第70話 食事会の夜【中】
前回のあらすじ)ゴルドラン教授の食事会の夜。第一秘書のボンズが酔って何かを話し始めた
「今回もまた、フェンネル卿にうまく取り入った……?」
ゴルドラン教授の屋敷の庭にて。
第一秘書のボンズに、ゼノスは問いかける。
既に酩酊状態のボンズは、ゼノスをゴルドランと勘違いしているのか、目が半分据わった状態で言った。
「おいおい、何をとぼけてんだよ。十五年前のあの日があったから今のお前があるんだろぉ?」
「十五年前のあの日……?」
「はぁ? まさか忘れたのか?」
「ゼノス、話を合わせて」
リリが後ろでアドバイスをする。
ゼノスは小さく頷いた。
「あ、いや、忘れてない。そうか、もう十五年も経つのか」
「ったく、耄碌するにはまだ早いぜ。研究が認められずにくすぶっていたお前の人生が変わった日だろぉ。あの爆発があった日はよ」
「爆発があった日……ああ、そうだな」
「フェンネル卿の後押しで王立治療院の教授に出世、特級治癒師の称号を得て、今度は院長様かよ。うまいことやったもんだぜ」
「……ああ」
何か大事なことが聞けそうな気がする。
そんな予感がしたが、ボンズは急に黙り込んでしまった。
目の前の相手がゴルドランではないことに気づいた――のではなく、完全に酒がまわってしまったようだ。
ボンズは大きくふらつき、そのまま芝の上で寝入ってしまった。
とりあえず酔っ払いを抱えて屋敷内に戻り、給仕係に空き部屋を案内してもらう。
絨毯に寝かせてボンズに話しかけるが、目覚める気配はない。
会場の大広間のほうからは時折笑い声が響いてくる。
リリがゼノスのそでを引っ張った。
「ゼノス、どうしよう」
「しばらく起きそうにないな。聞けるのはここまでか……」
ただ、情報が断片的すぎてよくわからない。
アフレッドの失踪との関係も不明だ。
「じゃあ、情報集めはこれで終わり?」
「うーん……」
ゼノスは腕を組んだ。
ベッカーからはできる範囲でいいと言われたが、若干の不完全燃焼感は残る。
「なるほどのぅ」
「うわ、びっくりした」
急に声がして振り返ると、半透明の女が後ろでふわふわと浮いていた。
「カーミラ、なんでこんなところに?」
「くくく……冷やかしに決まっておろう」
「あのな、屋敷は治癒師だらけなんだ。見つかったらただじゃすまないぞ」
「ふんっ。冷やかしは命がけだからこそ面白いんじゃあっ」
「何言ってるかわからないし、なんでそんなドヤ顔なの……?」
ゼノスが呆れた声を出すと、横のリリが言った。
「カーミラさん、なにがなるほどなの?」
「ああ、酔っ払いのさっきの戯言から大体の背景は読めるぞ」
「そうなのか?」
尋ねると、カーミラは更なるドヤ顔を浮かべた。
「十五年前の爆発事件の日、それまでしがない研究者だった男の人生が変わった。どうやら貴族に恩を売ったのが転機らしいの」
「そう言ってたな」
「治癒師が恩を売るということはどういうことじゃ?」
「……普通に考えれば、何らかの治療をしたってことだよな」
「そうじゃろうのぅ」
ゼノスは視線を虚空に向ける。
「つまり……経緯はわからんが、十五年前になにかの爆発があって、フェンネル卿が怪我を負った。それをゴルドランが治療をした、ってことか?」
「基本的にはそういう話じゃろう」
「ふーん……」
その結果、フェンネル卿はゴルドランに恩義を感じ、以後様々なサポートをするようになった。
大貴族の強力な後押しを受けたゴルドランはみるみる出世し、王立治療院の次期院長の座にまで手をかけている。
「でも、それなら何も問題ないんじゃないか?」
ゴルドランの能力や人格はともかく、そんな経緯であれば他者が口を挟む余地はない。
「ああ、それだけならただの美談じゃ。だが、ゴルドランという男はなぜかその話をおおっぴらにはしておらんのじゃろう」
「……?」
カーミラの言葉に、ゼノスは眉をひそめる。
確かに、ゴルドランがフェンネル卿の恩人の立場にあることは察せられたが、経緯については今回ボンズが口を滑らせなければ知ることはなかった。
ゴルドランの性格を考えれば、そんな過去があれば声高に宣伝しているはずなのに。
「なんで言わないんだ?」
「言えない事情があるのじゃろう」
「言えない事情……って何?」
リリが首をひねると、カーミラは軽く肩をすくめて言った。
「爆発に巻き込まれたなら、貴族はそれなりの怪我を負ったはずじゃ。しかし、ゼノス。貴様が会った貴族はぴんぴんしておったんじゃろう」
「そうだな」
「果たして、それほど完璧な治療ができるじゃろうか」
「心臓さえ動いてればなんとかなるんじゃないのか」
「貴様の常識で答えるでない。貴様が見てきたゴルドランという男ができるかじゃ」
「うーん……難しい、かもしれないな」
特級治癒師の肩書きはあるが、権力で手に入れたものであり、本人の治癒魔法自体はそれほどでもないとウミンも言っていた。
「と、言うことは、まさか――」
「あっ、リリわかったかも……!」
リリがパチンと手を叩く。
「十五年前、爆発事件があって貴族のおじさんが怪我をした。でも――」
リリはごくりと喉を鳴らして続きを口にした。
「おじさんを治療したのは別の人だったんだ。その人は何も言わずにそこを立ち去った。そして、偶然通りかかったゴルドランのおじさんが、さも自分が治療をしたように貴族のおじさんに言ったんだ」
大怪我で意識が朦朧としていたフェンネル卿は、別人が治療したことに気づかずゴルドランを恩人と勘違いした。
