第63話 夕闇の散歩道
前回のあらすじ)大貴族から娘の病気を治すようゴルドラン教授に依頼がきた
太陽が西の地平に沈み、空は茜色から薄墨色に塗り替えられようとしていた。
今日の研修を終えたゼノスが、寮に戻ろうとしたところ、入り口に見知った人物が立っている。
王立治療院の白い外套に眼鏡姿。夕闇の風に青い髪が揺れていた。
「どうしたんだ、ウミン」
「あ、どうも、ゼノス……ゼノさん」
声をかけると、ウミンは小さく頭を下げて周囲を確認する。
「その……もしよかったら、ちょっと散歩しませんか?」
「散歩? 別にいいけど」
ゼノスは歩き出したウミンの後へと続いた。
遠くで鳴く鳥の声を聴きながら、芝の道を歩く。
それにしても広大な敷地だ。
王立治療院に来て2週間ほどが経過しているが、これまで足を踏み入れた場所は全体の百分の一にすら満たないだろう。
ゼノスはウミンの後について、小高い丘に登った。
木々を抜けると、急に視界がひらける。
「ここに何かあるのか?」
「ああ、いえ。単に眺めがいいので私の好きな場所なんです」
「……」
ゼノスは視線を前に向けた。
王立治療院は貴族特区の中の行政特別区にある。
なだらかな丘陵と、窓に明かりがつき始めた荘厳な建物群を一望でき、確かになかなか良い場所だ。
朽ちかけた建物が居並ぶ貧民街の景色とはえらい違いだった。
ゼノスはぽりぽりと頬をかいて、隣のウミンに視線を移す。
「で、何か言いたいことがあるんじゃないのか?」
「ええ、あの……」
ウミンは少し口ごもった後、顔を上げて言った。
「その……ごめんなさいっ」
「……?」
ゼノスが首をひねると、ウミンは弁解するように続けた。
「あ、いえ。私、ゼノさんを内輪の案件に無理やり関わらせただけで、自分自身は何にもできてないなって思って……」
「……」
「そもそも私にもっと力があれば、ゴルドラン教授の目に留まることもできたと思いますし、ゼノさんの手を煩わせることもなかったのにって。どんどん申し訳ない気持ちになって」
肩を落としたウミンを見て、ゼノスは口を開く。
「わざわざそれを言うために、散歩に?」
「あ、はい……。私なんかに謝られても、何の得にもならないと思いますが……」
「まあ、労働の対価はベッカーからきっちりもらうから心配いらないぞ。あまり気にするな」
実際、前金の時点である程度もらっている。
「そうかもしれませんが……」
「それに、こんな機会でもなければ王立治療院に足を踏み入れることなんてなかったし、師匠のことを知る手がかりも掴めなかった。俺にとってもメリットがある話だから引き受けたんだ。だから、本当に気にするな」
「頼ってばかりで本当にすいません……。私にできることがあればなんでも言って下さい」
ウミンは申し訳なさそうな顔で頭を下げる。
真面目と言うか律儀な性格のようだ。
多分、ゼノスの周りにいる女性陣の中で数少ない常識人だろう。
そんなウミンが、ふと思いついたように言った。
「そういえば、ゼノさんの師匠ってどんな人なんですか?」
「それがよくわからないんだよな。胡散臭い男だったけど、とにかく色んなことを教えてくれた恩人でもある」
「私にとってのベッカー先生みたいな感じの方なんですね」
「ベッカーは恩人なのか?」
勿論、とウミンは頷く。
「私、幼い頃に母を事故でなくしてまして。親身に面倒を見てくれたのがベッカー先生なんです」
「なんでそこでベッカーが出てくるんだ?」
「あ、言ってませんでしたっけ? ベッカー先生は母の弟、つまり私の叔父なんです」
「へぇ……」
ウミンは俯き加減に、溜め息をついた。
「でも、私は魔法も研究も大したことないですし、アフレッドさんの捜索にも役に立ってないし……何にも恩返しできてないんですよね……」
「ちなみに、ウミンは何を研究してるんだ?」
「えーっと、簡単に言うと薬の管理方法です。どのくらいの温度でどんな湿度でどんな保存の仕方をするといいか、とか。……地味ですよね?」
「地味だな」
「あうぅ……」
「でも、大事なことってのは大体地味なもんだ」
「ゼノさん……」
「ま、師匠の受け売りだけどな」
顔を上げたウミンは、口元をわずかにほころばせた。
「なんだか謝ろうと思ってたのに、むしろ元気づけてもらったみたいですいません」
「時には他人に頼るのも必要なんじゃないか。俺も日常生活は周りに頼ってばかりだ。なんせ一人じゃ朝もまともに起きれない」
くすり、とウミンは微笑む。
「ゼノさんって、面白い人ですね」
――くくく、ラブコメ回……。
「えっ、何っ?」
「気にするな。つけられてたみたいだ」
「え? 誰に?」
――しかし、期待したほど盛り上がらず。星一つ。
「採点するなぁぁっ、レイスぅぅっ」
「レイス!? え、どこですかっ?」
「ああいや、大丈夫。俺の勘違いだ、忘れてくれ」
ゼノスは深呼吸をして、ウミンに帰路を促すことにした。
最近、比較的常識人と付き合うことが多かったので忘れかけていたが、基本ゼノスの周りは非常識な生き物ばかりであった。
寮の入り口まで戻ってくると、もう一人見知った人物が寮の前に立っていた。
先が軽くカールした髪の男。
ゴルドラン教授の愛犬世話係、クレソンだ。
クレソンはゼノスの姿を認識すると、全速力で駆け寄ってきた。
「特別研修生の兄貴ぃぃっ」
「は?」
今、兄貴って言った?
クレソンはずざぁっとゼノスの前に滑り込み、両手を地面につく。
「た、頼むっ。俺を助けてくれぇぇぇっ」
「えっと、何の話?」
「教授に呼び出されてヤバい案件に駆り出されちまうんだよぉぉ。助けてくれよぉぉ」
クレソンは悲痛な声で叫ぶ。
さっきウミンに時には他人を頼るように言ったが、プライドをかなぐり捨て、全力で他人に頼ろうとするクレソンの姿は、しかし、どこか潔くも見えた。
――なんだか面白そうじゃ。星三つ。
「だから、傍観者は採点するのやめような?」
とは言え、クレソンのただならぬ雰囲気から、何かが始まりそうな予感はしていた。
くくく……。
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