第26話 ゼノスという男
アストンとガイルの二人は、その日のうちに貧民街へとやってきた。
「ったく、こんな小汚ねえ場所には来たくなかったがな」
悪態をつくアストンの横で、ガイルが不思議そうに周囲を見渡した。
「だが、なんか雰囲気が変わってないか?」
「……」
確かに、街を支配していた薄暗い空気と重苦しい緊張感はなりを潜め、あちこちから明るく活気に満ちた声が聞こえてくる。
この街に、何かが起こったのか。
怪訝な表情を浮かべていると、横のガイルが言った。
「だけどよ、アストン。ゼノスの奴、とっくに野垂れ死んでるんじゃねえか」
「まあ、それが問題だな」
下手に【鋼鉄の不死鳥】にいたなどと吹聴されても面倒なため、当初はむしろ野垂れ死んで欲しいと思っていたが、少し事情が変わってしまった。
既にこの世から消えていたら、パーティの復活計画はいきなり頓挫する。
だが——
「生きてる可能性もある。あいつには手切れ金として金貨を渡してやったからな」
「おお、そうだったな。それなら、多少は生き延びられるんじゃねえか」
「自分の慈悲深さに涙が出るぜ」
ひとしきり笑った後、ガイルが辺りに首を巡らせる。
「しかし、貧民街って言っても広いぜ。どうやって探す? 誰かに聞いても、ゼノスのことなんて知ってる訳ねえし」
「そうだろうな。だが、それについては、俺に考えがある」
アストンは得意げに口の端を引き上げた。
「考え?」
「貧民街では、亜人の三大勢力が縄張り争いをしてるってのは知ってるよな」
「聞いたことがあるな。確かリザードマンとワーウルフとオークだったか」
「その顔役に、ゼノス探しを頼めばいいんだよ。ああいう連中には街中の情報が集まるからな、俺達が個別に探すより遥かに早い」
「なるほど。さすがだな、アストン」
「まあな」
昔から他人を利用するのは得意なのだ。
お前もその一人だよガイル、とアストンは内心で付け加える。
アストン達は、通りを歩いていたリザードマンの男に声をかけた。
「あんたらの首領に、会わせてくれないか。仕事の依頼をしたい」
「お前ら、どこの誰だ?」
「俺はゴールドクラスの冒険者パーティのリーダーだ。怪しいもんじゃない」
リザードマンの男はアストンの冒険者ライセンスをしばらく眺め、「ついてきな」と先に歩き出した。
幾つかの通りを抜けると、屋根付きの広場のような場所に出た。
「お頭。この人間が、仕事の依頼をしたいらしいです」
「仕事ぉ? あたしはこれから先生に会いに行くんだから、忙しいんだけどねぇ」
奥のソファで足を組んだ女が気怠そうに答えた。
リザードマンと人間の混血で、黒髪に切れ長の黒目をしている。
さすが三大勢力の一角を束ねるだけあって、一目でわかる貫禄がある。
そして、いい女だ。
俺が貴族になったあかつきには、ハーレムに加えてやってもいい。
アストンは真面目な顔で、一歩近づいた。
「あんたがここのボスか。俺はゴールドクラスの冒険者パーティ【鋼鉄の不死鳥】のリーダーで、アストンと言う」
「自己紹介が長いねぇ、日が暮れちまうよ。さっさと用件を言いな」
「人探しを頼みたい」
「誰を探しているんだい?」
「ゼノスという名前の奴だ。一か月ほど前に貧民街に流れ着いているはず。種族は人間で、外見は黒髪の——」
しかし、アストンが言い終わる前に、女首領は大笑いを始めた。
「あっはっは、そうか、そうか。あんたらが先生を追放したって噂の馬鹿パーティかい。確かに馬鹿そうな面してるねぇ」
「な、なんだとっ!」
思わず腰の剣に手をかけると、周りに控えていたリザードマン達が一斉に立ち上がった。
片手を上げて配下達を制した女首領は、しっしと犬を追い払うように手を振った。
「帰んな。あんたらが探しているお人は、あんたらごときの相手をしている暇はないんだよ」
「……な、に……?」
アストンは柄に手をかけたまま、呆然と言った。
「ゼ、ゼノスを知っているのか。一体どういう——」
「いいから、さっさと出て行きな。これ以上は、あたしの部下どもが黙っちゃいないよ」
