第153話 地底の邂逅【後】
前回のあらすじ)師匠の死の真実が明らかになった中、ゼノスはもう一度師匠に会えると言い出し……?
「師匠に会える……?」
ヴェリトラは藍色の瞳をしばたかせる。
「どういうことだ? 捧げるものもない今、蘇生魔法の発動は――」
「いや、これって本当に蘇生魔法陣なのかと思ってな」
「全ては解明できないが、再生の術式が複雑に組み込まれている。こんな形のものは見たことがないし、そう考えても間違いはないはず……」
ヴェリトラは懐から黒革の手記を取り出し、魔法陣の描かれた頁を見せた。
ゼノスはそれを眺めた後、魔法陣に足を向けた。
「そもそもおっさんは蘇生魔法に手を出したことを後悔していた。自分の手記とは言え、そんな危険なものを残しておくかと思ってな」
ヴェリトラがよろけながら後ろからついてくる。
「これは白紙の頁に炙り出しで描かれていた。意図的に隠されていたものだ」
「隠していた理由が、他にもあるかもしれないぞ」
「……?」
「おっさんは別れの時に、いざとなると言葉が出ない。仕込みをしといてよかった、って言ったんだ」
あの時はこっちも混乱していて、よく意味がわからなかった。
だが、もしかしたら――
ゼノスは蘇生魔法陣の中央に立つ。ヴェリトラが首をひねりながらその隣に向かった。
「無駄だ、ゼノス。何度も試したが、普通に魔力を込めるだけでは、この魔法陣は発動しない」
「みたいだな。今少しやってみたけど全然反応しない」
「ああ、何か別系統の入力が必要なんだ」
「それが、価値あるものか」
「そう思った」
人体を構成する物質。多額の金。そして、数多の命。
ゼノスは腕を組んで、魔法陣を凝視する。
「本当の蘇生魔法にはそういうものが必要なのかもしれないけど、この魔法陣はもしかしたらまったく別の発動条件があるのかもしれないぞ」
「どういうことだ?」
「お前が一人でやったから駄目だったんじゃないか?」
「……!」
ヴェリトラが藍色の目を見開く。
「ほら、前にもおっさんは師匠の顔が飛び出して笑うみたいな、妙な魔法陣を見せてくれたことあったよな。あれの発動条件を覚えてるか?」
しばらくの沈黙の後、ヴェリトラは自身の言葉を確かめるように言った。
「二人の、魔力」
「そうだ。まだ魔力は残ってるか?」
「……少し休んだ分、多少は回復していると思うが……」
二人が腰をかがめ、両手を魔法陣の中央に添えた。
「行くぞ」
「……」
ヴェリトラは恐る恐る、といった表情で頷いた。
練り上げた魔力を二人同時に注ぐと、魔法陣に沿って輪郭が淡く光り始める。
きぃぃぃん、という甲高い音が鳴り、陣全体が七色に明滅した。
「う、動いた……!」
「来るぞっ」
大気が魔法陣に吸い込まれるように渦を巻き、踏ん張っていないと吹き飛ばされそうだ。
土塊が舞い上がり、目を開けていられなくなる。
ようやく風がおさまった時、二人の目の前には男が立っていた。
「よぉ、ゼノスにヴェリトラ。元気か?」
無精ひげに、どこか弛緩した雰囲気。
漆黒の外套をまとった立ち姿。
「師匠っ!」
「おっさん……」
思わず身を浮かしたところで、師匠はごほんと咳払いをした。
「ええと……俺に何かあった時のために、記録を残しておく。幻影魔法と治癒魔法の再生を応用して駆使した渾身の一作だ。誰かに見られないように炙り出しで残しておくが、多分お前らなら気づくだろう。お前達の魔力が、一定の練度に達した時に発動できるようにしておく」
これは、過去の記録なのだ。
治癒師になるか魔法陣の研究者になるか迷っていたという師匠の遺作。
ヴェリトラと顔を見合わせ、再び師匠のほうに目を向ける。
「伝えたいことは日々伝えてきたつもりだが、訳あって伝えられないこともあった。ただ、いつかお前達が一人前になった時、誰に魔法を教わったのかもわからないのはよくないんじゃないかと思ってきてな。それをこういう形で残しておこうと考えたんだ」
少し沈黙した後、師匠は再び口を開いた。
「俺はもともと王立治療院ってとこで特級治癒師をしていた。実はお前らが思ってるよりえらかったわけだ。だから、ちゃんと敬えよ。特にゼノス」
ただの記録のはずなのに、師匠の幻影は正確にゼノスを指さした。
「治せない怪我はほとんどなかったし、王立治療院ではみんなに慕われていたと思う。そんな時、近所に生意気なガキがいてな。俺の弟子になりたいと言ってよく絡んできてたんだ。そのうちな、って答えちゃいたんだが、特級治癒師として王族や貴族と関わることもあった時期だし、正直忙しかった。だから、いつも適当にあしらっていた訳だ。そうこうしているうちに家に来ることもなくなった」
師匠はそこで視線をどこか遠くへ向けた。
「ある冬の日だ。俺も後で知ったんだが、そのガキは家庭環境が複雑で……って、お前達に言うことでもないが、足の悪い祖母と二人で暮らしていたんだ。で、その祖母が杖ついてやってきて、そのガキが亡くなったって言うんだ。俺は正直耳を疑った」
