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女子校保健医さんの百合カルテ  作者: 芝井流歌


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46/50

46ページ/約束

 


 小さい頃、どうして私は一人っ子なの? と両親に聞いたことがある。

 パパは気まずそうにママのほうを向き、ママは申し訳なさそうに『ごめんねぇ、もみじ』と言った。

 両親は四十目前で結婚した。私が生れたのはママが四二歳の時。両親も祖父母もとっても喜んでくれたと聞く。

 名前はおじいちゃんが決めてくれた。私が生れた九月はまだ紅葉には早かったけれど、たくさんの親戚が秋に集まったことから『モミジ』と思いついたらしい。みんなも満場一致だったと聞く。

 両親や親戚、友達にも健康にも恵まれ、私は何不自由なくすくすく育った。勉強も運動も人並みにはできたし、好きだったお絵かきではいつも褒められた。

 こんな自分に産んでくれた両親だが、私は一つだけ不満があった。私には兄弟も姉妹もいないことだ。

 友達のほとんどは兄弟や姉妹がいた。家に行くと一緒に遊んでくれた。特にお姉ちゃんのいる友達の家に行くのが好きだった。お人形遊びや女の子向けのテレビゲームを教えてくれた。

 おしゃれにも興味があった。両親は私にたくさん買い与えてくれていたけれど、友達のお姉ちゃんが着ている服が一番かわいく見えた。姉妹お揃いやお下がりなんかも羨ましかった。

 小学校に上がると、共働きだった両親に『もみじはしっかりしているから大丈夫よね?』と鍵を渡され、誰もいない家に一人で帰っていた。おかえりを言うのは自分のほうだった。

 こんな時、兄弟姉妹がいてくれたら寂しくないのにな……と作り置きの夕飯を一人先に食べていた。

 小学三年生の時、かえでが来た。マンチカンという種類のにゃんこだ。短足が愛らしく、一目で気に入った。かえでとはすぐに大の仲良しになった。私は一人の夕食も全然寂しくなくなった。

 お姉ちゃんになった気分だった。ご飯をあげ、一緒に遊び、一緒に寝る。もふもふで柔らかくて温かくて、ぬいぐるみのようだけどちゃんと意思があっておしゃべりもしてくれる。大好きなかえでと、一生一緒にいたいと思っていた。

 ある日、友達を数人家に呼んで、かえでを紹介した。みんなすごく羨ましがっていた。私は鼻高々だった。うちのかわいい妹を自慢に思っていた。

 すると、その中の一人が『でもネコちゃんは妹とは言わないよ。お喋りもできないもん』と言った。多分、友達には悪気はなかった。何気なく言っただけだったのだろう。なのに私は『そんなことないもん!』と反論した。それは私が一番よく分かっていたことだったから、他人に言われてムキになってしまったのだ。

 私はすごく悲しかった。かえでは家族だ。妹だ。私はかえでの言いたいことが分かるし、かえでも私の言うことが分かっている。どうして妹じゃないなんてひどいことを言うのだろうと泣いてしまった。

 両親が帰ってきてから、そのことを打ち明けた。両親もとても残念がっていた。それは友達の一言にではなく、おそらく私の傷つきようにだったと思う。

 その頃ハマっていたのが『みなこちゃんちの戦うキャッツ』というマンガだ。両親はもう一匹にゃんこを迎えてくれた。男の子のひのきだ。今度は弟ができたと嬉しかった。

 心のどこかで、満たされないものに気付かないふりをしていた。それに気付いてしまうと、自分も両親も悲しくなってしまうからだ。何より、かえでとひのきがかわいそうだと思った。本当の家族だと思っているのに、『でも人間じゃないから』というワードを掘り起こしてしまうと、自分の穴ぼこが広がってしまう。

 両親は悪くない。かえでやひのきも悪くない。悪いのは無い物ねだりな自分の欲求だ……。

 中学生になると、そんな欲求はなくなった。と言うより忘れていた。別れと出会いがあれど、にゃんこたちは絶え間なく糸崎家で元気に走り回っていたし、中学も高校もたくさん友達がいたから淋しさなど忘れていたのだ。

 しばらく忘れていた欲求を思い出したのは、市役所を辞め、両親が経営しているニアマートに勤めだした頃だった。

 ニアマートは星花女子学園の目の前にある。お嬢様学校独特のスール制度すらないものの、一部『お姉様』と呼ぶ生徒がいたからだ。

 さすがに、小さい頃の『羨ましい』とは違うものだが、血縁以上に深い繋がりがあるのを感じた。そういう形もあるのだと知った。すでに二三歳、大人の私にはそれが微笑ましく思えた。

