第73話 命の選択【前】
前回のあらすじ)ゼノスはベッカーとの約束の仕事を終え、王立治療院を去ることにした。
※後書きに書籍化情報を記載してます
翌日の昼過ぎ。
貴族特区にある舞踏会用のパーティホールには、多くの人間が集まっていた。
王立治療院教授ゴルドランの派閥に属する者達だ。
表向きは近いうちに始まる院長選挙の決起集会だが、実際のところは就任の前祝いと言ってもよかった。
――これだけいれば間違いはなかろう。
一段高いステージから派閥員達を見下ろしたゴルドランは満足そうに頷いた。
他にも幾つか有力な派閥はあるが、この規模には及ばない。得票数では確実に勝てる自信がある。
――そして……。
「やあ、ゴルドラン先生」
「お忙しいところ恐縮です。フェンネル卿」
ゴルドランは片手を挙げて近づいてくる七大貴族の一角に深々と頭を下げた。
「なに、先生は私の恩人なのだ。相応しい立場に立ってもらわねば私が困る」
「過分なお言葉、心より感謝致します」
床に向けたゴルドランの顔には自然と笑みが浮かんでいた。
投票後、次期院長の最終決定を行う諮問委員会には七大貴族であるフェンネル卿が口を利いてくれる。よって、院長の座はもう間違いない。
――ようやく、ここまで来たぞ。
全ては十五年前のあの日に始まった。
郊外で起きた魔導具工場での魔石暴発事故。
作業員と、そばを歩いていた通行人が軒並み犠牲になった。
そして、偶然近くを馬車で通っていたフェンネル卿も。
当時、研究が認められず王都を離れようとしていたゴルドランは、たまたま事故直後の現場を通りがかった。
阿鼻叫喚。呻き声を挙げる人々の中に、明らかに身なりの違う者がいた。
貴族というのはすぐわかった。
この国で階級は絶対だ。恩を売れば何かが変わるかもしれない。
しかし、かなりの深手を負っており、自分の治癒魔法で助けられるとは思わない。
転移治癒魔法を研究中だったが、当時の転移治癒魔法は、自身の生命力を他人に与える魔法であり、自分が相応のダメージを負うことから、役に立たない治癒魔法とされていた。この貴族の深手を治癒するほどの生命力を与えてしまうと、自分のほうが死んでしまう。それでは意味がない。
ゴルドランは、焦って周りを見渡した。
そして、思いついてしまった。
――自分以外の生命力を与えることはできないか?
今にも命の灯が消えそうな者達が大勢いるのだ。
一人一人から得られる生命力は多くないが、数だけはいる。
そして、彼らは目撃者にはなれない。
ゴルドランは覚悟を決めた。人生を変えるために。
果たして試みは成功した。
ゴルドランは怪我人達の命を使い、貴族を救った。
助けた人物が、貴族の中でも最上級に位置する七大貴族だったのは予想外の幸運だ。
後はフェンネル卿の後押しを受けて、出世に次ぐ出世。
転移治癒魔法の研究も認められ、王立治療院の教授と、特級治癒師の称号まで手に入れた。
唯一の不幸は、現場に少し遅れてやってきたボンズに転移治癒魔法を使っている場面を撮影されたことだ。当時、写真家を志していたボンズは、爆発を見てスクープ写真が撮れないかと急いでやってきたのだった。写真をネタに強請られ、仕方なく第一秘書という役職を与え、生活を保証してやることになった。
だが、それ以外は全てがうまくいった。
そして今や貴族の資格を得られる王立治療院トップの椅子にも手がかかろうとしている。
「先生には娘の件でも大変世話になった。あらゆる協力は惜しまないつもりだ」
「……有難きお言葉です」
わずかに苦々しさを覚えながら、ゴルドランは頭を下げる。
ゼノと名乗った特別研修生。
クレソンという犬の世話係。
奇面腫の手術を成功させたのはその二人だが、今や派閥の一員ではない。
そこそこ使える手駒を失ってしまったが、まあいい。
人生の上がりは目の前だ。
鼻を鳴らしたゴルドランは、そこでわずかに目を細めた。
会場の奥から見知った人物が近づいてくる。
「盛況ですね、ゴルドラン教授」
「ベッカー君か……」
涼しい顔で歩いてくるのは、寝癖のついた細身の男だ。
「ふん、いい心がけだ。早速、次期院長に取り入ろうという訳か」
「まあ……そう受け取ってもらっても構いませんよ」
