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女子校保健医さんの百合カルテ  作者: 芝井流歌


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49ページ/傷だらけの生活

 


 翌日の十二月三十日、八神麗緒は無事退院が決まった。

 退院支度をしている最中、朝も早くから刑事が訪れた。麗美が犯行動機を告白したとのことだった。

「お姉さんは、ずっと妹が羨ましかったと言っていました。『頑張らないと好かれない自分とは違って、不器用だからこそ妹にはいつも自然と支えてくれる人が集まるから悔しかった』と。初めて本気で好きになった不倫相手に捨てられ、しかもその相手が妹のことを褒めたことがムカついたとも言っていました」

 その相手とは『ケロちゃん』だったらしい。伊織と鉄板焼き屋で遭遇した際、一緒にいたこの病院の泌尿器科のドクターである。取っ替え引っ替えしていた男共を多く見てきた麗緒は当然ルックス重視だと思っていたので、カエル顔の中年男性に本気だったとはかなり意外に思った。

「麗緒さんもこちらの病院の小児科にお勤めだったそうですね。不倫がバレて別れ話でもめた際、『少しは真面目な妹さんを見習ったらどうだ』と吐き捨てられたそうです。もっとも、若い女性と不倫していた男のどの口が言ってんだ、とわれわれも呆れましたがね」

 女性刑事が眉を寄せて言った。男性刑事も一歩後ろで頷いていた。

 バカ真面目が過ぎて退職した元職場のドクターが相手だったばかりに、妹と比べられて傷ついた優秀な姉……。プライドがずたずたに砕け散ったに違いない。何もかも自分より劣っていると見下していた妹に、初めて敗北したのだから……。

「これは申し上げにくいことですが、犯行は認めているものの、妹には会いたくないし謝罪をするつもりもないと言っています。訴えるか否かは麗緒さん次第ですが、今はお姉さんもずっと泣いている状態で疲弊しきっています。ご親族ということもありますし、退院されてからしっかりお考えください」

 麗緒が礼を言うと、刑事たちは「お大事に」と帰って行った。入れ替わりにもみじがやってきた。刑事たちが教えてくれた内容をざっくり話すと、もみじはマスクを膨らませ怒りを露わにした。

 しかし、お考えくださいと言われても、麗緒自身は姉を訴えようなど微塵も思っていない。ナイフを振り下ろしてきた際の、夜叉のような乱れように同情さえ覚えたからだ。

 それに、搬送されてからの二日間、両親は見舞いにも来なければ連絡すらもくれなかった。麗緒が『被害者』だという意識が両親にはないのだろう。麗美に雷を落とすか絶縁するかは分からない。だが、いつだって両親は姉のことしか見えていないのだ。

 むしろそれでいいと思えた。見舞いに来ても『お前のせいで麗美は……』などと言われ兼ねないからだ。そっとしてもらえたほうが、自分の傷が増えなくて済む。

 八神の名を名乗っていても、『八神家』とは疎遠になることを願っている自分がいる。訴訟も賠償もなく、ただただ自然に離れられればいいなと……。

 入院先の看護師であり親友でもある伊織に「もう戻ってくるなよ?」と、まるでとある施設を出所するかのような台詞で送り出され、ツッコミ入れつつ病院をあとにした。

 テキパキと退院手続きを進めたもみじが麗緒の荷物をひょいと奪い取り、待ち焦がれていた散歩を楽しむわんこのように「行きますよ?」とにこにこ先導する。搬送日を含めると二泊三日の入院だったが、そのわりにやたらと荷物がかさばっていたのでタクシーを配車した。

 時刻は午前十時。マンション付近は、一昨日の夜の出来事が嘘のように穏やかだった。事件現場である駐輪場の自転車も、何事もなかったかのようにきちんと整列されていた。

 むしろ、もみじから緊張感が伝わってくる。麗緒がフラッシュバックしないか不安なのだろう。当の麗緒は愛チャリが壊れていないのを目視してホッと胸を撫で下ろしていた。

 玄関扉を開けると、にゃんこらはすでに玄関マットでお出迎えしていた。荷物を抱えたもみじが先に入っても、珍しくコジローは後を追わない。ダイアナと共に『おかえりー』とお目々をきらきらさせていた。