リリの視線が、絨毯でいびきをかくボンズに落ちる。
「だけど、偶然通りかかったボンズのおじさんがそれを見ていた。それでゴルドランのおじさんを脅したんだ」
ボンズは若い頃に写真家を目指していたと言った。
別の人間がフェンネル卿を治療するところを写真におさめたのかもしれない。
だから、証拠を握るボンズを放っておけず、第一秘書という要職につけざるを得なくなった。
口止めのため、そして監視下に置くためだ。
だが――
「アフレッドの失踪はそれとどう関係するんだ?」
ゼノスが言うと、リリはむぅと唸って腕を組んだ。
「多分……前の食事会で、酔ったボンズさんが、今回みたいにアフレッドさんに口を滑らせたんじゃないかな。秘密を知ってしまったアフレッドさんは、ボンズさんが後でそれを自分に話したことを思い出すんじゃないかと思って、危険を感じて身を隠した、とか……」
「あるいは既に消されているかもしれんのう」
「そ、そんなことない、と思うけど……」
カーミラの言葉に、リリは不安げに眉を寄せた。カーミラはふっと微笑む。
「安心せい、リリ。これだけ酔っていれば話したことなど覚えておらんじゃろう。だとしたら、このボンズという男がアフレッドという男を消す理由はない」
「そ、そうだよね」
「なかなかやるではないか、リリ」
「リリ、探偵できるかも……! ゼノスの治療院とリリの探偵社……!」
全ては十五年前の爆発事件から始まった。
貴族の恩人を装ったゴルドラン。
それを目撃し、ゴルドランに寄生したボンズ。
秘密を知ったアフレッドは、ほとぼりが冷めるまで身を隠すことにした。
リリはふんす、と鼻を鳴らし、両手を天に掲げた。
「謎は全て解けた……」
そこで部屋のドアが急に開いた。顔を出したのはクレソンだ。
「兄貴ぃ、妹ぉ、こんなとこにいたのかよぉ。姿見えないから不安になったじゃねえかよぉ」
既にカーミラは姿を消している。ゼノスはぽりぽりと頬をかいた。
「悪いな、酔っぱらいの介抱をしてたんだ」
「ボンズさんなんか放っておいて広間に行こうぜ。どうせいつも酔っぱらってんだからよ。そんなことよりお偉方に媚び売って仲良くなったから、俺から兄貴たちを紹介してやるよ」
クレソンは得意げに親指を立てる。
「リリ、媚び売るお兄ちゃんとか嫌だ……」
「妹ぉ、プロの処世術ってやつを見せてやるぜぇ」
広間に向かうクレソンの後にリリがついていく。
ゼノスは軽く溜め息をついて、後に続こうとした。
「ゼノス、貴様はどうする?」
再び姿を現したカーミラが後ろから声をかけてくる。
ゼノスは立ち止ったまま口を開いた。
「なにがだ……?」
「わかっておろう」
「もう一つの可能性、についてか」
振り返って言うと、カーミラは静かに頷く。
「やはり気づいておったか」
「ああ、お前の話を聞いて気づいた。俺はゴルドランの回診につきあったからな」
十五年前の爆発事件でフェンネル卿が大怪我を負った。
ゴルドランの治癒魔法では完璧な治療はできない。
だから、治療したのは別人だった。
リリが口にした案は、確かに一つの考え方だ。
しかし、ボンズが別人が治療をしていた写真を撮っていたとしても、その人物の治療は不十分で、最後は自分がやったと言い張ることもできる。
ゴルドランはもっと決定的な弱みを握られているのではないか。
「爆発事件、という響きから考えると、犠牲者がフェンネル卿だけだったとは思えない」
巻き込まれた人間が他にもいたと考えるのが自然だ。
ゴルドラン一人では確かに完璧な治療はできない。
だが、ある条件が整えば、ゴルドランにもそれに近いことが可能になる。
「生命力の転移魔法――」
病棟回診の時にゴルドランが見せた治癒魔法だ。
十五年前、事故現場を通りかかったゴルドランは、大勢の人間が呻いているのを目にする。
その中に、明らかに身なりの高貴な人物がいる。
貴族だ。ここで恩を売れば人生が変わるかもしれない。
だが、自分の力では無理だ。
いや、一つだけ方法がある。
その他大勢の死にかけの人達から生命力を転移させれば――
ゼノスは拳をぐっと握った。
「ゴルドランは命を選んだ」
「それは、罪か」
「……優先順位をつけることは罪じゃない。だが、一人を助けるために他の命を奪ったならば、それは――」
アフレッドはおそらく前の食事会でボンズの話を聞き、同じ考えに至った。
そして、姿を消した。
ボンズの酔っぱらいぶりを見ていると、後で秘密を話したことを思い出してアフレッドを消したとは考えにくい。
だとしたらアフレッドが姿を消した理由は何だろうか。
一つはリリの言った通り、重要な秘密を知ったことで身の危険を覚え、ほとぼりが冷めるまで身を隠したかった。
だが、別の可能性もある。
「もしも……その事件に他に生き残りがいたら……」
ゼノスは静かにつぶやく。
そして、十五年を経て、その真実を知ったとしたら――
「復讐、か」
ふわりと身を浮かしたカーミラに、ゼノスは頷いてみせる。
「その可能性はあるだろうな」
「だが、復讐をするなら下手に身を隠さず、標的の近くにいたほうがいいのではないか」
「それはわからないな。ただ、相当な怒りを覚えたとすると、むしろ殺気を気取られるのを怖れたのかもしれないが……」
窓の外に広がる茫漠とした暗闇を眺めて、ゼノスは言った。
「……アフレッド。お前は、どこにいるんだ」
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