第67話 七大貴族の娘【後】
前回のあらすじ)七大貴族の娘のシャルロッテはゼノスの話を聞いて奇面腫の手術を受けることにした
「教授、どうか娘を宜しくお願いします」
「ええ、お任せ下さい。フェンネル卿」
フェンネル卿と硬い握手を交わしたゴルドランは、ドアを閉めてこちらに近づいてくる。
シャルロッテの奇面腫の手術を行うにあたって、彼女の部屋を即席の手術室として使うことになった。中央の台には白い布がかけられ、その上にシャルロッテが目を閉じて横たわっている。
寝息を立てているのは、眠り薬を飲んでいるからだ。
患者が恐怖を感じずに済むように、王立治療院では術前に眠らせることが多いらしい。
催眠作用と鎮痛作用のある魔法陣を用いることが多いようだが、簡便であるため似た効果を持つ薬を使うこともあるらしく、これもベッカーが作ったものだと言うから大したものだと思う。
ゴルドランはシャルロッテが寝入っているのを確認すると、じろりとこちらを睨んできた。
「さあ、貴様らの仕事だ。なんとしても成功させろ。万が一失敗したらどうなるかわかっているな」
「は、はいっ」
クレソンは直立不動で背筋を伸ばした。
「お、おまかせくらひゃいっ」
クレソンは青ざめた顔でゼノスを振り向いて、小さな声で言った。
緊張と恐怖でかちかちと奥歯が打ち鳴らされている。
「兄貴……ど、どうすりゃいい……?」
「手術は俺がやるよ」
すると、クレソンは満面の笑みになってゼノスの手を握った。
「兄貴ぃぃ。やっぱり俺の兄貴だぜぇぇ」
「だから、兄貴じゃないけどな?」
「おい、待て。何をやっている」
ゼノスがシャルロッテの脇に立とうとしたら、壁際で腕を組んだゴルドランが鋭い声で言った。
「何って、手術だけど」
「執刀医は貴様じゃない」
ゴルドランの指先はクレソンを向いている。
「ミルクの治療をしたのは世話係の貴様だったな。貴様が執刀医をやれ。黒マスクのお前は助手だ」
「……いえ、あの、それは……」
「なんだ」
「なんでも、ありません」
クレソンは力なく首を振った。
第二秘書の進言で、犬の治療はクレソンがしたことになっていると聞いた。
今更違うとも言えない状況なのだろう。
「では、さっさと始めろ」
「はい……」
クレソンはうなだれて持参の手術着に着替えた。
切開用の刃物を手にとったが、指先は震えている。
ゼノスは、シャルロッテを挟んでクレソンと反対側に立った。
「うう、う……」
「おい、そんなに震えてると余計な傷をつけるぞ」
「わ、わかってるよ」
「まあ、大丈夫だ。そんなに難しい手術じゃない」
「教科書じゃ、A+ランクの難易度なんだよぉ」
少しでも根を残すと、より悪化して再発する。
しかし、無理に取りすぎると、大きな傷が残ってしまうし、余計な神経を傷つけてしまう。
そもそも、原則手術はしないため、手術の経験者自体が少ないと言う。
「ふーん……」
「おい、何をグダグダ言っている」
「は、はい、すいませんっ」
ゴルドランの言葉に、クレソンはびくんと身を震わせる。
シャルロッテの頬にある指先大の吹き出物に、クレソンは恐る恐る刃先を近づけた。
「ええと、奇面腫の根は三時方向と七時方向と十時方向にあるから……」
「ちょっと待て。<診断>」
ゼノスの指先から放たれた白い光がシャルロッテの顔を通り過ぎた。
「今のはなんだ、兄貴?」
「内部をチェックした。根の方向は個体差があるから一般論にとらわれないほうがいい。この娘の腫瘍は二時方向と六時方向、あと九時方向と十時方向だ」
「そんなこともわかるのか」
「逆にそれもわからず手術なんてできないだろ」
ゼノスは両手をシャルロッテに向けて、クレソンに言った。
「傷が少なくなるように俺が小声で指示するから、その通りやってみてくれ」
「兄貴……。わかった」
クレソンは頷いて、皮膚に刃物を入れた。
真皮を開くと奇面腫の黒い根が這っているのが見えた。
ゼノスは指示を出しながら、痛みと出血を押さえるために局所の神経と血管を防護魔法で覆う。
刃先の動きに合わせて出力と魔法の照射範囲を微細に調整。
足りない部分は、さりげなく指先に小さな<執刀>を作り出し、サポートをする。
時間をかけながらも、奇面腫の根が一本、また一本とはぎとられていった。
回復魔法で細かく治しているので、傷口も綺麗な状態だ。
「……ほう。やるではないか、世話係」
頭側から覗き込んだゴルドランが、満足そうに頷いた。
しかし、クレソンの手がふと止まる。
「これは……」
「どうした?」
「あの、根が、神経に……」
最後の根が、顔の筋肉の動きを司る神経に広範に巻き付いている。
「根を取り切るには神経ごと切るしか……」
「待て」
ゴルドランがクレソンの手を止めた。
「それをやると人相が変わる。皮膚と違って、神経の修復は難易度が高いのだ。特に複雑で繊細な顔の神経はな。それぐらい知っているだろう」
「で、ですが、根を残せばまた再発します」
「……」
眉間に濃い皺を寄せる教授に、クレソンが恐る恐る言った。
「一度傷を閉じて、なんとか説得して王立治療院で再手術をしてはどうでしょうか」
「今さらそんなことができるか。奇面腫の根は中途半端に残して閉じると、即座に前よりも強く深く根を張り、さらに神経を強固に巻き込む。手の施しようがなくなる」
「で、では……ど、どうしましょう、教授」
