第78話 付録――ベッカーの手紙
前回のあらすじ)ゼノスは王立治療院に別れを告げた
拝啓、ゼノス君。
僕は今、研究室に鍵をかけて一人でこの手紙を書いています。
というのも少々、他人に見られては困る内容になりそうだからです。
まずは、アフレッド君の失踪事件について、尽力してくれたことに感謝します。
君のおかげで十五年前の事実が明らかになりました。
明日のゴルドラン教授の選挙前決起パーティで、私は彼にある選択を迫ろうと思っています。
まあ、しかし、それについては今回の内容と関係ないので割愛します。
ただ、正直に言うと、私は当初君に仕事を依頼するかどうかは迷っていました。
我々がどう動こうとアフレッド君はもう研究室には戻ってこない気がしていたからです。
前回のゴルドラン教授の食事会の後、アフレッド君は私を訪ね、十五年前の事件にゴルドランが関係しており、自分はその被害者であると告げて姿を消しました。
その時の彼のまとう雰囲気が、それまで知っていた彼とは異なっている気がしたのです。
私があっけに取られているうちに彼は姿を消してしまいました。
色々聞きたいことはあったし、勿論、行方は掴みたかったのですが、それを部外者に頼むつもりはありませんでした。
気が変わったのは、君の治療院で黒い外套を見た時です。
そう、私はあの外套に見覚えがあった気がしたのです。
君が使用していたあの外套は、もともと君が師匠と呼んでいる人物のものではないですか?
――という訳で。
前置きが長くなりましたが、君の師匠のことをお話しましょう。
最初に一つ謝っておきたいのは、おそらく君の期待に応えられるほど、私は彼について詳しく記すことができないということです。
決して関わりが薄かったという訳ではなく、むしろ親交が非常に深かったにも拘わらず、です。
理由はまた後述します。
まず、この国には現在七名の特級治癒師がいます。
自分で言うのもなんですが、数多いるこの国の治癒師達の頂点に立つ人達です。
このうち王立治療院に勤めている者が四名。
私とゴルドラン教授、そして現院長のシャルバード卿。
あと一人は出張中で君に紹介することはできませんでしたね。
残りの三人は王立治療院に籍はありますが、諸事情でそれぞれの活動をしています。
詳しい話はまたの機会にするとして、実はもう少し前まで特級治癒師は八名いました。
では、その一名はどこに行ったのか。
結論から言うと、その一人が君の師匠です。
そして、彼は私の数少ない友人の一人でもありました。
一言で特級治癒師といっても、私のように創薬の貢献を買われた者もいれば、ゴルドラン教授のように権力で手に入れた者もいるので、得意分野は様々です。
しかし、純粋な治癒魔法の能力、という意味では君の師匠は特級治癒師の中でも間違いなくトップクラスの一人だったと思います。
特級治癒師には変わり者も多いですが、彼は面倒見もよく、面白い人間で、多くの者に慕われていました。
ですが、ゼノス君が王立治療院に滞在している間、彼の噂らしきものを聞いたことはないと思います。
数少ない特級治癒師で、多くの人望を集めていたのに、なぜか。
それは王立治療院では、彼にまつわる記録は封印されているからです。
理由は、彼がある魔法に手を出してしまったから。
あなたも聞いたことがあるかもしれませんが、魔法の中には、禁呪と呼ばれ、人間が決して手を出してはいけないものが存在します。
迂闊に手を出せば、人智を越えた様々な呪いが降りかかると言われている。
彼が手を出してしまったそれは――まだ私の記憶が正しければ――それは、死者の蘇生魔法でした。
ただ、詳しいことはわかりません。
おそらく呪いの影響だと思われますが、彼についての記憶そのものが薄れてきているのです。
恐ろしいことに、最も親しかったはずの私ですら、もう彼の名前を思い出せないのです。
無精ひげ、豪快な笑い声、最後に見た黒い外套。幾つかの断片的な印象をなんとか覚えていられる程度なのです。
ですから、ゼノス君、もし詳しいいきさつを知りたければ、彼の手記を探して下さい。
彼は大雑把な性格の割に、魔法に関しては意外と几帳面なところがあったように思います。
一連の経緯について、どこかに記録を残している可能性は高いと考えます。
しかし、それは開けてはならないパンドラの箱かもしれません。
君の話を聞いて、彼がもうこの世にいないであろうことは察しがつきました。
ひどく悲しいことのはずなのに、喪失感すらどこかぼんやりしていることに私は恐怖を覚えます。
それはとても、とても、恐ろしいことです。
君と出会ってからの彼について、詳しい経緯を聞きたいと思いながら、体の芯がそれを拒否しているのです。
これ以上、彼について知ってはいけない、知れば大きな災いが降りかかる、と。
禁呪には決して手を出してはいけない。
本来はこういう話すらすべきではないかもしれませんが、私は君という治癒師を信頼していますので、後は君の判断に委ねようと思います。
最後になりますが、君と話していると、なんとなく懐かしい気分を覚えていました。
想い出すら薄れつつある中、それでもきっとどこかに、かつて友人だった君の師匠の面影を感じ取っていたのかもしれません。
自然と人を惹きつける匂い、のようなものを。
治癒師ゼノスの行く道に、幸多からんことを願います。
友人として――
エルナルド・ベッカー




