第50話 魔法陣の思い出
「それでは、続いての講義を始める」
教壇には、髪が少し薄くなりつつある男が立っている。
冒険治癒学の講義の後、休憩時間を挟んで本日2つ目の講義が始まった。
――ん-……。
最後方の端の席に座ったゼノスは、少しだけ落ち着かない気分でいた。
なんだか他の聴講生達が、妙にちらちらと見てくるのだ。
――一体、なんだ……?
さっきの講義の終わりから、講堂の雰囲気が少しおかしい。
慎重に対応したつもりだが、何かをミスってしまったのだろうか。
そして、横を見ると、明らかにこちらを睨んでいる人物が一人。
ウミンの同期、クレソンだ。
クレソンは目が合うなり、肩を怒らせて凄んできた。
「てめえ、ゼノっていったか?」
「ああ」
「あのなぁ、目立ちたいからって適当なことを言うんじゃねえぞ」
「いや、むしろ目立ちたくはないんだが……」
「なにが一度にゴースト三十体だ。てめえが嘘ついてるのは見え見えなんだよ」
「ま、まじか……」
確かに、一度に五十体は軽くいけるが、三十体と嘘をついた。
こいつ、意外と鋭いのか……?
「実技のプログラムが始まれば、てめえの実力なんてすぐに知れるんだからな」
「それが問題なんだよな……」
ゼノスは軽く頭を抱えた。
廃墟街の片隅のもぐりヒーラーが、王立治療院の次期院長とも噂されるゴルドラン教授の目にとまることなどできるのだろうか。
ベッカーが簡単な依頼だなんて言うから、うまく乗せられてしまった気もする。
浮かない表情のゼノスに、クレソンは眉をひそめて言った。
「とにかく、これからは適当なこと言うんじゃねえぞ」
「ああ……覚えておくよ」
そんな会話をしていると、教壇の講師がおもむろに話し始めた。
「さて。私は治癒魔法陣学を専門にしている。諸君も知っての通り、魔法陣は魔力によって描かれる幾何模様で、形によって様々な効果を発揮する。冒険時に使えるような簡易魔法陣から、何日も、時には何カ月、何年もかけて描かれる巨大魔法陣というものも存在する」
講師は指先に魔力を灯し、黒板に一つの魔法陣を描いてみせた。
「この辺りは基礎だな。エリート治癒師の諸君らには容易なものだろう。万が一この程度ができない者がいたら、講堂を出てもらわねばならん」
小さな笑いが起こる中、ゼノスは人知れず肩を落とした。
――俺だ……。
まともな教育を受けてないから、基礎からしてよくわからない。
魔法陣など、そもそもあまり使ったことがないのだ。
悠長にそんなものを描いている暇があるなら、さっさと回復させたほうがいいと思っていた。
なんだか、だんだんと気が重くなってきた。
「今回は、魔法陣の応用研究を紹介する」
講師はそう言うと、描いた魔法陣に修正を加えていった。
すると、魔法陣の放っていた淡い白色の光が、もう一段強い光に変化する。
おおぉ、と生徒席からどよめきが漏れた。
「こうして構造をいじることで、作用強化や、別効果を付与することが可能になる。いちいち魔法陣を書き直さずともよい訳だ」
小難しい理論背景を一通り語った後、講師は聴講生達を見回した。
「さて、では諸君らの誰かに渾身の魔法陣を描いてもらおうか。私がそれを添削してより効果的なものにしてみせよう」
前の席に座っていた職員が指名され、黒板に魔法陣を描いた。
基礎魔法陣より複雑な形状をしているが、講師はそこに次々と修正を加える。
「まだまだ甘いな。構造上の無駄と空白が多い。こうすることで、作用を強化しながら解毒効果も足すことができる」
「はい、ありがとうございますっ」
「うむ。では、次は――」
「俺にやらせて下さい」
手を上げたのはクレソンだった。
立ち上がったクレソンは、得意げな顔でゼノスを一瞥すると、意気揚々と講師の元へと向かった。
そして、前の者より更に複雑な魔法陣を描いてみせる。
講師は腕を組んで、感心したように頷いた。
「……素晴らしい。これだけ短時間で描き、しかもほとんど手直しする箇所がない。君は理論をうまく応用できている。私の研究室に来ないかね?」
「いえ、俺はゴルドラン教授の下で働いてるんで」
「ほう、ゴルドラン教授の……それも納得だな。残念だが仕方がない。諸君、拍手を」
ぱちぱちと手が打ち鳴らされた後、クレソンは奥のゼノスを指さした。
「先生、あそこの特別研修生もやりたいらしいです」
「え?」
ゼノスは再び驚いて顔を上げる。
「そうか。じゃあ、君。こちらに」
「いや、俺は……」