森閑とした地下空間に、師匠の声が訥々と響いた。
「その祖母は俺の職業は知らないようで、近所で時々遊んでくれるおじさんくらいの認識だった。孫が世話になったから、一応知らせに来たってな。話を聞くと、ガキはずっと重い病気を患っていたっていう訳だ。それでわかったんだよ。あいつが弟子入りしたいって言ってた訳がな。治癒魔法を覚えて自分を治そうと思ってたんだよな。家に治療代はないし、足の悪い祖母に迷惑をかけられないってな」
少し寂しそうに、師匠は笑った。
「確かに少し特殊な病気だったが、俺は全然気づいてなかった。王立治療院の患者にいい治療をしようと思って、最新の治癒魔法や魔法陣を日夜研究してたのにだ。要は目に入ってなかったんだよ。上級市民や貴族、王族達に治療を施して感謝されていい気になって。なのに、身近なガキの病気にすら気づいてやれなかったんだ」
そこで長い時間、師匠は沈黙した。深い悔恨を滲ませ、師匠は長い息を吐く。
たくさんの生と死を見て来た。
なのに、どうしてもその死だけは見逃すことができなかった。
師匠はそれから取りつかれたように蘇生魔法の研究を始めたのだと言う。
「真似はして欲しくないからな。詳しいことは言わないが、かなりの時間をかけて理論は完成した……と思った。そして、俺は近所のガキを生き返らせようと、蘇生魔法を発動したんだ」
だが――、と師匠は続ける。
「気づいた時には魔法陣は消え失せ、半日が経っていた。はっきりわかったのは俺に幾つかの恐ろしい呪いが降りかかったということだ」
呪い、という言葉が地下空間に重たく響き渡った。
「どういう理屈かわからんが、俺に降りかかったのは、俺の名を知る者が俺を忘れていく呪い。そして、ルールを破れば俺が死ぬという呪いだ。一つは誰かに蘇生魔法や呪いのことを伝えること。そして、二つ目がもう一度治癒魔法を使うことだ」
ヴェリトラとゼノスは無言で師匠の顔を見つめる。
「ま、呪いのことはこうやって魔法陣で伝えてしまってる訳だが、お前達がこれを見ている時は、おそらく俺は既にこの世にいないだろうからいいだろう。勝手に思いつめて、勝手に全てを失って、馬鹿みたいだろ。結局全てを失った俺は、居場所もなくして貧民街に落ちることにした」
王立治療院の治癒師の制服は純白。
禁忌を犯した戒めとして、その真反対である漆黒の外套をまとった。
「そこらへんで野垂れ死ぬ予定だったんだが、驚いたことに魔法陣もなしに蘇生魔法を実現させようとしているガキを偶然見つけてな。慌てて頭を殴りつけた。それがお前だよ、ゼノス」
「おっさん……」
幻影の師匠はやれやれといった調子で腕を組んだ。
「俺の二の舞にだけはなって欲しくなかったからな。仕方ないから力の制御だけでも教えようと思ったら、今度はヴェリトラっていう友達まで連れてきた。教えてみたら、やたらと筋がいいから、つい楽しくなっちまってな。さっさとこの世に別れを告げたかったってのに、お前達のせいで予定がくるったよ」
口調は恨み節だが、注がれる眼差しはどこまでも穏やかだ。
「ただ、俺は呪われた身。いつどうなるかわからん。だから、こうして伝言だけでも残しておこうと思ってな」
勿体ぶったように咳払いをして、師匠は言った。
「ゼノス、ヴェリトラ。こんな俺のことを師匠と呼んでくれてありがとうな。お前達は最高の弟子で、最高の息子達だった」
――後悔はない。今度は救えたんだ。
禁忌を破って、二人の弟子に治癒魔法を使った師匠の死の間際の一言が、脳裏に蘇る。
頂点を極め、しかし、身近な者を救えず、全てを失った男は、もしかしたら最期に救われたのかもしれない。
明滅する光とともに、師匠の幻影が薄くなっていく。
ヴェリトラが嗚咽を漏らしている横で、ゼノスはおもむろに口を開いた。
ずっと言おうと思っていた言葉。
なんとなく照れくさくて伝えられなかった言葉。
「――ありがとう。師匠」
聞こえているはずがないのに、淡い光に包まれた師匠は、最後に頷いて微笑んだ。
そんな気がした。
光が消えても、二人はしばらくその場に座り込んでいた。
「なんていうか……おっさんらしかったな」
「……ああ」
「大事なところで抜けてるっていうか。見る目があるようで全然ないんだよ、あいつは。だって、ヴェリトラは――」
「そうだな……」
涙の痕を頬に残したヴェリトラは、不満げに呟いた。
「何が最高の息子達だ。私は女だ」
ゼノスが笑い、ヴェリトラが吹き出す。
かつての親友二人の笑い声は明るく――弔いの火のように、絶やされることなく続いた。
見る目があるようで全然ないんだよ、あいつは。
4章本編終了です、お付き合いありがとうございました。
後は短いエピローグが二つになります。
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今回はピスタのキャラデザを紹介します。
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