第39話 フラム温泉郷
貧民街の位置する王都の外れから馬車で半日ほどの距離に、温泉郷フラムはある。
山間の小さな集落であるが、豊富な湯量と癒しを求めて年中賑わう湯治場として知られていた。
「ああ、生き返る……」
広々とした露天風呂につかったゼノスは、大きく伸びをした。
日は既に暮れ、頭上には満天の星が煌めいている。
中心部は市民証がなければ入れない高級旅館も多いため、町外れの宿を選んだ。
建物は多少古いが、その分人が少なく居心地がいい。
男湯に至っては完全に貸し切り状態だった。
「来てよかったなぁ……」
日頃の疲れが、湯の中にじんわりと溶け出していく。
こんな広い風呂に一人でゆっくり浸かるのは初めてかもしれない。
目立たずひっそりと闇ヒーラーをやるつもりだったのに、気がつけば随分と騒がしい日々を送っている。久しぶりに訪れた一人穏やかな時間をゼノスは満喫していた。
「せーんせい」
「え?」
聞いたことのある声がして、ゼノスは顔をこする。
湯けむりで見えにくいが、洗い場に誰かが立っていた。
申し訳程度にタオルを巻いているだけで、妖艶な体のラインが浮かびあがっている。
「……まさかゾフィアか? ここは男湯だぞ」
「知ってるさ。だけど、背中くらい流させておくれよ。今回は先生の慰安旅行なんだからさ」
「自分でできるからいい」
「つれないねぇ」
ゾフィアはざぶざぶと湯の中に入ってきた。
「普通に入ってきたな」
「別にいいじゃないかい。他に入っている客もいないしさぁ」
「すぐに来るぞ。騒ぎになると面倒だからさっさと女湯に戻れ」
「大丈夫さ。先生が男湯に入った後、清掃中の看板を出しておいたから」
「だから、貸し切り状態だったのかっ……!」
「という訳で、ここには先生とあたしの二人だけ……」
ゾフィアはにやりと笑って、ゼノスの前に仁王立ちになった。
本能的な危機――をその時のゼノスは感じたそうな。
が、ゾフィアは遠慮がちに少し離れた場所に腰を下ろしただけだった。
「……本当はもっとがつがついきたいけど、先生に嫌われるとつらいからさ」
「たまにはまともなことを言うじゃないか」
「そりゃそうさ、先生の前だからね。えへへ」
「……」
湯の熱のせいか、ゾフィアの顔は少し赤く染まっている。
「最近、弟や部下にあたしは変わったって言われるんだよ。多分、先生に会ったからだと思うんだ」
「まあ、最初の頃よりは穏やかになった気はするな」
「うん……。先生はさ、傷を治すだけっていうけど、多分それだけじゃなくて、人を変えているんだよ。いいや、人だけじゃないさ。ワーウルフやオークと打ち解けるとは夢にも思っていなかったし、近衛師団と会話をするとも思っていなかった。先生はきっと世の中を変えていく――」
「それは大袈裟だ。俺は単なる闇ヒーラーだ」
治癒師は怪我を治して三流、人を癒して二流、世を正して一流。
師匠の言葉が、束の間脳裏をよぎる。
自分はそんな域にはまだまだ達していない。
「ううん、先生がそう思っていても周りは先生をほうっておかないよ。きっとすぐにあたしの手の届かないところに行ってしまう。だから、せめて今くらいは一緒の湯につかってもいいだろ?」
「……」
ゼノスはしばらく黙った後、おもむろに言った。
「なあ、ゾフィア」
「なんだい?」
「さっきからだんだん近づいてきてないか?」
「……ばれたかい? 話で油断させて襲い掛かるつもりだったのに」
「少しでもまともだと思った俺が馬鹿だった……!」
「ちょっと待ったぁぁぁ!」
ゾフィアが湯から立ち上がった瞬間、男湯の入り口で聞いたことのある声がした。
湯けむりの奥で、申し訳程度のタオルを巻いた人物が、獣耳を激しく揺らしている。
「ゾフィア、抜け駆けは許さないっ」
「ちいっ、リンガ。ここは男湯だよ。何を考えているんだい?」
「いや、お前もな?」
リンガはよろよろした足取りで、湯の中に入ってくる。
「リンガはのぼせてここに辿り着いただけ」
「絶対嘘だよな?」
「ああ、リンガはのぼせているから足が滑ってしまった」
「だから嘘だよな!?」
言いながら、リンガはゼノスに飛び掛かってきた。
ゾフィアがそれを横から食い止める。
「くっ、先生に気安く近づくんじゃないよ」
「離せっ、ゾフィア。リンガは意識朦朧で今にもゼノス殿に倒れ込みそうなのだ」
「こんな力強い意識朦朧があるかい」
「お前ら、俺は静かに温泉を堪能したいんだけどな」
「待て! 我を忘れてもらっては困る」
少し離れた場所で、湯の中からざばぁと何者かが出てきた。
不敵な笑みで腰に手を当てているのは、オークのレーヴェだ。
「ええと……仕方ないから突っ込んでやるが、なんでそこから出てきたんだ?」
「湯に隠れてゼノスを待っていたのだ。しかし、息が続かず仮死状態になっていたところ、今の騒ぎで意識を取り戻したという訳だ。我は意外とドジなのだ」
「どや顔で言ってるけど、体張りすぎじゃないか?」
「どうだ、ゼノス。我はなかなかいいスタイルをしているだろう」
「暗いからよく見えない」
「ならばよく見える距離に近づこう」
「別に近づかなくてもいいぞ?」
「行かせないよ、レーヴェっ」
「スタイルならリンガが上」
三人の亜人がもみあい、湯がばしゃばしゃと派手に飛び散る。
「いや、だから、俺は静かに入りたくてね……」
「こらぁぁっ、亜人共。一体何をしているっ!」
割って入った声の主は、タオルを体に巻いた金髪の女だった。
「貴様ら、ここは男湯だぞ。なんたる破廉恥な真似をっ」
亜人達は互いを掴みあったまま、入り口に立つクリシュナに目を向けた。
「いや、あんたこそ、なんでここにいるのさ」
「石の痴女」
「お前こそゼノスに会いに来たのだろう」
クリシュナの顔が真っ赤に染まる。
「ち、違うっ……! わ、私は単に方向音痴で男湯と女湯を間違えただけだ」
「絶対、嘘だよね?」
「と、とにかく、そんなあられもない格好でゼノス氏に近づくな。せめてタオルくらいしっかり巻けっ」
「くっ、邪魔が増えたねっ」
「リンガは負けないっ」
「我の素晴らしい裸体をその目に焼き付けろ、ゼノス」
押し合いへし合いする女達を前に、拳をふるふると握りしめたゼノスは、両手を湯に打ち付けた。
「いい加減にしろぉぉぉ、静かに入らせろぉぉぉっ! お前ら、全員女湯に戻れぇぇ!」
魂の叫びが、夜の山々にこだました。
ラブコメ回…………か?
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