第72話 送別会
前回のあらすじ)失踪事件の情報を得たゼノスは、ゾンデの治療のためクレソンとともにゴルドランの派閥を抜けたのだった
ゴルドランの食事会の翌日。
ゼノスはベッカーの研究室を訪れ、酔ったボンズから得た証言を伝えた。
「なるほど……まさかそんな背景が……」
ベッカーは腕を組み、静かに頷く。
「そういえば、アフレッド君から子供の頃に大きな事故にあったという話を聞いたことがあります。今思えばその事故のことだったのかもしれませんね」
「そんなことが……」
絶句するウミンを見た後、ベッカーは視線をゆっくりとゼノスに向けた。
「ゴルドラン教授の院長就任の前祝い会はいつ開催されるんですか?」
「確か明日だったはずだ」
食事会の時、ゴルドランが言っていた。
派閥全員と支援者のフェンネル卿も参加して大々的に前祝い会を行うと。
「……ゴルドラン教授が絶頂を極める瞬間。もしアフレッド君がどこかで状況を窺っているとしたら、動くのはそこかもしれませんね。明日は私もお祝いと称してその会に顔を出そうと思います」
「監視、ってことか」
「ええ、アフレッド君は非常に優秀な人物です。彼がその気になればどんなことが起こってもおかしくないですし」
「……」
「正直、私が開発した薬の中でも、彼のアイデアで完成にこぎつけたものも多いですからねぇ」
ベッカーは難しい顔で頭をかくと、おもむろに立ち上がった。
「さて、それはそれとして、貴重な情報をありがとうございます。ゼノス君の仕事はこれで終わりです。お疲れさまでした」
「いいのか」
「そういう契約ですから。後は私に任せて下さい」
契約金入りの革袋をゼノスに渡し、ベッカーはこう続ける。
「特別研修生の終了手続きなどもありますので、あと一日だけ滞在してもらっていいですか。もう一つの報酬――ゼノス君の師匠の話は明日にでも」
「ああ、わかった」
話を終えて、ベッカーの部屋を後にする。
これで王立治療院での仕事は終了だ。
失踪事件の行く末についても多少は気になるが、部外者にできることはもうないだろう。
ドアを振り返るゼノスに、ウミンが言った。
「じゃあ、夕方に食べ物と飲み物持って寮の部屋にうかがいますね」
「まだなにかあるんだっけ?」
すると、ウミンは小さく頬を膨らませて答える。
「あるに決まってるじゃないですか。送別会です」
+++
夕方。
ゼノスの寮の部屋で、ささやかな送別会が開催された。
ゾンデが回復し、ゾフィア達は既に貧民街に帰っている。
送別会の参加者はゼノス、リリ、ウミン、そして――
「兄貴ぃ、兄貴が失踪事件を調べるためにベッカー教授に雇われてたって本当なのかよぉ」
「ああ、本当だ」
「普段は廃墟街で治療院やってて、だから亜人とも知り合いって本当なのかよぉ」
「ああ、本当だ」
「そして明日には帰っちゃうのも本当なのかよぉ」
「ああ、本当だ」
「うう、う」
机に突っ伏したクレソンはおいおいと泣き始めている。
「ちょっと飲み過ぎですよ、クレソン」
「うるせぇ、これが飲まずにいられるかぁ」
ウミンの忠告に、クレソンは真っ赤な顔で言い返す。
「兄貴がいなくなると、俺はこれからどうすりゃいいんだよぉ。俺は兄貴がいなきゃなんにもできねえんだよぉ。俺から離れねえでくれよぉ」
「なんか気持ち悪いですね、クレソン」
「ひでえな、同期。そう思わねえか、妹ぉ」
「リリ、気持ち悪いお兄ちゃんは嫌……」
「妹もひでえ」
ゼノスはぽりぽりと頬をかく。
「まあ、お前は大丈夫だよ。どこでも生きていける……気がする」
「兄貴……褒められてるようで褒められてねえ気もするが。どう思う、妹?」
「というか、実はリリは俺の妹じゃないんだよな」
「えーっ、まじかよぉっ! ってことは、俺の妹でもねえってこと……か?」
「「それは最初から違う」」
ゼノスとリリの声が重なる。
リリが申し訳なさそうに言った。
「騙してごめんね、クレソン。リリは……本当はゼノスの奥さんなの」
「ま、まじかよぉぉっ」
「いや、それも違うぞ?」
「ぶー……」
「新事実が多すぎて混乱してきた。なんか頭痛えし……」
クレソンはうっぷと口を押さえた。
