第31話 ゴーレム襲来【前】
ゼノスが辿り着いた時には、貧民街は混乱の極致にあった。
数多の建物が倒壊し、あちこちから火の手が上がっている。逃げ惑う人々の悲鳴と絶叫が、混じり合いながら夜に反響していた。
そして、もうもうと立ち昇る煙の奥に、それはいた。
「あれが、ゴーレム……」
見上げるほどの巨体が、視界の先に佇んでいる。
ゴーレムは、泥と石で造られた頑強な手足を振り回し、家屋を撥ね飛ばしながら、ゆっくりと移動していた。洞穴のような黒い瞳はひどく空虚で、オオオオオオッという唸り声が、鼓膜を重く震わせる。
「摩訶不思議じゃ」
「うわ、びっくりした」
振り返ると、腕を組んだカーミラがふわふわと浮いている。
「なんだ、お前も来てたのか」
「さすがに気になったからの。古の遺物がどうして現代に現れたのか」
「リリは?」
「まだ寝ておる。こんな怪物を見たら夢に出るからの、そのほうがよいじゃろう」
「先生っ」
通りの向こうから走ってくるのは、亜人の首領達だった。
「お前たち、無事だったか」
ゾフィア達は肩で息をしながら、ゼノスのそばにやってくる。
「よかった、先生を呼びに行こうと思ってたんだ。あたし達はなんとか無事だけどさ……」
「リンガの部下達は動けないのがたくさんいる」
「オークも半分くらいが大怪我を負ってしまった。あの化け物は一体なんなんだ」
どうやらゴーレムという、大昔の人造生命らしいとゼノスは説明する。
「一体、ここで何が起こったんだ?」
「それがあたし達もさっぱりなのさ」
「夜中だったし、リンガは寝てた。大きな音がして起きたらあいつがいた」
「我の部下の話によると、貧民街の奥から来たようだが」
「貧民街の奥……?」
ゼノスは額に手を当て考える。
まさか、地下ギルドが関与しているのか。
だとすると――。
しかし、ゼノスは首を振って思考を止める。
怪我人が多数でている今、ゆっくり考察している暇はない。
「ゾフィア、リンガ、レーヴェ。皆で協力して怪我人を一か所に集めてくれっ」
巨大な疑似生命体を、誰が背後で操っているのか。
手持ちの情報では断定できない。
それでも、確かに言えることが一つある。
ゼノスはゴーレムを振り仰いだ。
「この代償は高くつくぞ。覚えておけ」
+++
ゴーレムが猛威をふるう、貧民街の中心地。
そこから距離を置いた小高い丘の上に、灰色のローブを頭からかぶった人物がいた。
「パワーは予想通りだけど、スピードは思ったより遅いね。残念ながらまだまだ改良が必要だ」
望遠用の特殊な魔具を覗きながら、"案内人"を名乗るその人物は言った。
風に乗って届く悲鳴が、耳に心地よい。
「それでも、今回の依頼は十分に達成できそうだね」
アストンという男の依頼は、ゼノスという名の元パーティメンバーと、その取り巻きに鉄槌を下すこと。
理由は、貧民街から拾ってやった自分を無下に扱ったから。自分は多くのものを失ったのに、多くのものを手に入れていたゼノスという男が許せないのだそう。
呆れるほど身勝手で、完全な八つ当たりにすぎないが、そういう屈折した願いは、それはそれで興味深い。
だから、金は取らなかった。
人はどんな場面に置かれたら、何を感じ、どう動くのか。
"案内人"にとって重要なのは、好奇心だ。
「その点で、キミの依頼は十分に興味を引く内容だよ。アストン君」
"案内人"は、別の場所で成り行きを見ている依頼主に向けて呟いた。
夜中であるため、近衛師団や王立治療院の支援はまだまだ来ないだろう。
貧民街という場所を考慮すると、支援の手自体がそもそも差し伸べられない可能性もある。
つまり、外からの助けは当分期待できない。
ゼノスという男は治癒師だと聞いたので、怪我人が続出すれば嫌でも出てくるはずだ。
「自分を慕う者達が、次々と息絶える場面に置かれたら――」
無力感と喪失感にさいなまれ、絶望に膝をつくのか。
それとも、少しでも抗おうと前を向くのか。
それが、用意したシナリオの「第一幕」だ――。
"案内人"は望遠用の魔具を覗きながら、口の端を引き上げた。
「さあ、ゼノス君はどう動く? 存分に楽しませてね」
+++
「こっちだよ、じゃんじゃん運ぶんだっ」
「素早さならワーウルフが一番。貴様ら急げっ」
「リザードマンとワーウルフに後れを取るなっ。五人程度なら一度に運べるだろう、オークの力を見せろっ」
首領達の号令が飛ぶ中、まだ動ける亜人達の手によって、空き地に次々と怪我人が集められる。
骨を折った者。
血だらけの者。
痛みで叫んでいる者。
すでに虫の息の者。
現場はまさに阿鼻叫喚の様相を呈していた。
視界の先にいるゴーレムの動きを確認しながら、ゼノスは怪我人達に向き直った。
「カーミラ、離れておけよ。<広範囲治癒>」
白い光がゼノスの周囲で渦を巻いて、怪我人達に降りかかった。
集められた者達の苦悶の表情が、少しずつ和らいでいく。
しかし、これはあくまで応急処置に過ぎない。
確実に治すには、個別に怪我の状態を把握する必要がある。そのために、見渡せる範囲に怪我人を集めてもらったのだ。
ゼノスは両手を前に差し出し、片っ端から怪我人を治療していく。
「治った奴から、どんどん避難するんだっ」
幸いゴーレムの動きはそれほど素早くない。
全力で走れば逃げ切れるはずだ。
怪我人の列は、途切れる気配を見せない。それでも、その全てがゼノスの手によって、全快していく。
「ああもうっ」
「なにをイライラしておるのじゃ、ゼノス」
ゼノスは前を向いたまま、後ろのカーミラに言った。
「イライラもするだろ。こんな夜中に駆り出された挙句、何百人も治療する身になってみろ。もはや採算が取れるかもわからんし、家に残したリリも心配だし。犯人許すまじ」
カーミラは腕を組んで、ゼノスの背中を眺める。
ゴーレムをけしかけた首謀者の狙いは不明だが、貧民街の住人に大ダメージを与えることは目的の一つだろう。
「……まさか、愚痴を言われながら、思惑を崩されているとは思っておらんじゃろうのぅ」
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