第17話 廃墟街の夜【後】
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「ゼノス氏に一つ聞きたいことがあるのだ」
廃墟街の夜。対面に座るクリシュナは唐突に言った。
寝室のほうからはリリの寝息が、ふしゅるるると響いている。
「なんだ?」
「貴公は、防護魔法を極めた達人だろう」
「違うけど」
「謙遜するな。殺傷力を多少落としていたとは言え、私の魔法銃で無傷というのは、間違いなく神クラスの使い手だ」
「いや……まあ……面倒だから、そういうことでもいいが」
「そんな魔法の達人である貴公の見解を是非聞きたいのだ。貴公が防護魔法を極めたように……もしも……」
クリシュナはごくりと喉を鳴らした。
「もしも……治癒魔法を極めたら、例えば腕を生やすようなこともできるのだろうか」
「え?」
「いや、荒唐無稽な質問というのはわかっているのだが」
「そうじゃなくて。別にそのくらいなら——」
極めるまでもなくできるだろう。なんせ、三流ヒーラーの自分ですらできることなのだから。
そう言いかけたが、やめた。
相手の意図がわからないうちは、下手なことは口にしないほうがいいかもしれない。
クリシュナは弱々しく、溜め息をついた。
「ああ、すまない。私は何を言っているんだろうな、そんなことは聖女でもなければ不可能に決まっている」
「……ちなみに、それがどうしたんだ」
「私は貴族特区の警備中に、盗賊団の頭である疾風のゾフィアとやり合ったことがあるんだ。その時、相手の腕に相当な傷を負わせたのに、貧民街で見かけた奴らの腕はすっかり綺麗になっていた気がした」
なんとなく、嫌な予感がする。
「私は"仲裁者"の人物像をずっと考えていた。あのゾフィア達が、一体誰の言うことなら聞くのだろうかと。そこで思ったのだ。もしもあの重い傷を治療し得る者が存在したとしたら、その人物の言葉は響くのではないか」
「……」
近衛師団 副師団長クリシュナ。
強引でただの猪突猛進な女に思えたが、意外に鋭い。
その肩書きは一応伊達ではないらしい。
「いや……しかし、そんなことができるはずがないか。腕のこともおそらく私の見間違いだろう」
クリシュナは肩をすくめて、紅茶を口に含み、「あふぅあっ」と呻いた。
まだ熱いようだ。だいぶ猫舌だな。
「まあ、明日から地道に調査を始めるさ。貧民の扇動者であり、悪の真祖たる"仲裁者"を私は必ずこの手で捕えてみせる」
「悪の真祖……」
最初は悪の手先だったのに、ゼノスの肩書きがどんどん悪いほうにレベルアップしている。
「ちなみに、どうしてそこまで貧民を目の敵にするんだ」
ふと気になって尋ねると、クリシュナはしばらく黙った後、ぽつりと言った。
「別に面白くもない話だ。私の母は、貧民に命を奪われたのだ」
「……」
「母は慈愛に満ちた人だった。貧民街の者達が腹をすかせて可哀そうだと、毎日のように炊き出しに行っていた。そして、ある日遺体となって戻ってきた。母がしていた結婚指輪を奪うための犯行だったと聞いている」
ランプの火が揺れて、クリシュナの顔に陰を落とす。
「母のおかげで大勢の貧民が餓死から救われた。しかし、誰も母を救ってはくれなかった。だから、私は決めたのだよ。私自身が完全無欠のヒーローとなって、母のような被害者が出ないよう、貧民街の悪人どもを取り締まるとな。容赦ない取り締まりで多くの実績を上げ、最年少で近衛師団の副師団長に上り詰めた」
話している間、クリシュナはずっと無表情だった。
「石のように硬い意思で仕事を遂行することから、私はいつしか<石の淑女>と呼ばれるようになった。融通が利かないから、石頭と揶揄されることもあるがね。しかし、そこにもう一つ別の意味が含まれていることも私は知っている」
この顔は、まるで石の仮面のようだろう、とクリシュナは言った。
「あの日から、私はうまく笑うことができないのだよ」
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「では、夜には戻ってくる。世話になるな、ゼノス氏」
翌朝、クリシュナはそう言い残して、調査に出かけた。
やっと解放された割に、なんとなく気分が晴れないのは昨日の話を聞いたせいか。
ベッドの端で足を組んだカーミラが言った。
「あまり気にするな、ゼノス。貴様が気にしても仕方のないことだ」
「まあ、わかってるよ」
「別に珍しい話でもない。三百年も生きていれば、あらゆる人間の営みを嫌でも目にするからのう」
いや、だからお前は死んでいるだろう。
カーミラも昨日の話を聞いていたわけか。
「わざわざそれを言いに来てくれたのか。ありがとうな、カーミラ」
「なっ……わっ、わらわは辛気臭いのが嫌いなだけじゃ」
カーミラはそっぽを向いて、二階へと消えて行った。
辛気臭いのが嫌いな幽霊とは。
小首をかしげたリリが、ふと思い出したように言った。
「そうだ。ゼノス、旗はどうする?」
「ああ、今だけ外しておくか」
クリシュナが来てから、亜人達が治療院に近づかないよう、合図の黄色い旗を立てたままだったので、治療を待っている者もいるかもしれない。
案の定、旗を外すと、すぐにリザードマンのゾフィアがやってきた。
仕事で指先を怪我したと言うので、綺麗に治療する。
「あまり無茶はするなよ。さすがに死んだら治療はできないぞ」
「ごめんよ、先生には心配かけないようにするさ。それよりこっちのほうが心配したよ。ずっと旗が立ってたから、先生の身に何かあったんじゃないかと思って」
「まあ、色々あったけど、今のところは無事だ」
「それならいいけどさ」
ゾフィアは安堵の息を吐いた後、顔を上げて思い出したように言った。
「そうだ。先生に重要な情報があるんだ」
「なんだ?」
「部下に聞いたんだけどさ。前に言った近衛師団の<石の淑女>が"仲裁者"のことを嗅ぎまわっているみたいなんだ」
「へえ……」
「へえって、そんな悠長な。あれは相当やばい女なんだ」
「そうだよなぁ」
「先生、もっと危機感を持っておくれよ。ここがばれたら大変なことになるかもしれないんだよ」
いや、もうばれてるし——と、言おうとした時、入り口のドアがゆっくり開いた。
そこに立っていたのは、金髪青眼の女近衛兵だった。
「ゼノス氏、すまない。道に迷って戻ってきてしまった。貧民街への行き方を教えてくれ。方向音痴は私の唯一の弱点……え?」
「え?」
クリシュナと、ゾフィアは互いに顔を見合わせる。
「疾風のゾフィアっ、貴様なぜこんなところにっ!」
「<石の淑女>っ。あんたがどうしてここにっ!」
「いや、これは違うんだ……!」
二階から、カーミラの言葉がふんわりと降ってきた。
「ゼノス、その台詞、浮気がばれた亭主みたいになっておるぞ」
浮気がばれた……!?
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