「さすがにちょっと飲み過ぎたかもしれねえ。さっきから妙なものが見えてんだよ」
「妙なもの?」
「ああ、そこの柱の陰に幽霊みてえなのが……」
「幽霊……?」
クレソンの指先を追ったウミンの眼鏡がずり落ちる。
半透明の女が恨みがましい目でこちらを見ていた。
「う、わああっ、レイスっ。レイスがいるぅぅっ!」
「って、なんででてきてるんだよ。カーミラ」
冷静につっこむゼノスに、カーミラは食ってかかる。
「これが出てこずにいられるかっ。そこの小僧が飲んでるのは、わらわの酒じゃぞ」
「いや、元々お前のじゃないだろ……」
ゴルドランの屋敷からカーミラがくすねてきたワインだ。
「あ、あああ、あのっ、ゼノスさん!? レ、レイスがっ」
「気にするな、ウミン。根はいい奴だから」
「根がいいレイス……って何……?」
「……死霊王のわらわにそんなことが言えるのは貴様くらいのものじゃ」
カーミラは呆れ顔で口を開くと、全部飲むでないぞ、と言い残して奥へと消えた。
ウミン達に姿を見られてしまったが、明日にはここを去るから問題はないだろう。
結局、クレソンはそのまま酔いつぶれ、動揺していたウミンも次第に酒がまわり「まあ、ゼノスさんは非常識な治癒師ですから、非常識なことがあっても仕方がないですよね……」と言い出し始めた。
とりとめもない話は、やがて失踪事件の話題へと移る。
「と言うか、ゴルドラン教授にそんな過去があったなんて大問題ですよ。教授が王立治療院の次期院長になんて本当にいいんでしょうか」
「あくまで仮説だからわからないけどな」
「そう、ですけど……」
ウミンはグラスを両手で握りしめた。
「でも、もし大勢の怪我人を前にしたら、私なら一体……」
しばらく黙りこんだ後、ウミンはふと顔を上げる。
「あ、ごめんなさい。ゼノスさんの送別会なのに暗い感じになっちゃって」
「いや、別にいいけど」
「なんだか……寂しくなりますね」
「元からいなかった人間が、またいなくなるだけだ」
「そうかもしれませんが、ベッカー先生も寂しがってると思いますよ」
「そうなのか?」
「きっとそうですよ。ゼノスさんと話している時はなんだか楽しそうでしたもん。まるで友人に会ってるみたいで」
「友人……」
「ベッカー先生、変わり者だから友達少ないんです。恋人だって最後にいたのだいぶ前ですもん」
「ふーん……」
「結婚すれば良かったのに、研究にかまけて振られたみたいで。早く身を固めてくれないと姪として安心できないんですよね」
ウミンは愚痴るように言って、とろんとした目をゼノスに向ける。
「また……遊びに来てくださいね」
「ああ」
「約束ですからね」
「そうだな」
「絶対の絶対ですよ」
「わかったって」
答えると、ウミンは安心したように机にぺたんと頬をつけ、静かに寝息を立て始めた。
リリは既にベッドの中。クレソンは床で大の字になっている。
皆が寝入るのを待っていたように、カーミラが姿を現す。
「くくく……ようやく心置きなく酒が飲めるわ」
酒瓶を持ち上げたカーミラは、軽く眉をひそめた。
「ぼうっとしてどうしたんじゃ、ゼノス?」
「ああ……俺は貧民出身だし、パーティではひどい扱いだったんだよ」
「ここはそういう国じゃからな」
「だけど、こいつらは変わらず接してくれてたよな。そういう人間もいるんだなって」
「少数派じゃろうな。単にこやつらが苦労知らずのお人よしという可能性もあるが」
カーミラはぐいと酒瓶を傾ける。
「別れがつらいか?」
「……」
ゼノスは頬杖をついて、ウミンとクレソンの寝顔を眺める。
「どうだろうな。別れならそれなりに経験してきた」
「出会い、別れ、縁があればまた出会う。人の一生はその繰り返しじゃ。そうやって世界の広さと深さを知る」
喉を鳴らして深紅の液体を流し込んだカーミラは、そう言って微笑を浮かべた。
「お前、時々まともなこと言うよな」
「くくく……伊達に三百年生きておらんわ」
「まあ、死んでるけどね」
部屋に客人達の寝息が静かに響く。
王立治療院での最後の夜がゆっくりとふけていった。
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