第15話 ホシは目の前にいる
「私はとある密命を帯びて、貧民街へとやってきたのだ」
その後、クリシュナは自然な動作で奥の食卓に座って言った。
あまり強く追い返して妙な詮索をされても困るので、ゼノスは仕方なく話だけは聞くことにする。
一応、亜人達と鉢合わせしないよう、リリに頼んで黄色の旗を屋根に掲げてもらっている。
異常事態なので近づくな、という既存客への合図だ。
「ちなみに、密命を赤の他人に話しても大丈夫なのか?」
「その密命とは、とある人物を探し出して捕獲することなのだ」
「躊躇なく話し出したな」
こいつも人の話を聞かない系か……?
クリシュナは、無表情のまま続ける。
「仕方がないのだ。簡単に探せる相手ではなさそうでな。ある程度は情報公開せねば貴公の協力も得られないだろう」
「協力するとは一言も言ってないが」
「近衛師団への協力は国民の義務だぞ。それに、どうせ隠居の身で暇なのだろう」
「まあ、な……」
まさか闇ヒーラーをやっているとも言えないので、曖昧に頷くしかなかった。
「どうやら、私が探しているのは、相当な人物のようなのだ」
「へーぇ……」
「だが、これまで近衛師団の網に全く引っかかっていない。ということは、貴公のように目立たない場所に潜伏していると考えられる。蛇の道は蛇と言うだろう。似た状況にいる貴公なら、何か聞いているのではないかと思ってな」
「いったい、誰を探しているんだ?」
クリシュナはゼノスにぐっと顔を近づけ、辺りを警戒するように小声で言った。
「"仲裁者"——貧民街の亜人抗争を終わらせた人物だ」
「ごふ」
ゼノスは口に含んだ紅茶を吹き出す。
「どうした?」
「いや、なんでもない……」
机を拭いて、静かに頭を抱えると、天井板からカーミラがにゅっと顔を出した。
とてつもなく、わくわくした表情をしている。くっ、こいつ……!
クリシュナはぎゅっと握りこぶしを作った。
「亜人抗争の終結など不可能だと思っていたが、確かに貧民街の様子は一変していた。秩序の番人として、そんな影響力を持つ人物を捨て置けない」
「そ、そうか、まあ落ち着け」
「だが、肝心の亜人を脅しても口を割る気配すらない。どうやら、人心のコントロール術にも長けているようだ。その所業、まさに悪魔の手先としか言いようがない」
「悪魔の手先……」
ただのしがない闇ヒーラーなのに、ひどい言われ方だ。
「とにかく、私は草の根を分けても、"仲裁者"を探し出さねばならん」
「別に無理に探し出さなくてもいいんじゃないかなぁ……」
「え?」
「え?」
ゼノスはごほんと咳払いをした。
「いや……だから、そいつは別に表に出たいわけじゃないかもしれないし、むしろ目立ちたくないと思うし、そっとしておくのが一番だと思うし」
「まさか"仲裁者"を知っているのか!」
「知るわけないだろ。ただの勘だよ、HAHAHA……」
空笑いを響かせるゼノスの前には、石のように硬い表情のクリシュナ。
その後ろには、真っ青な顔でおろおろするリリと、笑いを懸命に堪えようと頬をぷくぷくに膨らませたカーミラの姿がある。
なかなかの地獄空間だった。
「放置などできるわけがなかろう。貧民街をまとめる力を持つ大人物だぞ。いずれ反体制派の旗頭となり、国家の脅威になりかねん」
クリシュナが重々しい口調で言うと、突然リリが横から口を挟んだ。
「多分——その人はそんな大それたこと考えてないと思う」
「……どういうことだ?」
「その人は……ちょっと金金うるさいけど、本当はただ、自分の目の前で人が傷ついていくのが嫌なだけなんだとリリは思う」
「リリ……」
けなされたのか、褒められたのかよくわからないが。
それは決して大外れではなくて——
子供の日の。
大雨の中の。
泥にまみれた手の平から。
零れ落ちていく命の感触が、ゼノスの脳裏に蘇る。
クリシュナは少し黙った後、青い瞳でリリをじっと覗きこんだ。
「まさかエルフの子は"仲裁者"のことを知っているのか」
「し、しし、知らない。リリ、なんにも、しし知らない」
リリは、あさっての方向を見て、ぷひゅーぷひゅーと口笛を吹き始めた。
ごまかし下手か。
「……相手は裏社会の実力者。影を掴むことすら容易ではないのはわかっているさ」
よかった、納得した。
影どころか、今、本体が思い切り目の前にいるけどな。
あ……まずい。カーミラが爆笑一歩手前だ。
レイスが吹き出す前に、ゼノスは慌てて立ち上がる。
「まあ、そういうことだから、話は終わりだ。街への道順を教えるから、そろそろ帰ってくれ」
「なんだ、随分と急かすじゃないか」
「大事な任務があるんだろ。俺なんかに関わっている暇はないはずだ」
「まあ、その通りだが……」
不承不承立ち上がったクリシュナは、「それでは、邪魔をしたな」と踵を返した。
ゼノスはやれやれと息を吐く。
どっと疲れたが、やっと帰ってくれそうだ。
が、ドアに向かったクリシュナが、突然足を止める。
「ところで……なぜこんなところにベッドがあるのだ?」
ただでさえ低めの言葉が、もう一段低く聞こえた。
入り口の部屋には患者用のベッドがある。
もぐりの営業であるため、あまり治療院らしい内装はしていないが、確かに寝室というには少し不自然な場所だ。
闇ヒーラーであることに感づかれてしまったか。
ゼノスは咄嗟に言い訳を考えた。
「ああ、それは余ったベッドで、捨てようと思ってそこに置いてたんだ」
「なんだと……」
クリシュナは、ゆっくりと、振り返った。
ゼノスはかすかに腰を落として身構える。
「ならば、悪いが、このベッドを私に使わせてくれないか」
「……え?」
「実は拠点探しに迷っていたんだ。調査目的に貧民街に通うのにも、家からは遠いし、密命で動いているため、街の宿泊施設に泊まり込むのも目立ってしまう。しかし、ここなら貧民街にも近い上に、全く目立たない。調査にうってつけの潜伏拠点だ」
「断る」
「なぜ?」
「え、それ聞く?」
「余っているなら、貴公に大した損はないはずだろう。無論、調査費用から謝礼は支払う」
クリシュナは、ずいとゼノスに詰め寄った。
「それとも、隠居の身の上なのに、私が泊まることに何か不都合があるのか」
不都合しかない——とは、さすがに言いづらい。
クリシュナの後ろには王都の守護者たる近衛師団が控えているのだ。下手に拒んで目をつけられるわけにはいかない。
どこで間違ったのかを小一時間考えたいが、反省は後だ。
とりあえず今日だけは泊めるとして、その間に善後策を検討せねばならない。
「協力に感謝するよ、ゼノス氏。私は諸悪の根源たる"仲裁者"を必ず探し出して捕獲してみせる。それまで、悪いがよろしく頼む」
仕方なく頷くと、クリシュナはまっすぐな瞳で、手を差し出してきた。
そして、"仲裁者"ゼノスは、悪魔の手先から、諸悪の根源にレベルアップしていた。
「こうして、いつものように治療院には厄介な女が増えていくのであった……」
最後はカーミラのナレーション……!
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