「ダイアナ、コジロー、ただいまー!」

 愛らしい家族のお出迎えに目頭が熱くなる麗緒。もみじも伊織もにゃんこらも心配してくれていたのに、自分は呑気に愛チャリの心配なんかしていたことをちょっと反省。

 丸二日も空けていなかった我が家が懐かしく感じる。ソファにダイブしたいところだが、担ぎ込まれてから風呂に入っていないので先にさっぱりしたい。リビングで荷ほどきをしているもみじを横目にバスルームへ向かった。

 お湯張りボタンを押そうとして、ふと手を止める。傷の具合にもよるが、一般的に縫合から四十八時間以内は入浴を禁止されている。年末の寒さ厳しい中でのシャワーは余計に寒いが仕方ない。

「麗緒さん?」

 脱衣所へもみじがやってきた。今朝まで着ていた入院着と洗剤を洗濯機へ入れ、じーっと麗緒を見つめている。

「はい?」

「はい? じゃなくて、洗濯機回すから早く脱いでください」

「え、今ぁ?」

 確かに今すぐさっぱりしたい。だが、もみじは脱衣所の入り口に仁王立ちしている。これでは下着もジャージも取りに行けない。

「どいてくださいよ、って顔ですね」

「……その通りですけど」

「お着替えは私が持ってきてあげますから、それをさっさと脱いでください」

「えぇー……じゃ、じゃあお願いしますけど、自分で回すんで」

 麗緒は仁王立ちのもみじを回れ右させ、脱衣所の扉を閉めた。ほんとに乱入してくるつもりじゃなかろうな……と扉の向こうに耳を欹てたが、聞こえてきたのはクローゼットの引き出しを開ける音。

 なおも半信半疑で衣服と下着をポイポイ放り込み、洗濯機のスタートボタンを押す。ガーゼとテーピングを器用に剥がし、身震いしながらバスルームへ足を踏み入れた。

「麗緒さーぁん?」

 壁にかけたまま捻った熱々のシャワーを頭から被っていると、もみじがコンコンとノックをしてきた。曇りガラスにその姿がぼんやり映っている。

 まさか……と思いつつ、麗緒はシャワーを止め、「はーい?」と問いかけた。

「鍵、開けてくださいよぉ。寒いじゃないですかぁ」

 追加でコンコン叩くもみじ。麗緒はぎょっとして「ま、まじですかっ?」とつい大声が出た。

 コンタクトもメガネも外しているし曇りガラスではっきりは見えないものの、先程まで着ていた白いワンピース姿でないことは明白だ。多分バスタオルすら巻いていない。

「私が風邪ひいたら誰が麗緒さんのお世話するんですかー? 早くぅ」

 言ってる矢先にくしゃみが聞こえた。麗緒は寒さも傷の痛みも忘れるほど動揺していたが、本当に風邪をひいたらかわいそうなのでおずおず鍵を開けた。

 頬を桃色に染めたもみじが入って来た。予想通りバスタオルすら巻いておらず、真っ裸で豊満な胸だけ片手で覆っている。麗緒はすかさず目を逸らし、風呂椅子で小さく丸まった。

「さ、寒いから適当でいいですよ?」

 麗緒は背を向けたまま、シャンプーやボディソープのボトルをもみじのほうへ滑らせた。続いてコックを捻る。勢いよく吹き出したシャワーの音だけが、沈黙のバスルームに響いた。

 その沈黙が逆に気まずかった。さっきまでの強引さはどこへやらの遠慮がちな手付きが、実はもみじも緊張しているのだと伝えてくる。

 鏡が目に入らないようにギュッと目をつぶった。わしゃわしゃと丁寧に髪を洗ってもらっている最中も、麗緒は黙って下を向いていた。

「ひっくしょん!」

 コンディショナーを流しながら、もみじはくしゃみを連発した。麗緒はそこで初めて気付いた。シャワーをかけられている自分はかろうじて温かいが、洗っているだけのもみじにはしぶきしかかかっていない。真っ裸で寒くないわけがない。