苦笑するベッカーに、ゴルドランは低い声で言った。
「例の特別研修生、元々は君の紹介で王立治療院に来たらしいな」
「ゼノ君ですか。ええ、そうです」
「多少はできると目をかけてやったが、とんだ役立たずだったようだ」
「ああ、派閥を追放されたようですね。何か失礼を?」
「このわしの食事会に呼ばれておきながら、乱入してきた亜人の治療を優先したのだ。ありえない愚行だ」
「ほぉ」
「貴族になるわしの派閥の者が、貧民の治療を優先するなどあってはならぬ。格というものを考えろ」
「なるほど……」
「わかるだろう、ベッカー君。命の価値は平等ではない」
十五年前、自分は救う命を選んだ。
そうしたからこそ、ここまでのしあがれた。
ベッカーはゆっくり頷くと、手元のワインをゴルドランのグラスについだ。
「教授の輝かしい未来に」
「はっ。君は価値をわかっているようだ」
ゴルドランは口の端を軽く持ち上げる。
舞台の上では、フェンネル卿による開会の挨拶が始まっていた。
「思えば、ゴルドラン先生と私の出会いは十五年前。瀕死の重傷を負った私の命を――」
ゴルドランは慌てて口を挟む。
「フェンネル卿。その話はほどほどに」
「おや、主役から横やりが入ってしまった。院長になろうという人間なのに、いかにも謙虚ではないか」
会場で小さな笑いが起こったが、ゴルドランの内心は穏やかではなかった。
十五年前のことは必要以上には触れて欲しくない。
事故で意識が朦朧としていたフェンネル卿は、己がどのように命を救われたのか知らない。
穏健派のフェンネル卿が事実を知れば、ゴルドランへの評価を変えてしまう可能性がある。
「では、そろそろ主役に交代しよう」
「恐縮です、フェンネル卿」
ゴルドランは壇上に立ち、来たる院長選挙に向けての抱負を語った。
数多の派閥員達の視線が自身に向けられ、ガラス天井からは陽光がスポットライトのように降り注ぐ。
自分の人生は、今日、頂きに到達した。
ゴルドランはグラスを天上に掲げ、高らかに宣言した。
「我らの輝かしい未来に――乾杯!」
+++
同時刻。
ベッカーの研究室前で、ゼノスとリリはウミンとクレソンに見送られようとしていた。
「それじゃあ、世話になったな」
ゼノスが言うと、ウミンが首を振る。
「そんな、世話になったのは私達のほうです」
「うぅ、兄貴ぃぃ」
「ほら、いつまで泣いてるんですか、クレソン」
「だってよぉ……」
涙をぬぐうクレソンに、ゼノスはぼりぼりと頭をかいて言った。
「なんか悪かったな。俺のせいでゴルドランの派閥を抜けた感じになって」
「そりゃ……」
クレソンは何かを言いかけて、小さく首を振る。
「自分で決めたことだ。兄貴のせいじゃねえよ」
「ほう」
「俺は……出世できればなんでもよかった。でも、今はちょっとでも腕を磨いて兄貴みてえになりてえんだよ。派閥で犬の世話をしても腕は上がらねえし」
「ふーん……クレソンもちょっとは成長しましたね」
「うるせえな、同期」
「ま、お前はどこに行っても大丈夫だよ」
「兄貴ぃぃ」
「クレソンはしぶとさだけは一流だとリリは思う」
「妹ぉぉ。ありがとうよぉぉ」
「多分、褒めてないと思いますよ」
ウミンの突っ込みをよそに、クレソンはもう一度泣き出す。
ゼノスは窓の外に目を向けた。
「そろそろゴルドランのパーティが始まるんだよな? そっちは大丈夫なのか?」
「ええ、ベッカー先生が行ってるので大丈夫でしょう」
ふと思い出したように、ウミンは続けた。
「そういえばベッカー先生は昨晩、ゴルドラン教授の第一秘書を訪ねると言ってました。十五年前の事件について事実関係を確認してみるって」
「へぇ、簡単に教えてくれるとは思えないけど、なにか収穫はあったのか?」
「どうでしょう。お酒を持っていってたんで酔わせて聞くつもりだったのかも。結果は特に聞いてはいないですが……あ、そうだっ」
ウミンはぱんと手を叩く。
「そういえばゼノスさんの師匠という人のことで、ベッカー先生、手紙を書いたって言ってました。それを渡してくれって」
「おお、そうか。頼む」
今回の最大の報酬だ。
ベッカーが忙しそうなので、後日尋ねようと思っていたが、準備はしてくれていたらしい。