「……くっ」
周囲の殺気を全身で浴びたアストンは、仕方なく引き返すことにした。
去り際に、背中に一言が投げつけられる。
「ああ、そうだ。先生に余計な真似したら、ただじゃおかないからね。覚えときな」
「……」
アストンとガイルの二人は、無言でその場を後にした。
大通りに戻ってきた瞬間、ガイルが声を上げた。
「おい、ど、どうなってんだよ、アストン」
「俺が知るか。くそっ、なんなんだ一体っ」
貧民街の顔役はゼノスのことを知っているようだった。
しかも、ただ知っているというよりは、敬愛の情すら感じられたような——
いや、きっと何かの間違いだ。
「ど、どうする……?」
戸惑った様子のガイルに、アストンは無理やり落ち着いた声で返す。
「……心配するな。三大勢力は、まだ二つ残っている。ワーウルフのところに行くぞ」
+++
「ふーん、貴様らがゼノス殿を追い出したアホパーティか。一度死んで便所虫に生まれ変わったほうがいいと、リンガは思う」
続いて訪れた、ワーウルフのアジトにて。
整った顔で毒舌を吐いたのは、灰色の毛髪から飛び出た獣耳をぱたぱたと動かした女首領だった。
「あ、あんたもゼノスを知っているのか……!」
「ゼノス殿は、便所虫に用はないと思う。さっさと帰ったほうが身のため」
「な、なんだとっ」
「やる気?」
「……」
周囲を取り囲むワーウルフ達の冷たい視線に晒され、アストン達は仕方なく踵を返すことにした。
その背中に鋭い一言が突き刺さる。
「ゼノス殿に妙な真似をしたら、ワーウルフは許さない。アホな脳みそに刻んどけ」
「……」
アストンとガイルの二人は、何も言えずにその場を後にした。
「どっ、どうなってんだよぉぉぉぉっ!」
「わ、わかんねえよっ」
大通りに戻ってきた二人は、同時に頭を抱えた。
何が何だかさっぱりわからない。どうやら、亜人の三大勢力のうち、二つもの首領がゼノスのことを慕っている様子だ。
夢でも見ているのか。
「……と、とにかく、一度ゼノスに会って、俺らの力関係を改めて叩き込むしかねぇ」
アストンは力づくで呼吸を整えて言った。
「最後の一角、オークに会いに行くぞ」
+++
「ほう。おぬしらが、ゼノスを追放したゴミパーティか。今さら何の用だ」
オーク族の居住区がある岩山の洞窟で。
栗毛に燃えるような赤い瞳をした、美貌の女首領はそう言い放った。
「……」
もはや、何かを問い返す気力すらわかなかった。
大勢のオーク達に囲まれたアストンとガイルは、黙って引き返すことにした。
「おい。もしゼノスにちょっかいを出したら、オーク族が黙っていないぞ」
「……」
大通りに戻ってきた二人は、しばらく無言で佇んでいた。
「アストン……」
「……何も言うな、ガイル」
アストンは、指の爪をがりっと噛んだ。
信じられないが、あのゼノスが、貧民街の三大勢力全てから慕われているということなのか。
だが、そんなことがある訳がない。
「……そうか、わかったぞ! 別人だ。たまたま同じ名前のすげえ奴がいたんだよ」
「なるほど! ……いや、でもパーティ追放の話まで合っていたぞ」
「そこも含めて偶然似た境遇のゼノスって奴がいたとしか考えられねえ。亜人が言ってたのは、どっかの馬鹿が間違って追放した、すげえほうのゼノスさん。俺らが探しているのはパーティの奴隷のゼノスだ」
「確かに、それなら納得できるな」
「とにかくあいつを探すんだ、ガイル」
会いさえすれば、尻尾を振ってパーティに戻りたいと言うだろう。
だが、肝心の居場所がわからない。
しらみつぶしに探してまわるしかないのか。
膨大な労力を想像し、めまいを覚えていると、ガイルが目を見開いて、通りの奥を指さした。
「お、おい……アストン」
「……?」
ゆっくり振り向くと、漆黒の外套をまとった男が、通りを横切ろうとしているところだった。
アストンは、息を呑んで、その名をつぶやいた。
「ゼノス……」
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