第60話 経過報告
前回のあらすじ)ゼノスはゴルドラン教授の回診に参加し、アフレッドが教授の食事会の後に姿を消したという情報を得た
「なるほど、ゴルドラン教授の食事会ですか……」
教授回診で得た情報をゼノスが伝えると、ベッカーはゆっくりと頷いた。
いつものように、ベッカーの部屋には本や実験器具があちこちにうず高く積み上げられている。
それらをかわしながら、ベッカーはコーヒーが入ったカップをゼノスに渡した。
「噂には聞いたことがあります。アフレッド君はとても優秀な治癒師ですから、そこに呼ばれたのでしょうね」
席に戻ったベッカーは、ゼノスに小さく頭を下げる。
ウミンは所用で不在のようだ。
「貴重な情報です、ゼノス君。ありがとうございます」
「そうか。じゃ、俺はこれでお役御免だな」
「ふふふ、そうはいきませんねぇ。ヒントは得られましたが、まだ核心には遠い状況です」
「やっぱり?」
教授回診の後、当時の食事会に参加したらしき数名に話を聞いたが、結果は判然としなかった。
食事の後は教授の広大な屋敷で思い思いにくつろいでいたため、アフレッドの動向に注意している者はいなかったようだ。
「こうなったら、是非、特別研修期間が終わる前に、ゼノス君もゴルドラン教授のお気に入りになって食事会に潜入してもらうしかないですねぇ」
「うーん……」
「それができれば契約金を上乗せしますよ。勿論、約束通り今後あなたの闇営業については一切関与しません」
おそらくその言葉は信用はできるだろう。
ゼノスの素性を偽って王立治療院に潜入させている時点で、ベッカー自身も危ない橋を渡っているのだから。
「でも、お気に入りになれって言われてもなぁ」
「ゼノス君なら大丈夫ですよ」
「簡単に言うな」
「自信がありませんか?」
「……」
……どうだろうか。
来る前は、王立治療院では何も通用しないと感じていたが、思ったよりできることはあるとも感じてきた。
「……正直よくわからないな。ここにはあんたみたいなすごい薬を作る奴もいれば、ゾンビがちょっとたくさんいるくらいで慌てる奴らもいる」
「ゾンビがちょっとたくさんいるくらいですか……ふふふ」
ベッカーは苦笑して、おもむろに立ち上がった。
「まあ、面白い人間もいますよ。ただ、そういう者は好き勝手やってるのでなかなか会うことはできませんがね」
ゼノスは嘆息しながら、肩をすくめる。
「いずれにしても、終わったら師匠のことは聞かせてもらうぞ」
「ええ。私のわかる範囲でお答えしましょう、あ、わっ」
立ち上がったベッカーは、机の端に腰を打ち付ける。
机上に無造作に重ねられていた硬貨が、ばらばらと床に散らばった。
「あらら、いけませんねぇ」
ベッカーはそれらを拾おうと腰をかがめ、ふとゼノスに視線を向けた。
「ゼノス君、そういえば前から気になっていたんですが、君はどうして治癒師をやっているのですか」
「うーん……師匠の影響が大きいかな。まあ、俺ができるのはそれくらいしかないし。あんたは?」
「私は……月並みですが、薬で世の中を多少よくできればと思いましてね。治癒魔法の才能はからっきしでしたからね」
実際、ベッカーは数多くの伝染病の特効薬を作ったと聞く。
食えない相手だが、その実績は確かだ。
「治癒魔法は目の前の相手しか救えないけど、薬は多くの人に届くよな。大したもんだと思うよ」
「ははは、あなたに褒められると嬉しいですね。それでも、まだまだ力が及ばないところはありますがねぇ」
確かに、治るようになった病気もあるが、世の中には不治の病と言われているものもいまだ多くある。
ベッカーは小銭を拾うのをやめ、腰を上げて言った。
「ゼノス君。もう一つ質問です」
「なんだ?」
「今、床にはたくさんの小銭があちこちに散らばっています」
「それは見ればわかる」
「私はできればこれらを拾いたい訳ですが、研究やら会議やらで忙しくてそれほど時間がとれません」
「それがどうした?」
「そんな時、君ならどの硬貨を拾いますか?」
「……?」
ゼノスは眉をひそめて床を眺めた。
散らばった中には粗雑な銅貨もあれば、艶やかな銀貨もある。
積まれた本の陰できらりと輝くのは金貨だろうか。
時間がない中、どの硬貨を拾うのか、とベッカーは問うた。
何が言いたいのかわからずベッカーを見ると、いつもの柔和な笑顔でこう続けた。
「ゼノス君。君は命の値段は同じだと思いますか」
「……」
わずかに続いた沈黙は、ドアの開く音で破られた。
「ベッカー先生、いますか?」
部屋に入ってきたのは、用事を終えたらしいウミンだ。
ウミンは不思議そうな顔で、ベッカーとゼノスを交互に眺める。
「あれ、ゼノスさんもいたんですね。取り込み中でしたか?」
ベッカーは普段の様子でウミンに答えた。
「いいえ、世間話をしていました。私に何か用ですか?」
「先生、会議の時間なのに来ないって、事務の人が言っていましたよ」
「ああ、そうですね。今から行きます。場所はどこでしたっけ?」
「もうっ、私が案内しますから」
「いつもすみませんねぇ」
ベッカーは去り際に、ゼノスに片目をつむってみせた。
「では、期待していますよ。ゴルドラン教授に気に入られますように」
「せいぜい努力するよ」
ドアがゆっくり閉まり、室内は静寂に包まれる。
ゼノスは受け取ったコーヒーを口に含み、床に散らばったままの小銭をしばらく黙って見つめていた。
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