第30話 昔話
廃墟街に夜が訪れる。
治療院は昼間の賑やかさが嘘のような、森閑とした静けさに包まれていた。
「眠れないの、ゼノス?」
食卓でぼうっとしていると、枕を抱いたエルフの少女が、後ろに立っていた。
「まだ起きてたのか、リリ」
「リリ寝てた。でも目を覚ましたら、こっちが明るかったから」
「ああ、悪いな。もう少ししたら寝るよ」
「紅茶いる?」
「そうだな、もらおうか」
リリの淹れた紅茶を一緒に飲むと、腹の底がじんわり暖かくなった。
「……どう?」
「いつもながらうまいよ、ありがとうな」
カップを置いて答えると、リリが後ろに回り込んできた。
頭に小さな手がぽんと乗せられ、よしよしと撫でられる。
「……なんだ?」
「リリが眠れない時、ゼノスがなでなでしてくれるから、お返し」
ゼノスはふっと微笑んだ。
「助かるよ。おかげでよく眠れそうだ」
「むふぅ」
リリは満足げに鼻を鳴らしたが、すぐにゼノスに寄り掛かったまま寝息を立て始める。
ゼノスは苦笑しながら肩をすくめ、リリを寝室に運んだ。
もったいないので残った紅茶を飲んでおこうと食卓に戻ると、レイスが足を組んで座っていた。
「眠れんのか、ゼノス」
「お前までどうした、カーミラ」
「カップが三つ用意してあったからの。飲むしかあるまい」
「リリは気が利く奴だからな」
ゼノスが席につくと、カーミラは紅茶のカップを持ち上げて言った。
「貴様が眠れないのは、元パーティのことを考えておったからか?」
「なんだ、心配してくれてるのか?」
「べ、別にそういう訳ではないっ。夜は暇じゃからな、多少話に付き合ってやってもいいと気まぐれに思っただけじゃ」
「なんだかんだいい奴だよな、カーミラって」
「レ、レイスをからかうでない。それなら話は終わりじゃ」
「悪かったよ。一人では飲み切れないから、つきあってくれ」
「そ、そこまで言うなら、つきあってやらんでもないぞ」
腰を浮かしかけたカーミラは、もう一度席に座り直す。
ゼノスはポットから残りの紅茶を注いだ。
「元パーティのことを考えていた訳じゃないさ。治療院をひらいてから色々忙しかったし、ぶっちゃけアストンのことは普通に忘れてた」
だから、再会した時は単純に驚いたというのが正直なところだった。
ただ——とゼノスは付け加えた。
「今になって、あいつの数々の仕打ちを思い出して、一度はぶん殴っておくんだったと後悔しているけどな」
「くくく、正直な意見じゃ」
小さく肩を揺らし、カーミラは紅茶を口に含んだ。
「人の一生は、短く、儚い。借りは返せるうちに返すのがよかろう」
「……そうだな」
ゼノスは頷いて、自身の両手を眺めた。
もう返せない借り、というのもある。
ゆっくりと、ゼノスは顔を上げた。
「久しぶりにアストンに会ったせいか、昔のこと——パーティに入るよりもっと前のことを思い出してたんだ」
「貴様が貧民街にいた頃のことか」
「ああ」
カーミラは、紅茶を飲む手を止めた。
「ゼノス、貴様は治癒魔法を貧民街にいた時に身につけたと聞いた。一体どうやったのじゃ?」
「どうって言われてもな……」
ゼノスは腕を組んで、視線を天井に向けた。
「俺は貧民街の孤児院にいたんだけど、今思えばなかなかひどい施設でな」
貧民街には毎日、多数の行き倒れが発生する。
その孤児院は、子供達に、そんな遺体から金になるものを盗ってくるように指示していた。
「俺はそれが嫌で、何も盗らずに遺体を埋めて戻ってくるから、しょっちゅう殴られていた」
「死体は放置しておくと伝染病の原因になるからのぅ。対応としては正しかろう」
「そこまで考えてはいなかったな。単に死んだ上に物まで盗られるのは可哀そうだと思って、誰かに盗られないように埋めたんだ」
行き倒れの姿は、まるで明日の自分を見ているようでもあったから。
しかし、それでも勝手に掘り起こされていることもしばしばあった。
「それで、子供の俺は、ある日無邪気に考えたんだ。それなら生き返らせることはできないのかって」
