第35話 帰る場所<エピローグ①>
「こら、起きろ」
「う……あ……」
アストンが目を覚ますと、金髪に青い目の女が見下ろしていた。
顔中がずきずきと痛む。
しばらく気を失っていたようだ。
「あん、た……」
「怪物が現れたという通報でやってきたが、お前と会うのは二度目だな。前はよくも逃げ出してくれたな」
「あ、ああ……」
確か、近衛師団の副師団長のクリシュナという女だ。
アストンは緩慢な動作で上体を起こした。
「ゼノス、は……?」
「ここに来る途中に会って話は聞いた。これだけの規模の災害で、一人も死人が出なかったのは奇跡だ。ゼノス氏に一生涯感謝するんだな」
「…………そう、だな」
アストンは痛む頬を押さえながら、小さく呟く。
クリシュナは魔法銃をアストンに向けた。
「アストン・ベーリンガル。暴行未遂、逃亡、偽証、復讐依頼、無差別暴行、器物破損など多数の罪状でお前を捕縛する。相応の罰は覚悟しろ。勿論、首謀者についても知っていることは洗いざらい話してもらうぞ」
クリシュナはじろりと、アストンの全身を一瞥した。
「あとは公然わいせつ罪も追加だな」
「……?」
再生の過程で、服の大部分が破損し、申し訳程度しか残っていない。
「……ない」
そこで気づいた。
地下迷宮のお宝である愛用の剣がなくなっている。
確かずっと腰につけていたはずだが。
「ああ、ゼノス氏から伝言だ。『お前が気絶している間に、剣は没収しといた。地下迷宮の逸品だから、売ればかなりの額になる。倒壊した家屋の分くらいは補填できるはずだ。というか、そもそも俺が取ってきたやつだし、いい加減返せ、泥棒』だそうだ」
「…………はっ」
アストンは力なく笑った。
何もかも。
本当に、何もかもを失ってしまった。
これだけのことをやらかしたのだ。冒険者資格も剥奪だろう。
地位も、仲間も、財産も、長い期間をかけて積み上げてきた全てが、崩れ去ってしまった。
「何を呆然としているのだ。全て自業自得だぞ」
「ああ……わかってるさ……」
もう自分には何もない。
いや、実は最初から何一つ手に入れてなどいなかったのかもしれない。
話すことを話したら、もう――
「……?」
ふと気づいたことがあった。
握りしめた左手の中に何かがある。
ゆっくりと指を開くと、古びた金貨がそこにあった
「そういえば、もう一つゼノス氏から伝言がある。『それは手切れ金だ。二度と俺に関わるなよ』だそうだ」
「…………」
アストンは絶句したまま、金貨を見つめた。
金貨が伝えるメッセージは、ゼノスからの永遠の決別宣言。
それ以上の意味はないかもしれない。
だが――
「ゼノ……ス……」
自分は、何もかもを失った。
この汚れた手から、全てが零れ落ちていった。
しかし、たった一枚の金貨が人生を変えることがあると、証明した男がいる。
アストンは、金貨を固く握りしめて、その場にうずくまった。
「うう、うううっ……うああああああっ……」
クリシュナは身を震わせる男を眺めて、肩をすくめた。
「大の男がめそめそ泣くな。お前が本格的に泣くのはこれからだぞ。私の取り調べは鬼のように厳しいからな」
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「そうか、近衛師団が動いたか……」
遠く離れた丘の上で、"案内人"は静かに呟いた。
これまで貧民街で何が起ころうが、中央は無関心を決め込んでいたはずだ。
太陽王国と称されるハーゼス王国は、燦然と輝く光を周辺国に放ち続けてきた。
しかし、強すぎる光は、同時に濃い陰を足元の大地に落とす。
そんな国で、今、何かが少しずつ変わり始めている。
中心にいるのは、きっと廃墟街の片隅にいる一人のヒーラーだ。
「とても興味深い人材だ。もっともっとキミのことを知りたいけれど……」
アストンという男から、アジトの情報は洩れるだろう。
まさか生存するとは思っていなかったから、そこまで用心していなかった。
しばらくは大人しく身を隠すか、もしくはこの国から離れる必要がある。
色々とやりかけだった研究も全て破棄せねばならない。
「――キミのことは忘れないよ。必ずまた遊ぼう、ゼノス君」
"案内人"は灰色のローブの奥で低くつぶやき、その身を翻した。
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「ああ、しんど……」
その頃、ゼノスはゾンビのような足取りで、廃墟街を歩いていた。
夜中に数百人規模の治療をし、ゴーレムとの戦闘を補助し、最後は自身が戦いながら、人間を再生する。
「さすがに、過労で倒れそうだ……」
波のごとく押し寄せる疲労で、なかなか治療院までたどり着かない。
「先生、大丈夫かい?」
「ゼノス殿、だいぶ顔色が悪い」
「どんどん歩き方があやしくなっているな。手をかすぞ」
付き添っている亜人達が、心配そうに顔を覗き込んでくる。
「大丈夫だ。お前らも疲れてるだろ。俺はちょっと体力に自信がないだけだ」
「……」
顔を見合わせた三人は、頷き合ってゼノスの肩をかついだ。
「おい、お前らっ」
「いいじゃないか、先生。いつも世話になってるんだ」
「このくらいは当然。むしろリンガはもっと密着したい」
「抜け駆けは許さんぞ、リンガ」
ゼノスは小さく溜め息をつく。
「……仕方ない。たまには言葉に甘えるか」
三人にかつがれる形で、ゼノスはようやく治療院に到着した。
「くくく、無事じゃったか。しぶとい奴じゃ」
ドアを開けると、ベッドの上でカーミラが足を組んでいた。
「くたばってなくて悪かったな」
「まったくじゃ。せっかく静かな日々が戻ってくると思っとったのに」
「カーミラさんそんなこと言ってるけど、ゼノスの帰りが遅いから、心配してずっと家の中をうろうろしてたんだよ」
「ば、馬鹿っ、リリ。それは嘘じゃ、そんなことがある訳なかろう」
「へぇ……」
「な、なんじゃ、その顔は」
「リリもカーミラさんから話を聞いて心配だったけど、ゼノスは絶対戻ってくるって知ってたもん」
紅茶のカップを盆にのせたリリが、満面の笑顔で近づいてきた。
カップを手渡し、大きな声で一言。
「おかえり、ゼノス」
「……」
ゼノスは何度か瞬きをした後、ゆっくりと頷いた。
そして、おもむろに皆の顔を見渡し、笑ってこう答えた。
「ああ、ただいま」
今回が一章のエピローグになります。
次話の短いエピソード(予定)で、一章終了予定です。
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