第62話 大貴族の依頼
前回のあらすじ)ゼノスは、クレソンと教授の愛犬の散歩に行き、事故にあった犬を治療した
「おかえりなさいませ。教授」
夕方になって、ゴルドランは王立治療院の教授室に戻ってきた。
腰を直角に曲げた第二秘書に出迎えられる。
「フェンネル卿との会食はいかがでしたか?」
「ああ……」
ゴルドランは席にどっと腰を下ろし、深く息を吐いた。
七大貴族の一角で、穏健派として知られるフェンネル卿には以前から世話になっている。大貴族である彼の引き立てによって、ここまでの地位を得たと言っても過言ではない。
第二秘書が顔を覗き込んでくる。
「顔色がすぐれませんが、何か問題でも?」
「フェンネル卿との会食で、わしが何か問題を起こすとでも思うのかね」
「い、いえっ。これは失礼しました」
第二秘書は深々と頭を下げて部屋を後にした。
優秀だが、少々小賢しいのが問題だ。
昼間から飲んだくれている第一秘書に比べれば遥かにましだが。
「……」
ゴルドランは眉間に皺を寄せて、机の端を神経質にとんとんと叩く。
本日、久しぶりにフェンネル卿に呼び出されて会食に向かった。
こちらとしても、いずれ来る院長選挙に向けての後押しを頼みたいところだったので好都合ではあったが、その場で一つ頼まれ事をされたのだ。
――教授に娘を診て欲しいのです。
一週間ほど前に頬に発疹ができたようで、そのうち治ると高をくくっていたが、むしろ少しずつ大きくなっていると言う。
誰にも顔を見せたくないとごねる娘を、フェンネル卿がなんとか説得して診察をした。
奇面腫。
一定の大きさまで成長した後に、進行が止まる良性の腫瘍だ。
命には関わらないが、腫瘍の外観が醜い老婆の顔のように見えることから奇面腫と呼ばれている。今はまだ指先程度の大きさだが、一般に握り拳大までは肥大化する。
診察の後でフェンネル卿にそう伝えると、大貴族は大いに取り乱した。
フェンネル卿が娘を溺愛しているのは、界隈ではよく知られていることだ。
手術で摘出は可能だが、腫瘍を目視できた時点で既に根が広く深く張っているため、かなり広範囲に組織を削らねばならない。
どうしたって顔に傷が残る。
――教授、なんとかなりませんか。あなたは私の恩人なのですから。あなたならきっとできるはずです。
七大貴族にそう懇願されて断れるはずはなかった。
近いうちに準備を整えて再訪します――と約束して屋敷を後にした。
だが、具体的な対策はない。
腫瘍摘出後すぐに転移治癒魔法で大人数の生命力を与えれば、皮膚の再生を十分に助けることはできる。しかし、フェンネル卿の娘は大勢に顔を見られるのは絶対に拒否するとのことだった。
助手として帯同できるのは一人、多くて二人までと言われた。
他の特級治癒師に頼む手もあるが、すぐに捕まらない者が多いし、そもそも他の誰かに手柄の機会を渡したくはない。
王立治療院内で最大の派閥を作った。ここで更に大貴族に貸しを作れば、次期院長の座は間違いない。
王立治療院の院長は貴族になる資格を手にできるのだ。
「誰かおらんのか……」
派閥には優秀な者を集めているが、かすかにでも娘の顔に傷が残れば、二度とフェンネル卿の支援は受けられないだろう。人選は慎重に行う必要がある。
確実に、一切の傷を残さず治療できる者――
「……」
ゴルドランは溜め息をついて立ち上がった。
煮詰まった時は愛犬の顔を見るに限る。
廊下に出ると、あから顔をした第一秘書のボンズとすれちがった。
昔からの知り合いということで雇っているが、目に余る態度が増えている。
ふいにボンズが言った。
「そうだ。お犬様が馬車に轢かれたらしいですぜ」
「なんだとっ」
ゴルドランは目を剥いて第一秘書に食ってかかった。
「まさか貴様の仕業か。そろそろ身の程をわきまえ――」
「俺じゃねえですよ、人聞きが悪い。ま、結局、世話係がすぐに治療して無事だってことですが」
「……」
ゴルドランはボンズを睨みつけると、早足で愛犬の小屋に向かった。
急いでミルクの身体を確認するが、事故にあったような形跡は一切ない。
ボンズに騙されたのかと思ったが、他の秘書を呼んで確認すると、事故はどうやら事実のようだった。実際にミルクが血だらけになった現場を遠くから目撃した者もいたという。
だが、いくら丹念に愛犬を調べても傷跡らしきものは全く見つからない。
事故が本当だとしたら――つまり、完璧な治癒がなされたことになる。
ミルクの脇に膝をついたまま、ゴルドランはつぶやいた。
「……確実に、一切の傷を残さず治療できる者――」
ゴルドランはゆっくり立ち上がり、集めた秘書達に低い声で命令した。
「ミルクの世話係を呼べ」
クレソン、出番…!
見つけてくれてありがとうございます。
気が向いたらブックマーク、評価★★★★★などお願い致します……!