「……!」
カーミラは目を見開いて、手にした紅茶をこぼした。
「そっ、それは禁呪じゃぞ」
「らしいな。あの頃はそんなこと知らなかったから、毎日なんとか蘇生させようと必死だった」
遺体に手をかざし、再生をイメージする。
勿論、何も起きる訳がない。
だから、遺体をよく観察した。
皮膚の構造は。
筋肉の付き方は。
血管と神経の走行は。
内臓の配置は。
丹念に、一つ一つ、明確に頭の中に体の構造を再現できるようになるまで。
「……」
カーミラはごくりと喉が鳴る音を聞いた気がした。
貧民街には数多の種族が生活し、そして死んでいく。
つまり、ゼノスはあらゆる種族の体の構造を、実体験を通して学んだことになる。
果たして、世の中の治癒師にそんな経験をした者がどれだけいるだろうか。
「……とんでもないの」
「なにか言ったか?」
「なんでもないぞ」
ゼノスは少し首を傾げて、続きを口にする。
「最初は何の反応もなかったが、毎日毎日、何年も続けているうちに、白い光が体を取り囲むようになったんだ」
徐々に手ごたえを感じてきて、今度こそ成功しそうだと思った。
「だけど、その日、蘇生に取り組んでいたら、後ろから思い切り頭を殴られたんだよ」
振り返ると、黒い外套をまとった、無精ひげを生やした男が物凄い形相で睨んでいた。
男はこう言った。
その力は決して死者に使うな。生きている者に使うべきだ。
「……それが、貴様が貧民街で出会ったという治癒師か」
「ああ。ただ、その人が治癒魔法を使うのは一度しか見たことないんだけどな」
結局、本名も知らないままだ。
「だけど、貧民街の狭い世界しか知らなかった俺に、色んなことを教えてくれてな。胡散臭いけど、すごい人だった」
呼び名を尋ねると、「師匠と呼んでくれてもいいぞ」と、男は笑いながら言った。
「師匠には色んな口癖があってな。よく聞いたのは、治癒師は怪我を治して三流、人を癒して二流、世を正して一流っていう言葉だ」
ゼノスはカップを置いて、ポットを手に取った。
この一杯で最後のようだ。
「せめて三流くらいにはなれたかなと、時々師匠のことを思い出すんだよ」
もう二度と会えないからな。
そう呟くと、揺れるカップの表面に、師匠の面影が一瞬浮かんだ気がした。
「つまらない話を聞かせて悪かったな」
「いや、暇つぶしにはなったぞ」
「そりゃよかった」
ゼノスが軽く笑うと、カーミラはカップを両手で持ち上げ、思い出すように言った。
「蘇生魔術とは異なるが、わらわの生きていた時代には疑似生命を造る魔法があったのぅ」
「300年前か。魔王がまだ生きていた時代だよな」
かつて大海を挟んだ南方の大陸は、魔族の王が支配する領土だった。
長い間、人間と魔族は互いに不可侵だったが、400年程前に魔族が人間の領土に攻め入ってきた。両者の戦いは熾烈を極め、魔王が滅ぼされた時には、開戦から100年近い月日が経っていたという。
「今はもう失われた魔族が使う闇魔法じゃ。特殊な魔石を核に、炭素や硫黄などの材料を集めてゴーレムは作られる」
「へぇ」
「痛みも感じず、ただ黙々と命令をこなすゴーレムは、実に厄介な相手じゃったのぅ」
「300年前のカーミラって、一体何をしてたんだ」
「そんな大昔のこと、とうに忘れたわ」
「お前、人の話は聞いといて、自分のことは話さないのな」
そろそろお開きにしようと思った時、遠くで音が聞こえた。
風に乗って、何かが破壊されるような音が立て続けに響き、悲鳴のような声も耳に届く。
「……なんだ?」
「貧民街のほうから聞こえたようじゃの」
カーミラの身が浮き上がり、天井板を抜ける。
屋根まで上って確認するつもりなのだろう。
すぐに戻ってきたカーミラは、今まで見たことのない驚いた顔で、こう言った。
「信じられん……今話したゴーレムが、貧民街で暴れておる!」
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