第88話 昔の夢
前回のあらすじ)ゼノス達は祭りを襲撃した地下ギルドの一派を追い返した。地下では怪しい女が襲撃犯と会話をしていた。
「それで、もう一度聞くけど、襲撃を邪魔した男はどんな奴?」
祭りの夜も更け、水滴がしたたる地下水路の一角で、甘ったるい女の声が響いた。
薄闇の中にあってさえ、妖艶な色香を周囲に発している。
「あの、暗かったのもあって、あんまりはっきりとは……黒い外套を着ていたような……」
前で片膝をついた緑がかった肌の大男が恭しく答える。
「そんなのどうでもいいのよぉ。かっこいいかどうか聞いてるの」
「ど、どうでしょう。顔まではあまり……種族は人間、だったと思います」
「はー……使えないわねぇ」
「す、すんません」
女はしばらく黙った後、おもむろにこう続けた。
「でも、やっぱり貧民街に新たなボスが誕生してたのねぇ。ふふふ、興味深いわぁ」
「ボス?」
「だって、亜人達が仲良く祭りだなんておかしいでしょぉ。最近まで殺し合いしてたんだから。新たなまとめ役がいるんじゃないかと思ったけど、亜人達の喧嘩に割って入れるってことはそれだけ力を持ってるってことよぉ」
「な、なるほど」
「それを見極める襲撃ってこと忘れたのぉ? 騒ぎを起こせば代表がきっと出てくる」
「そ、そうか、そのため……さすがです」
大男は女をほめたたえて、顔を上げる。
「し、しかし、そのボスとやらをあぶりだして、どうするつもりです?」
「伏せ」
「が、ぐっ」
大男の身体が急にくの字に折れ、地面にうずくまった。
女は冷たい目で男の背中を見下ろす。
「馬鹿なのぉ? 亜人抗争の時は勢力が林立してて、どこかとやりあっても終わりがなかったけど、貧民街が一つにまとまった今なら、逆に頭を潰せば一気に崩せるじゃなぁい」
「た、確かに……」
「そいつを、私が支配するの。そうすればそっくり街は私達のもの。そろそろ地下だけじゃあ飽きたらないでしょう」
大男は床に伏したまま頷く。
「す、すげえ、すげえ考えです」
女は気をよくしたのか、指を鳴らす。
ようやく体を起こした大男は、ごくりと喉を鳴らして言った。
「し、しかし、普通の男に見えましたが、亜人共をまとめて支配するたあ、相当危険な野郎なんですね……」
「危険な男。ふふ、支配しがいがありそうねぇ」
微妙な勘違いの中、女はくすくすと微笑む。
怪しい笑みに魅せられたように、大男は頬を上気させて尋ねる。
「兵隊はどれくらい用意すればいいですか」
「大していらないわ。居場所さえ突き止めれば、男一人落とすくらい訳ないもの」
「さすが、リズ様です」
大男の称賛に、女は静かに目を細めた。
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「ゼノス。大丈夫?」
翌日の治療院。
午前の営業を終えたところでリリが話しかけてきた。
「なにがだ、リリ?」
「いや、診察の合間にぼうっとしてたから」
「え、そうか」
ゼノスはぽりぽりと頬をかき、椅子に背を預けて伸びをした。
「いや……なんでかわからないけど、昨夜、久しぶりに孤児院時代の夢を見たんだよ」
「ゼノスがいた貧民街の孤児院のこと?」
リリはポットに湯を入れながら尋ねる。
ふんわりした甘い茶葉の香りが漂ってきた。
「どんな夢だったの?」
「ん-……一日の飯が塩ひとつまみ入った水だけだったとか、食べるものがなさすぎて古い柱に生えてた謎のキノコを食べてたとか……」
「ひ、ひどい……」
今となっては古い記憶だ。
暗く淀んだ黴臭い空気。
床板はいつも冷たくささくれだっていた。
響くのは大人達の怒号や叩打音。そして、誰かのすすり泣く声。
思い出すのはそんな灰色の風景。
「なんだか、すごいところだね」
「まあな、今思えば相当な劣悪環境だったな」
本来、そんな環境であれば子供達同士で互いに慰め合うところだが、子供の結託を嫌う大人達は、それを許さないシステムを作り上げていた。
「子供達数人を班に分けるんだよ。で、班員が何かをしくじると連帯責任をとらされる」
しかも、他人の失敗をいち早く報告した者にはお菓子などの報酬が与えられた。
だから、子供達同士も互いに疑心暗鬼になって、ぎすぎすした雰囲気が形成される。
「ゼノス、よくそんなところで頑張れたね……」
驚いた様子のリリに、ゼノスは肩をすくめて答える。
「まあ、あの時はあれが世界の全てだと思ってたからなぁ。それに――」
と、一旦言葉を切った。
「俺はまだ運が良かったのかもな」
「リリ、全然そうは思えないけど……!」
「いや、班には班長ってのがいて、年長の子供が大人達の手足になって、年下の子供をこき使うんだけどさ」
今までこき使われた仕返しとばかりに、下にきつく当たる班長が大半だった。
「だけど、俺の班の班長は優しい人で、ミスもカバーしてくれて、おかげで班内の関係は悪くなかったんだ」
結果、親しくなった班員もいた。
無論、大人達の前ではあまり仲良い素振りはできなかったが。
大人に命じられた、行き倒れの身ぐるみをはがす仕事をゼノスはよく放棄して殴られていた。それでも班長がごまかしてくれたことも多く、それがなければもっとひどい目に合っていたかもしれない。
「ふぅん、すごいね。班長さん、どんな人だったの?」
「んー、髪が長くて、いつも穏やかに笑ってて、優しいお姉さんって感じだったな」
「お姉……さん……」
リリは紅茶のカップを持つ手を空中で止める。
「その人……多分……いや、きっと美人。美人に違いない。リリにはわかるの」
「何を言ってるんだ……? そもそも子供の頃の話だぞ?」
「くくく……なるほど、次は清楚系女子枠か」
「清楚系女子、枠……って何? お前、こういう話になると必ず現れるな」
二階からふわりと現れたのはカーミラだ。
「たわけっ、ここで現れずにどこで現れるというんじゃ」
「うん……まあ、そうかもしれない」
「つまり、その女、貴様の初恋相手、という訳じゃな」
「えっ、そ、そうなの、ゼノス!」
「話を勝手に進めないでくれる……?」
当時は生きるのに精いっぱいでそんなことを考える余裕などなかった。
だが、今思えば優しい笑顔に癒されたことは間違いない。
ゼノスは頬杖をついて、窓の外を眺めた。
「リズ姉……どっかで元気にしてるかな」
清楚系女子……?
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