「……くそっ」
ゴルドランはぎりぎりと奥歯をかみしめた。
置かれた状況に対する怒りなのか、眉間の皺が一段と濃くなっている。
やがて大きく息を吸って、こう言った。
「……やむを得ん。切れ」
「い、いいのですか」
「根が残って再発すれば、わしの評価は間違いなく大きく落ちる。確実に腫瘍を取り切るほうが優先だ」
「で、ですが……人相が幾らか変わってしまいますが」
「……院長選への影響は免れんだろうが、根を残すとまともに見られない顔になる。ダメージを少しでも減らす以外に道はない。くそぅ、とんだ貧乏くじを引いたものだ」
「……?」
首をひねるクレソンのそばに来たゴルドランは、その手をとって神経を切断し、腫瘍を引き抜いた。
そして、大声でこう言った。
「大バカ者っ、なんということをっ!」
「え?」
「どうしました、教授っ」
部屋の外で待機しているフェンネル卿の声が聞こえる。
ゴルドランは扉の向こうに言った。
「大バカ者の助手がわしの言いつけを守らず、神経を切ったのです。それだけはやるなと言っただろう」
「え、え……?」
クレソンが何度も瞬きをする。
フェンネル卿はあまり状況がわかっていない様子だが、よからぬ気配は感じ取ったようだ。
不安げな声が扉の奥から響いてきた。
「そ……それは問題なのですか?」
「大問題ですよ。この助手が勝手な真似をしたせいで――」
「そ、そんな……」
クレソンは今にも泡をふいて倒れてしまいそうだ。
「貴様のせいだぞ、世話係。仕方がないから、明日王立治療院に連れて行き、わしの転移魔法で神経を繋ぐ手術をやろう。完全に元通りにはなるまいが、今よりはましになるだろう」
「きょ、教授……」
つまりこの場の責任は助手に押し付け、自らはそれをリカバリした立場をとる、という訳だ。
クレソンがあわあわと唇を震わせる中、落ち着いた声で言ったのはゼノスだった。
「心配ない」
ゴルドランとクレソンの目線がゼノスに向いた。
「単に腫瘍が深かったので神経を切るしかなかったという話だ。切ったものは繋げればいい」
「心配、ない……? 娘は心配ないんですねっ、教授」
扉の奥のフェンネル卿は今にも部屋に入ってきそうだ。
ゼノスは目を細めて、ゴルドランを見た。
「ああ、心配ない。この程度の傷は大したもんじゃないさ。わざわざ王立治療院でやり直すほどのものじゃない」
「……なんだと?」
「この娘はまた踊りたいと言って、怖いのを我慢して俺達にゆだねたんだ。治癒師として信頼には応えないとな。そうだよな、教授」
部屋に飾られた舞踏会の写真を眺めて、ゼノスは言った。
「さあ、長時間立ってるのも疲れたし、もう終わらせるぞ」
ゼノスは手の中に作り出したメスで、クレソンが残した微細な腫瘍を素早く切り取った。
切断された神経と皮膚に手をかざして回復魔法を唱えると、白い光がシャルロッテの顔全体を包み込んだ。
「な、なんと――」
ゴルドランが呻く声を聴きながら、ゼノスは眠ったままの少女にそっと耳打ちをする。
「よくがんばったな。手術は無事に終わったぞ」
+++
「はっ」
シャルロッテがベッドから身を起こしたのは、それから三十分後のことだった。
目の前には泣きそうな顔の父が立っている。
「シャルロッテ!」
抱き着いてきた父を押し返して、シャルロッテは言った。
「パパ、鏡をっ」
慌てて手鏡で顔を確認する。
「これは……――」
どこからどう見ても、腫瘍ができる前の自分の顔だ。
わずかな傷さえ残っていない。
「……よかった」
安堵と喜びに、目の端からぽろぽろと涙がこぼれる。
「よかった。よかった。よかった……」
同じく涙ぐんだフェンネル卿が、娘の肩に優しく手を置いた。
「本当によかった。小さなトラブルはあったようだが、問題なかったようだ。ゴルドラン教授が完璧に治してくれたよ」
「え、ええ……教授は?」
「近いうちに行われるであろう院長選の準備で彼は忙しいようだからね。引き止めておくのも悪いから帰ってもらったよ。勿論、私としても選挙への協力は惜しまないつもりだ。私だけでなく娘の恩人でもあるのだからね」
「そ、そうね……」
答えながらも、どこか釈然としない想いをシャルロッテは抱いた。
しかし、その正体はわからない。
――よくがんばったな。手術は無事に終わったぞ。
ただ、耳にうっすらと残るその声は、ゴルドラン教授のものではなかった気がする。
「ねえ、パパ。あいつの名前はなんて言うの?」
「あいつ?」
「ほら、黒いマスクの」
「ああ、教授の第二助手だと言っていたね。彼がどうかしたのかい?」
「べ、別にいいじゃない」
「では迎えにやった執事に聞いてみよう」
呼び出された執事が、慇懃に礼をして答える。
「確かゼノという名前だと記憶しております。お嬢様」
「ふーん……」
シャルロッテはバルコニーに出た。
鳥かごの向こうに広がる空は青々としており、今にも飛んでいけそうだ。
抜けるような蒼天を見上げて、シャルロッテはその名をつぶやいた。
「ゼノ……」
ちょっと気になる部分があったので本章修正して再投稿しています。
大筋は変わりませんが、既に読んでしまった方にはご不便かけます……m(_ _)m
見つけてくれてありがとうございます。
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