「なに、研修生だからといって遠慮する必要はない。この機会にたくさん勉強していきなさい」
「……」
できれば遠慮したいが、講堂中から期待と疑惑が混ざりあったような視線が送られている。
今さら固辞できる状況ではなさそうだ。
「くくく、恥をかきやがれ」
席に戻ってきたクレソンが、小さな声で言った。
「……」
ゼノスは仕方なく立ち上がり、重たい足取りで黒板の前に立った。
「さあ、どんな魔法陣でもいいぞ。特別研修生に選ばれるくらいだから、少しは描けるのだろう?」
「ま、まあ……」
――ゼノス。ぶっちゃけお前に魔法陣は必要ない。基本的にあれは補助だからな。
かつて、貧民街の片隅で。
師匠がそう言ったのを思い出す。
なぜ必要ないのかは、よくわかっていないが。
――だが、うまく使えば楽ができるし、便利なこともあるから知っといて損はない。とりあえず俺が暇な時に考えたやつを教えてやるよ。
師匠は悪戯っぽく笑って、地面に指で魔法陣を描いてみせた。
それは十本の指が絡みあったような、極めて複雑な形の魔法陣だった。
――魔法陣ってのはその通り描けばいいだけじゃない。それに見合う魔力を込めて描かないと働かないんだ。お前の魔力なら使えるんじゃないか。
あの時は、ふーん……と思って、一応練習はしたけれど。
結果的に、それほど役立つものではなかった。
師匠はにやにやしながらこう言ったのだ。
――まあ、暇つぶしにはなっただろ?
あいつめ……。
「どうしたのだ?」
「ああ、いや。なんでもない、です」
久しぶりに師匠のことを思い出した。
結局、その後色々あって、魔法陣については、それ以上のことを師匠から習う機会はなかった。
ゼノスは、やむを得ないので、あの時教えてもらった魔法陣を描くことにした。
胡散臭い親父が暇つぶしに考えたものだから、披露するのも恥ずかしいが、他に選択肢がない。
「くくく……なんだよ、あれ。そんな魔法陣見たことねえよ。ホラ吹き特別研修生のメッキが早速剥がれたぞ」
わざと聞こえるような声で、クレソンが言った。
何人かが、くすくすと含み笑いをする。
だが、顔を青くしている者が一人いた。
他ならぬ講師の男だ。
「き、君、そ、その魔法陣は……」
「あー、申し訳ない。俺はこれくらいしかできないんだ」
「た、ただの治癒魔法陣じゃないっ。無限螺旋による増幅効果が東西南北に配置されている。ま、まさか再生か……だ、だが何かが違う」
一瞬にして、講堂の空気がひきしまる。
再生の魔法陣が超高度な代物であることを、勿論ゼノスは知らない。
「あー、一応そうみたいだけど、妙なやつなんだ。複数の指を失った時、どこかの一本を無作為に再生するっていう」
師匠らしい、どうでもいい遊び心に溢れた使えない一品だ。
「な、なんだとぉぉ! 条件分岐、無作為抽出……一つの魔法陣でそんなことが理論上できる、のかっ。だが、これは確かに」
講師は生徒のことをすっかり忘れたように、黒板に向かってぶつぶつと呟き始めた。
「し、しかし、魔力容量が莫大になるのでは……人間が動かせるものではないぞ」
「動かせるけど」
「はあああっ?」
講師は恐る恐る魔法陣の端に触れてみた。
「た、確かに魔力の波動を感じる。き、君は一体――」
「まあ、役に立たないのは事実だ。指くらい魔法ですぐ生やせばいいし」
「ま、魔法で、すぐ生やす……?」
混乱した講師は、物凄い形相でゼノスの肩を掴んだ。
「ちょっと君が何を言っているのかよくわからない。だ、だが、それはいい。とにかく私の研究室に来てくれないか」
「あ、いや、それはちょっと……」
講師は他の生徒のことは眼中になくなってしまったようで、そのまま講義は終了となった。
結局、講堂に残されたゼノスは、断りきるのに更に半刻の時間を費やすことになる。
外に出た聴講生達は口々に言い合った。
「あの特別研修生、まじで何者なんだ」
「再生の魔法陣をあんなに速く描くやつ、初めて見たぞ」
「それより、指を魔法ですぐ生やすって言ってなかったか」
「さすがにそれは嘘だろ。上級治癒師だって完全再生しようと思ったら一日じゃ無理だぜ」
すっかり話題の外になったクレソンは、周りのやり取りを睨みつけながら、ぎりぎりと奥歯を噛み締めた。
「なんだよ、あいつは一体なんなんだっ……」
静かな湖面に、投げ込まれた石のごとく。
じわじわと、しかし確実に、ゼノスの存在は波紋を広げていくのであった。
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