第51話 その頃、治療院では
場所は廃墟街の治療院。
玄関扉の前に一人分の影があった。
風に揺れる灰色の髪。
大きな獣耳が辺りをうかがうように左右を向いた。
「リンガは天才かもしれない」
ワーウルフの首領、リンガは身をかがめながら一人ほくそえんだ。
ここの主であるゼノスは、ベッカーといううさん臭い男とともに王立治療院に行っている。エルフのリリと、レイスのカーミラも一緒についていったようなので、この建物は完全にもぬけの殻である。
「ふふふ……」
リンガは鍵穴に針金をゆっくり差し込んだ。
もともと傾きかけた家屋のため、鍵も相当に古いもので、それほどの苦労もなく開けることができた。
静かに扉を開き、足音を消して素早く中に入る。
後ろ手にドアを閉め、内側から鍵をかけた。
しんとした静寂がリンガの身を包む。
「これで好き放題できる……」
思わずニヤリ、と微笑んだ。
だが――
リンガは息を殺して、身を低く構えた。
かすかに、物音がする。
――何者だ……?
意識を前に向けた獣耳に集中させる。
じりじりと何者かの気配が近づいてくる。
どうやら向こうもリンガの侵入に気づいているようだ。
左手に手斧を持ち、ゆっくりと奥に足を進めた。
すると、突然キッチンのほうから黒い影が飛び出してきた。
「シッ!」
「くうっ」
突き出された短剣が煌めくのが目に入った。
それに負けない速度で、リンガは手斧を振り降ろす。
相討ち――とはならず、両者の凶器は、空中でぴたりと動きを止めた。
お互いがよく見知った顔だったからだ。
「ゾフィアっ、どうしてここに」
「リンガ? あんたこそなんで」
先客はリザードマンの首領だった。
ゾフィアは切れ長の瞳を見開いた後、短剣を腰に戻した。
「……まさか先生の留守を狙って、金目のものを盗みにきたんじゃないだろうね」
「馬鹿言うな。それはお前のこと」
「はあ? あたしがそんなことするはずないだろう」
「どうだか。盗賊の血が騒いだとか」
「あんたと一緒にするんじゃないよっ」
「それはこっちの台詞っ」
二人は武器を持っていた手と反対の手に握っていたものを振りかざした。
両者の間で棒状の何かが交錯し、火花が散る。
それは、ほうきと、ハタキだった。
「……」
二人はしばし沈黙し、微妙に気まずい表情で、おもむろにそれぞれの掃除道具を下ろした。
「……なんだい、あんたも掃除に来たのかい」
「ゾフィアも?」
「あーやだやだ。先生の留守中に掃除をしてポイント稼ごうって魂胆がみえみえさね」
「その台詞、そっくりそのまま返す」
「言っとくけど、あたしが先に来たんだよ」
「大事なのはどれだけ貢献できたか。リンガはこう見えて結構綺麗好き」
「あたしだって――」
「ゼノスの留守中の掃除を思いつくとは、我は天才なりぃぃっ!」
二人が睨み合った瞬間、入り口のドアが派手な音を立てて外れた。
そこにはモップを持ったオーク族のレーヴェが立っている。
ゾフィアとリンガは互いに目を合わせ、大きく溜め息をついた。
「……まあ、そんな気はしたけどさ……」
「ドアが壊れて、余計な仕事増えた」
「む、ゾフィアにリンガ。先を越されたか」
仕方がないので、三人で競い合いながらの作業が始まった。
その甲斐あってか、ほんの小一時間ほどでピカピカになる。
日頃からゼノスとリリで分担して掃除はしているようだが、数日留守にしているだけでもそれなりに埃はたまっていたようだ。
「うん、いいんじゃないかい? さすがあたしだねぇ」
「半分以上はリンガがやった」
「我はドアを完璧に直したぞ」
「それ何もしてないから」
ゾフィアとリンガに突っ込まれ、レーヴェは小さく「うう」と呻く。
「ちなみに、二階の掃除はどうしようかねぇ」
「……上はやめておこう。カーミラ殿の部屋だ」
「下手に触ると呪われるやもしれんな」
三人は神妙に頷いた。
ゾフィアは机に頬杖をついて、窓の外を眺める。
「それにしても、先生は大丈夫かねぇ……」
「ゼノス殿は心配ない。どちらかというと周りが心配」
「ゼノスはいまだに自分を三流ヒーラーだと勘違いしているからな」
中天の太陽が柔らかな日差しを注ぎ、鳥がちちちと鳴いている。
廃墟街の治療院では、こうして人知れず平和が守られているのであった。
閑話休題――。
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