第45話 特級治癒師の誘い
前回のあらすじ)治療院に王立治療院のベッカー先生がやってきた
「王立治療院の特級治癒師だと……?」
ベッカーと名乗る男の顔を、ゼノスは見つめた。
相手は柔和な表情のまま答える。
「ええ。と言っても実は治癒魔法はそれほど得意ではないんですがね」
「……と言うか、それは赤色肺なのか? 少し違う気もしたが、一体――」
「ああ、それは――」
「ベッカー先生っ!」
ベッカーが答える前に、ドアが勢いよく開いた。
眼鏡をかけた青髪の少女が、治療院に駆けこんでくる。
「あっ、宿で見た奴」
「あの時の治癒師。やっぱりいた――!」
ゼノスとウミンが互いを指さして言った。
ベッド上の男が、入ってきた少女に片手を振ってみせる。
「やあ、ウミン」
「やあ、ウミンじゃないですよっ。自分が重症になって運ばれるから後をつけてこいだなんて、めちゃくちゃすぎますっ」
「だって、そうでもしないと――ぼはぁぁあっ!」
ベッカーは激しく咳き込み、大量の血を吐いた。
「きゃああっ!」
「わわわああぁぁ」
ウミンと、奥にいたリリが同時に叫ぶ。
「ああ、いけない。かなり弱毒化したはずですが、それでもなかなかきついですね」
ベッカーは口元を拭うと、ポケットから粉薬を取り出して、ごくんと飲んだ。
ふぅと息を吐く男に、ゼノスは眉をひそめて問いかける。
「あんたが王立治療院の人間だということはわかった。ただ、一連の流れがどういうことか説明してくれないか」
「なに、単純なことです。重症になればここに運んでもらえる。そこで赤色肺と似た症状を起こす薬を飲んだのですよ。見た目は派手ですが、早めに代謝されて効果が消えてしまうので死ぬことはありません。念のため解毒剤も飲んだのでもう大丈夫です」
「そんな薬をどこで手に入れるんだ?」
「僕自身が作ったんです」
「え?」
「赤色肺の特効薬を作るための研究に必要だったもので」
「赤色肺の特効薬? まさかあんたが……?」
かつて多くの命を奪った伝染病。
特効薬が開発されたことで、大勢が助かった。
入り口付近に立っていたウミンが、得意げに胸を張った。
「そうなんです。赤色肺、千日咳、桜毒。ベッカー先生は数々の病気に対する特効薬を作り上げ、その功績から特別に特級治癒師の称号を得たすごい人なんです」
「あはは、そんな大した者じゃないけどね。治癒魔法は下手くそだし」
ベッカーはぽりぽりと寝癖のついた頭をかいて、ベッドから降りる。
「さて、闇ヒーラー君。ここはどうみても営業許可が出ている治療院ではなさそうですねぇ」
途端に空気が緊張感を帯びる。
ゾンデが、ゼノスの横で腰の短剣を抜いた。
「先生すまねえっ、俺のせいでっ。ここは必ず食い止めるから、逃げてくれっ」
「別にゾンデのせいじゃないさ。こんなやり方は想定外だったしな。それに治療院の中では喧嘩は禁止だ」
「だがっ」
「俺も逃げだしたいのはやまやまだが、今回は相手が一枚上手だったってことだ」
「そんなの駄目ぇっ」
奥にいたリリが駆け出してゼノスの前で両手を広げる。
「ゼノスは行かせないっ。ゼノスはここのみんなの希望なんだもんっ」
「やれやれ……随分慕われているようですねぇ」
困ったように頬をかくベッカーの後ろで、ウミンが恐る恐る手を上げた。
「あの……ベッカー先生。私ちょっと思ったんですが、例の件、この人に頼めないでしょうか?」
「……」
ベッカーの瞳がわずかに細まる。
「ウミン。あれは内部の話であって、彼は無関係です」
「だ、だからこそです。部外者のほうが動きやすい時もありますし」
「しかし――」
「最初は闇ヒーラーに興味なさそうだったのに、急に真面目に探すなんて言うから、先生もそのつもりなのかと私思っていたんですが……」
「いえ。実は、黒い外套をまとった特級治癒師と聞いて、もしかしたら古い知り合いかと思ったのですよ。結局別人でしたが。そして、闇営業を見つけてしまった以上は、立場上取り締まらなければなりません」
「……わかり、ました」
ウミンはゆっくりと手を下ろした。
「ゼノス君、と言いましたかね? では、近場の治療院で事情聴取を――」
そこまで言って、ベッカーの言葉が止まった。
その視線は、奥の壁に掛けられたゼノスの黒い外套に向いている。
「……あの外套はあなたのものですか?」
「そうだけど、元々は師匠のものだ」
「師匠? 師匠の名前は?」
「知らん」
「知らない?」
「ああ、一回も名乗らなかったからな」
「……」
ベッカーは壁に近づいて、黒い外套を手に取った。
それをしげしげと眺め、背を向けたまま口を開く。
「……いいでしょう、ウミン。少し気が変わりました。例の件は彼に任せてみましょうか」
「え、いいんですか、ベッカー先生?」
「例の件……?」
首をひねるゼノスに、振り返ったベッカーはにこにこした顔で言った。
「ゼノス君。突然ですが、王立治療院に入ってくれませんか?」
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