「えっと、どこに置いたって言ってたっけ……ちょっと待ってくださいね」
ウミンは鍵を取り出し、ベッカーの部屋へと入る。
少ししてから「えっ」という声が上がった。
「どうしたんだ?」
ゼノスが中に入ると、ウミンは呆然と佇んでいた。
「引き出しの中を探していたら、これが……」
震える指先が一枚の写真を掴んでいる。
「これは――」
大勢の人間が、血まみれで倒れていた。
建物の残骸と黒煙がたちこめ、さながら地獄絵図のような光景だ。
「……まさか、十五年前の事件写真か?」
「どうしてこんなものがここに?」
昨晩、ベッカーが第一秘書の家を訪ねたとウミンは言っていた。
酔わせて眠らせ、その間に家探しをしたのかもしれない。
端に映っているのは若き日のゴルドラン。
その前に倒れているのはフェンネル卿だ。
魔法陣から出る淡い光が、その他の犠牲者達に伸びている。
おそらく転移治癒魔法で生命力を受け渡しているシーンだろう。
「あっ。だいぶ幼いけど、多分アフレッドさんです!」
ウミンが写真の中央を指さした。
金髪で、中性的な顔の少年が倒れている。
腹部が血で溢れており、顔面は蒼白だ。
「やっぱり、事実だったんですね……。この事故の犠牲者だったアフレッドさんは偶然生き残り、食事会で事実を知った。そして復讐を考えている」
「……」
無言のゼノスの横で、写真をにらんだウミンは、端を指さし、大声を出した。
「えっ、この人は……!」
+++
舞台はパーティ会場に戻る。
――何が起こった?
ゴルドランは頭を押さえて、うっすら目を開ける。
目に入ったのはガラスの天窓だ。
首を横に向けると、割れたグラスと、赤いワインが辺りに散らばっていた。
――わしは倒れていたのか?
いや、自分だけではない。ステージでは、フェンネル卿も仰向けに倒れている。
なんとか上体を起こすと、全ての派閥員が床の上で昏倒していた。
そこに立っているのはたった一人。
涼しい顔の、寝癖のついた男だった。
「ベッカー、君。これ、は……」
喉の奥がしびれており、声がうまく発せない。
「毒ですよ。乾杯の酒に混ぜさせてもらいました」
爽やかにすら感じる声で返答がある。
「……ど、く?」
「ええ。毒と薬は表裏一体。薬の調合は僕の得意分野ですから」
「なん、だと……」
「意識を奪い、じわじわと命を削る毒です。ほうっておけば三十分ほどで死に至るでしょう。あなたに手渡したものだけ少し効き目を弱くしていますが、それでも1時間はもたないでしょうが」
「どういう、つもりだ」
「わかりませんか」
ベッカーはゆっくりとステージへと上がってきた。
「十五年前の事件の再現ですよ」
「き、さま。どうして……?」
「実は、前からもしかしたらとは思っていたのですが、確信できたのは優秀な特別研修生のおかげでした」
ゴルドランの眉が歪む。
「……まさか、ボンズ、が話したのかっ」
「なかなか話さないのでお酒と薬の力を少し借りましたが、写真まで見つかったのは幸運でした。とっくに処分されていると思っていましたから」
「なん、だとっ。写真はもう……処分したはず」
「おそらく写真は二枚あったのでしょう。ボンズ氏は生活の保証と引き換えに一枚をあなたに渡した。しかし、保険のためにもう一枚を隠し持っていた」
「……あい、つ」
「どうやらあなたは人を見る目がないようだ」
「知った風な、口を……」
「命の価値は平等ではない」
その一言が、静寂のパーティ会場に響き渡る。
「ゴルドラン教授。あなたは十五年前、その信念のもと救う命を選んだ。そして、それ以外の命を犠牲にした」
「どう、せ、死にゆく、命だ」
「あなたにとってはそうでしょう。しかし、そうして見捨てられた大勢の中には、アフレッド君がいた」
「なん、だと……」
「そして、結婚を約束していた私の恋人もね」
「……っ」
目を見開くゴルドランに、ベッカーは淡々と言った。
「転移治癒魔法を使う余力はぎりぎり残しています。毒の進行を完全に止めるにはかなりの生命力が必要になりますが、今回は誰を犠牲にして誰を助けますか? 自分自身の命? パトロンのフェンネル卿? それとも選挙で票をくれる派閥員?」
そして、静かに、こう告げる。
さあ、命の選択です――と。




