たわったリザードマンを指さす。
「ところで、こいつはどうしますか? さらって拷問して吐かせますか?」
「ん-……ほっときなさい。行方不明者がでると、あっちも本格的に捜索を始めるだろうし、まだ全面戦争には早いわねぇ。どうせ気を失って記憶は曖昧だろうし」
「いいんですかい?」
「亜人達は数だけは多いから、正面からぶつかるのは面倒なのよねぇ。そんな手間をかけるより、まとめ役を私の傀儡にしたほうが早いじゃない」
「な、なるほど、さすがリズ様」
ガイオンの一言に、リズは気分よさげにうっすらと口の端を上げた。
「他の種族も見回りをしているはず。次はワーウルフやオークを狙おうかしら」
しかし――
「……どうなってるの」
リズはやや不機嫌そうに目の前に倒れたオークの男を見下ろした。
リザードマンの次は、ワーウルフやオークの見回り隊が一人になるところを狙ったが、誰もが黒幕の名前を吐かなかったのだ。
後ろに立つガイオンが信じられないような顔で言った。
「三人とも名前を言う前に気絶しやがりましたね」
「私の命令に抵抗するなんて、どれだけの恐怖支配を受けているのかしらねぇ」
「きょ、恐怖支配は、俺らの専売特許のはずですが、地上にもやべえ奴がいるんですな」
ガイオンは慎重な口調で言った後、少し得意げな表情を浮かべた。
「しかし、わかりましたぜ、リズ様。黒幕とやらの名前が」
「へぇ、言ってみなさい」
「俺が見ていたところ、三人とも、ゼ、だけ言って気絶しやした」
「そうねぇ」
「それがきっと黒幕の名前の一部なんですよ。つまり黒幕の名前にはゼがつく!」
「馬鹿なの? そんなことわかってるわよ。じゃあ次は、名前にゼがつく人間が貧民街に何人いるのか教えてくれる?」
「そ、そんな冷たい目で睨まねえでください、リズ様」
リズは溜め息をつくと、ゆっくりと歩き出した。
「次はもう少し賢い男を連れてくることにするわ」
「そ、そんなぁ」
「じゃあ、私はそろそろ地下に戻るわよ」
「く、黒幕を探さなくていいんですかい?」
「もうすぐ朝じゃない。太陽が出てきたら、日焼けしちゃうもの。美容の大敵でしょぉ」
「た、たしかに」
「それに、もう仕込みは終わっているから」
「仕込み……?」
きょとんとするガイオンをよそに、リズは風に流れる髪をかきあげた。
「必ず支配してあげるわ、貧民街の支配者。どんな男でも私には逆らえないから」
リズは人差し指を口に含んで妖艶な笑みを浮かべてつぶやく。
この、サキュバスの血にはね――
+++
「む……!」
夜と朝がせめぎ合う明け方の空の下。
治療院の二階でむくりと体を起こしたのはカーミラだ。
「予感が、する……」
おもむろに顔を上げ、きょろきょろと辺りを見回す。
くんくんと鼻を鳴らし、わくわくした顔でこう続けた。
「くくく……なんだかわからんが、面白いことが起こりそうな気がするぞぉ」
レイスの予感……!
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