 麗緒の第一印象は『危うい人』だった。記憶力と観察眼は鋭いほうの私にはそう感じられた。

 話してみると保健医という職業柄、あちらも観察力はそれなりだった。だけど私には、生徒たちを支える裏側で、自分に厳しく脆い人に見えた。やっぱり危うい人だな、と思った。

 崖っぷちにいても平然を取り繕い、矛盾した自己犠牲をなんとも思わない人だと思った……。

 もともと面倒見はいいほうだと自負していた。麗緒の影の部分には家庭環境が大きく左右しているのだと知った時、自分がこの危うい人を救いたいと思った。

 救うと決めた。

 自分も麗緒に救われたことがある。初めは恩返しのつもりもあったが、それ以上に一緒にいて楽しかった。だから帰り道はいつも寂しかった。小さい頃の気持ちをを思い出した。あの頃と一緒だなと思った。

 一緒にいたいのに、帰れば自分だけ寂しい気持ちになる……。

 麗緒は寂しくないのだろうか。自分が帰ったあとも、にゃんこたちがいてくれるから寂しくないのだろうか……。

 独りがいいと決めた人だ。家族の柵みからやっと解放され、自分らしく生きていきたいと決めた人だ。自己犠牲を何とも思わない人だ。淋しいどころか、帰ってくれてせいせいしているのかもしれない……。

 そんな麗緒が寝具セットをプレゼントしてくれた。やっと認めてもらえたのだとすごく、すごく嬉しかった。

 泊まる時はちゃんと親に連絡を入れるようにと言われ子供じゃないのにとも一瞬思ったが、事件に巻き込まれたことのある一人娘を持つ両親への気配りと分かり、その優しさもすごく嬉しかった。今夜にも早速お泊まりの連絡入れなくちゃ、と楽しみだった。

 *

 ……麗緒は血まみれだった。

 半狂乱の麗美が金切り声を出して暴れていた。マンションの住人や通行人が徐々に集まってきた。よろよろと近付いた私は上着も着ずに出てきたので、震えが外気の寒さのせいなのか、ぐったりと目を閉じている麗緒を目の前にしているからか判別がつかなかった。

 顔も肩も腕も血だらけだった。傷は主に左側に集中していた。女性がコートの上から麗緒の左腕にハンカチを当てて圧迫していた。コートもハンカチもほとんど真っ赤だった。震えながら立ち尽くす私に「お友達ですか?」と女性が声をかけてきた。

 麗緒はぴくりとも動かなかった。私は頷くのが精一杯だった。サイレンの音が遠くから聞こえた。麗美の声と重なり、自分はきっとサスペンスドラマかなんかの世界に紛れ込んだだけなのだろうと思った。

 麗緒は救急車に、麗美は警察車両に担ぎ込まれた。白いヘルメットを被った救急隊員に対応していた女性が私を指指した。救急隊員に麗緒の名を聞かれた。

 八神麗緒と伝えた。私は妹のもみじですと付け足した。

 非現実的な救急車の中で、救急隊員が「八神さーん、八神さーん、聞こえますかー? 大丈夫ですからねー。すぐ病院着きますからねー」と繰り返しながら処置をしていた。

 私はピッピッという麗緒の心拍音に耳を集中させていた。顔色は青白く、瞼はぴくりとも動かない。しかしこの電子音が、麗緒の命の証だ。どうか途切れないで……と強く祈っていた。

 私が救うと決めたのに……。

 結局私が何もできないまま、麗緒は救急処置室に運ばれた。検査や処置で何時間も待たされた。廊下はひんやりしていて、何もできなかった自分だけが取り残されているようだった。

 肩と腕の部分がずたずたに切られ、血液がべったりついた麗緒のコートにはスマホと財布が入っていた。手ぶらで飛び出してきてしまったので、自分のスマホは麗緒の部屋に置きっぱなしだった。

 麗緒のスマホで時刻を確認した。十一時だった。待ち受け画面には、、ダイアナとコジローがお行儀よく並んでいた。ダイアナは特に麗緒の心情に敏感だ。あの子たちも心配しているだろうか……と考えた時、ふと麗緒との約束を思い出した。

 麗緒の財布から小銭を拝借し、ニアマートへ電話をかけた。父が出た。

「お父さん、今日は麗緒先生のおうちに泊まらせてもらうから、心配しないでね?」

 初めてのお泊まり連絡は、ちょっぴり後ろめたくて、もっと気恥ずかしいものになると思っていた……。

 でも、約束はちゃんと守りましたよ、麗緒さん……。






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