第100話 深夜のたくらみ
前回のあらすじ)リズは記憶喪失になったといって治療院に潜り込むことになった
暗くなった治療院の一室で、リズはおもむろにベッドから身を起こした。
「……私は誰? ここはどこ……?」
そうつぶやいて、くすりと笑う。
「なんて。覚えてるわよ、勿論ね」
自分は地下ギルドに所属する女。
支配者の館に入り込むため、行き倒れを装った。
この館に入ってからの記憶がなぜか一部が曖昧なのは本当だが、それ以外のことはしっかり覚えている。
記憶喪失の訴えは、ここに居座るための方便だ。
それにしても、とリズは考える。
まさか孤児院にいたゼノスが、貧民街の支配者になっていたとは。
昔から飄々として掴みどころがなかったが、支配欲とは縁遠いイメージなので正直驚いている。
――まあ、人は変わるか……。
自分だってそうだ。
もうあの頃とは何もかも違っている。
――とりあえず、今はどう攻めるかを考えるべきね。
リズは意識を切り替えて、周囲を観察した。
今いるのは入り口からすぐの部屋にあるベッド。
支配者ゼノスと拷問官のエルフは奥の寝室へと行ったため、動くなら今だ。
「……」
ベッドから降りようと足を下ろし、そこで止まる。
動く、と言ってもどう動けばいいのだろう。
日中この廃屋のような館の中は大方調べたが、何も見つからなかった。
結局、ここに滞在できることにはなったが、地下空間へは連れて行かれていない。
たくさんいると思っていた手下達も姿を現していない。
やはりなんとも言えない違和感がある。
ゼノスは本当に支配者なのだろうか。
「……あまり考えても仕方ないわね」
そうであれば、やることは一つ。
さっさとゼノスを手駒に加える。聞きたいことはその後自白させればいい。
もともとはそれが目的だったのだ。
「リズ姉、起きてるか?」
「あ、うんっ」
振り返ると、ドアからゼノスが覗いている。
急に声をかけられて驚いたが、顔には出さずにリズは頷いた。
「どうしたの、ゼノスちゃん?」
「ああ、いや。リリも寝付いたから、ちょっと話でもどうかと思ってな」
「……ええ、そうね」
リズは頷いてベッドから降りた。
相手の思惑はわからないが、ちょうどいい機会だ。
リズはゼノスの後について食堂へと向かった。
相手は貧民街の覇者。荒くれものの亜人達を手なづけるくらいだから相当腕は立つのかもしれない。
いきなり傷をつけるのはやめて、しばらく様子を見ることにする。
向かい合った席に腰を下ろして一言。
「それで、話って何かしら。ゼノスちゃん」
「えっと、その前に……」
ゼノスはぽりぽりと頬をかいた。
「ゼノスちゃんってのはやめてくれないか。もう子供じゃないし」
「え……? あ、ああ、でも、私の中ではゼノスちゃんはゼノスちゃんっていう感じで」
「ま、まじか……。まあ、それならいいけど」
……なんだろう。この平和なやり取り。
ゼノスはどうにも貧民街の悪党共をまとめている支配者には見えない。
違和感はますます強くなるばかりだ。
それとも、よほどうまく正体を隠しているのか。
リズは気を取り直して口を開いた。
「それで、話っていうのは……ゼノスちゃん?」
「いや、ちょっと昔話でもしようかと思って」
「……?」
「ほら、リズ姉は一時的な記憶喪失だろ。俺はこの分野は詳しくないけど、昔の記憶を刺激すれば何かを思い出すかもしれない」
「あ、ああ、そういうことね」
――つまり、私のため?