「ちょっとちょっともみじさんっ? 自分にもちゃんとシャワーかけてよ? せめてバスタオル肩にかけるとか……」

「大丈夫です。麗緒さん洗ったら私も洗わせてもらいま……くしょんっ!」

「頑固なんだから、まったくもう……正月早々寝込みたくないから、風邪ひいたら出禁にしますよ?」

「ひどーい!」

 もみじは麗緒の頭をシャワーヘッドでコツンと叩いた。「あだっ!」と悶絶する麗緒。叩いた本人は背後でけらけら笑っている。

 さすがに「前は自分で洗います」とボディタオルを奪い取り、ぎこちなく左手を動かす。右手が使えないとこんなにも苦労するものかと、先が思いやられた。

「ありがとうございました。もみじさん、身体冷えちゃったでしょうからゆっくり温まってから出てくださいね?」

 一通り洗い終わると、もみじが髪をぽんぽんタオルドライしてくれた。「はーい」という聞き分けの良い返事に頷き、麗緒は髪をまとめていたバスタオルを身体に巻き直しバスルームを後にした。

 さっぱりはしたものの、どっと疲れが出た気がする……。麗緒は深いため息を吐き、滴の滴る身体を雑に拭く。片手しか使用できないのと水滴とで、下着一枚履くのすらかなり手こずった。ブラジャーは諦め、ノーブラのままTシャツとジャージにうんしょうんしょと袖を通す。

 化粧水が頬の傷にしみた。くぅーっと声が漏れる。右手の甲は固定されているが、少し痛みを我慢すれば指先は使えた。かろうじてボタンをはめられる程度なので、ブラのホックとなるとちょっとハードルが上がる。さすがに職場へノーブラでは行かれないし、連休の間に練習しなきゃな……とドライヤーを手に取った。

 が、肩を挙上する筋肉を負傷しているので、やはりドライヤーを使うのですらキツい。甘えてばかりで申し訳ないが、もみじが出てくるまで待つしかなかった。

 入浴前にもみじが暖房をつけておいてくれたらしく、リビングはほんのり暖かかった。にゃんこらもカーペットでぬくぬく転がっている。姿見に、濡れた髪の女性が映った。

 頬の傷を見るのは初めてだった。憎しみの籠もった傷だ。耳の軟骨にも亀裂が入っている。マスクで隠れる範囲なので、学校が始まったらしばらくはマスク生活になるだろう……。

「麗緒さーん、髪乾かしますからもうちょっと待っててくださいねー?」

 脱衣所から声がした。「はーい」と素直に返事をする。意地を張るのも遠慮するのもやめ、麗緒はもみじが戻ってくるのをおとなしく待った。

「おまたせしましたぁ。麗緒さんが使ってるシャンプーいっつもいい香りだなーって気になってたんですけど、これすっごいしっとりしていいですね! 美容院で買ってるんですか?」

 もみじはボブショートの横髪をさらさらと揺らし、ご機嫌で戻ってきた。足取りもるんるんである。女子は香り一つでテンションが変わる。世話をやいてもらってる礼もあるし、「よかったら今度買ってきますよ?」と提案した。

「ううん、大丈夫です。麗緒さんの借りますんで」

「あぁ、まぁそれは構わないけど……」

 これから数日は泊まり込みで世話してもらうのだし、それからもちょこちょこ泊まりに来るつもりなのだろう。それもそうか、と納得する。

「はい、こっち座ってください」

 ドライヤーを構えたもみじの言うがままに「お願いします」と背を向け座ると、もみじがひょっこり覗き込んできた。

「あのね麗緒さん。私、考えたんですけどぉ」

「はい? 何をですか?」

「一緒に住みませんか?」



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