問答無用で襲い掛かってくる可能性も考慮していたが、やはり妙だ。
向かいのゼノスは淡々と続けた。
「それで、リズ姉はどこまで覚えてるんだ?」
「ええと……ダリッツ孤児院にいたことは覚えてるわ」
とりあえず話を合わせることにする。
「孤児院を出た後は?」
「……思い出せない」
わざとらしく困った顔で額に手を当てた。
「孤児院のことはどれくらい覚えてるんだ?」
「それは……ある程度……でも、少し断片的な部分も、あるかも」
敢えて曖昧な言い方をしてみる。
「ジーナのことはさすがに覚えてるよな」
「え……ええ」
「よかった。ジーナはリズ姉の妹だもんな。ジーナは今、元気にしてるか?」
「それは……」
「それは?」
「ううん。やっぱりよくわからない……」
「そうか。孤児院を出た後はリズ姉とジーナは一緒にいると思ってたけど、それも忘れてるのか」
「……うん」
リズは静かに答えた。
「他に、当時の班のメンバーで覚えている奴はいるか?」
「えっと、ゼノスちゃんと妹のジーナ。後はマーカス……エミル……ロンバッド……アシュリー……クジャ……それと……ヴェリトラ」
「うん、何人か抜けてるけど、長くいたメンバーは大体合ってるな」
「そ、そう。よかった」
ゼノスは少し黙った後、おもむろに尋ねる。
「なあ、リズ姉。ちなみに、ヴェリトラが今どこにいるか知ってるか?」
「ヴェリトラちゃんは……特にゼノスちゃんと仲良かった子よね。……ごめんなさい、わからないわ」
「そうだよな。妹のジーナのことも思い出せないのにわかる訳ないか」
ぼりぼりとゼノスは頭をかいた。
「悪い。今夜はこれくらいにしておくよ。あんまり負荷をかけるのもよくないしな」
「う、うん」
「それで明日はちょっと街を散歩してみないか? リズ姉が廃墟街に倒れてたってことはこの辺に縁があった可能性もあるし、歩き回れば何か思い出すかもしれない」
「わかったわ、ありがとう」
本当に自分のためを思ってのことなのか。
たかが貢ぎ物の女に過ぎないはずなのに。
「ねえ、なんで私のためにそんな風に気をまわしてくれるの?」
「ん? そりゃリズ姉には昔世話になったしな。俺にできることなら手を貸すぞ」
「……」
何かを企んでいるのだろうか。いまだに掴めない。
リズはそれとなく探りを入れることにした。
「ねえ、ゼノスちゃんはここで何をやっているの?」
「ああ、俺は……」
少し言い淀んでから、ゼノスはこう続ける。
「まあ、あんまり公には言えないことなんだよな」
「え?」
リズは前のめりに尋ねた。
「言えないっていうことは後ろ暗いこと?」
「うーん、否定はできないが……」
――やっぱり支配者?
「周りに女をたくさんはべらせたり?」
「それは誤解だけど、周りに変わった女がやたら多いのは確かだな」
「人体実験もしてる?」
「さっきから何の話? 身体を調べることはあるけど実験のつもりはないぞ」
――支配者! やっぱりそうよ!
なんだかごちゃごちゃ言っているが、隠しごとがあるのは間違いない。
リズはテーブルの下できちち、と人差し指の爪を伸ばす。
……が、今仕掛けるのはやめた。
相手の手の内がわからない以上、対面で襲い掛かるのはリスクがある。
もっと確実なタイミングを狙うほうがいい。
「じゃあ、おやすみ、リズ姉」
「ええ、おやすみなさい、ゼノスちゃん……」
立ち上がったゼノスに、リズは笑顔で応じ、胸の内でほくそえんだ。
そう、相手が寝た後に傷をつけてしまえばいいのだ――
+++
草木も眠る丑三つ時。
リズはのそり、とベッドから起き出した。
足音を殺し、廊下の奥の寝室へと向かう。
眠っているところを襲われれば、いかに支配者と言えどどうしようもないだろう。
寝室のドアの前で息をひそめ、中の様子を窺った。
中からは寝息が静かに聞こえてくる。
「さて……」
リズはゆっくりとドアを開けた。
暗闇に馴らした目に飛び込んできたのは二つのベッド。
奥にエルフの少女。
手前にゼノスが寝ている。
きちち、と人差し指の爪を伸ばし、静かにゼノスのベッドへと近づいた。
右手が掛布団から飛び出している。
そこに少し傷をつければいい――
「ゼノスに何か用ですか?」
「おわっ」
いきなり声をかけられたので、変な反応が出た。
恐る恐る視線を動かすと、奥のベッドでエルフの少女が半身を起こしている。
「こんな時間にゼノスに何の用でしょうか、リズさん」
抑揚の消えた声でエルフの少女が言った。
無表情だから、なんだか怖い。
「あ、いや、違うの。その、お手洗いを探してて……」
「あっ、そうですか。お手洗いは廊下の反対側ですよ」
エルフは安心したように明るい調子になった。
「ええ、ありがとう……」
リズは後ずさるように寝室を出ることにした。
――怖……なんであれで起きるのよ……。
廊下をトイレに向かいながらリズは爪を噛む。
うまく潜り込んだつもりだったが、相当警戒されているのだろうか。
――こうなったら……。
リズは暗闇の中で、ひたすら待った。
側近のエルフだっていつかは寝る。その時までひたすら待つのだ。
自身が何度が寝落ちしそうになるのを堪えながら、リズは待った。
ひたすらに待った。
そして、夜も白み始めた頃、リズは匍匐前進で寝室へと向かった。
「なんで、この私がここまで……」
呪いの言葉を吐くかのように呻きながら、気配を消してドアを開ける。
今度こそ確実に二人が寝息を立てているのを確認。
息を殺して近づいて、ゼノスの右手に指先を伸ばす。
「ゼノスに何の用……」
またもエルフの少女の声がして、リズは身を硬くする。
「むにゃむにゃ……」
が、すぐに寝言へと変わった。さすがに寝入っているようだ。
――びびらせないでよ……。
リズはほっと息をつき、爪を伸ばした人差し指で、ゼノスの指先を軽くひっかいた。
――やったわ。これで任務完遂……!
+++
朝日と鳥のさえずりの中、ゼノスは目を覚ました。
隣のベッドのリリはまだ寝ているようだ。
大きく伸びをして、治療室へと向かう。
ここのベッドには昨日からリズが寝ているはず。
だが、ドアを開けると、相手は既に身を起こしていた。
「おはよう、ゼノスちゃん」
「ああ、おはよう、リズ姉。随分早いんだな」
「そうね、早いというかほとんど寝てないんだけど」
「大丈夫か? まあ、記憶を失ってぐっすり眠れるほうがおかしいよな」
「ええ、まあ色々あったのよ……でも、もういいの」
リズはベッドから降りると、不敵に笑った。
「これから、あなたは私の言いなりだから。これで貧民街は我らのもの」
「……?」
ゼノスが首をひねると、リズは得意げに床を指さした。
「伏せ!」
……。
……。
……。
微妙な沈黙の後、ゼノスは恐る恐る言った。
「ええと……」
すると、リズは目を丸くして何度も床を指さした。
「伏せ! 伏せ!」
「リズ姉?」
「伏せっ! 伏せっ! 伏せぇぇぇっ!」
「そこまで伏せて欲しいなら伏せてもいいけど、何かあるのか?」
「……え、あれ……?」
呆然とした様子でリズはつぶやいた。
「ちょっと手を見せて」
「手?」
ゼノスは自身の手を体の前で広げる。
そこには、何の代り映えもない自分の指があった。
リズは目を丸くして言った。
「あの……傷は?」
「傷? さっきから何言ってるんだ、リズ姉」
「……いや、ごめんなさい。私まだ混乱しているみたいで……昨夜ゼノスちゃんの指が傷ついた夢を見て……」
「変な夢だな? でも、心配ないよ。衝撃を受けると反射的に防護魔法を発動する癖がついてるから」
「……は?」
「ほら、ここは廃墟街だし、もしも賊が浸入して襲われてもいいようにな」
なんせ奥にはリリが寝ているから、自分が先に盾になる必要がある。
固まった様子のリズに、ゼノスは明るく言った。
「じゃあ、今日は予定通り街をまわるか。早く記憶が戻るといいな。リズ姉」
「……え、ええ、そうね」
唇をひきつらせながら、リズは頷いたのだった。




