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八神麗緒は帰るタイミングを失っていた。
もみじの家をおいとましようとしたところで、先程のバイク青年が再登場。お見送りしてくれるものかと思っていれば、どうやらもみじはこの青年と待ち合わせをしていたらしい。さっきの電話はそれか、と合点がいく。
青年はバイクから降りもせず、エンジンをかけたままなのですぐ去るつもりなのだろう。にしても、もみじももみじで麗緒を放置のまま話し始めるので、御礼を切り出すきっかけを完全に失ってしまったのだ。
「あー、早かったねぇ。ごめんね、わざわざ持ってきてもらっちゃって」
「いいっていいって。こんな時間にもみじさん待たせるわけにいかないじゃん?」
「さっきのモンブランもありがとう! さっそくいただいちゃったよ。すっごくおいしかったんだけど、たっぷりお酒が入ってて酔っ払っちゃったぁ。あはは」
先程同様、二人は楽しく談笑し出した。青年はヘルメットを被ったまま「はい、これ。おチビによろしくね」と紙袋を差し出している。おチビとはマロ眉にゃんこのことだろう。
「オッケー! 今見たらね、キャリーバッグが気に入ったみたいでぐっすり寝てたよ? 朝にはお腹空いたーって騒ぐだろうから、そしたらこのご飯あげておくね」
「あはは、そうしてもらえると助かるよ。……んで、こちらのお姉様は?」
メットがこちらを向く。バイクから降りないのはすぐ帰るからだとしても、シールドも上げずに観察してくるとは失礼なやつだ。
「星花の先生よ? 今年度赴任された八神先生」
「へぇ? 星花の先生だったんだ?」
メット越しでもまじまじと見られているのが伝わり、麗緒は嫌悪感を覚えた。貴様こそ何者だ! と突っかかりたいのをぐっと堪え、もみじに振り返る。
「もみじさん、あたしはここで。お邪魔しました。おやすみなさい」
「あ、はい! お気を付けてー」
ぺこりと会釈し、麗緒は今度こそ帰路につく。角を曲がってもまだ二人の声がする。麗緒は足を速めた。
「八神先生?」
再度グールグルマップを開き逃げるように歩いていると、二つ目の角を過ぎたところで、またバイクが追ってきた。なぜか横についた。
「送りますよ。バイク、嫌じゃなければ」
「いや、大丈夫。スカートだし」
スカートでなくても乗りたくはないけどね、と内心付け足す麗緒。もみじの知り合いのイケメンといえど、見ず知らずの男にホイホイついていくのは姉くらいだ。
青年はエンジンを切り、バイクからひょいと降りた。重いだろうに、バイクを推し並進してくる。
「そ? でもまぁもみじさんのお願いなんで、家までは送りますよ」
「もみじさんの?」
「奇麗な女性が独りで夜道を歩くのは危険ッスからね。ぼく的にも放って帰れないし」
あーそうですか、と有り難迷惑を沈黙で受け流す。こんな時間にうろついている学生などいないだろうが、メットを被ったままの謎のバイク青年とのツーショットを見られた日にゃ、尾ヒレと四本足が生えて学園中を走り回りそうだ。
「そのワンピ、もみじさんのじゃないスか?」
「……色々あって」
「へぇ、仲良かったんスね。ところで八神先生はなんの教科教えてんスか?」
「……」
「あれ? 教えてくれてもいいじゃん。……まーいいッスけど」
口数の少ない例緒の心情を察したのかそうでないのか、青年も多少口数を減らし、しばらく沈黙のままバイクを推し歩いていた。三つ目の角を麗緒が曲がろうとすると「あ、こっち?」と慌ててハンドルを切った。あまり力がないらしく「重っ……」とぼやきながらついてくる。
お互い沈黙のまま歩くこと十五分。麗緒のマンションが見えてきた。麗緒はグールグルマップを閉じ、スマホをバッグに入れた。
「ここでいいから」
街灯の下で麗緒が足を止めると、青年は聳え立つマンションを見上げ「へー」と感嘆の声をあげた。
「さすが星花の先生! いいとこ住んでんスねー」
「……そりゃどうも」
「そんなに警戒しないでくださいよぉ。心配しなくても、ぼく送り狼したりしませんって」
あははっ、とメットの中からくぐもった笑い声が漏れる。元々男性は苦手なのだが、こういう軽くて人なつっこいタイプはもっと苦手だ。早々にバイバイしたい。
「それじゃ。……送ってくれてありがとう」
「あっ、そうだ! 先生。このマンションってペット可?」
「……まあ」
「んじゃさ、ぼくともみじさんを助けると思って、ネコ飼いません?」
「え?」
唐突な依頼に思わず振り返る。青年はここにきてようやくメットを取り、両手をパンッと合わせた。そして深々と頭を下げ出す。
「お願いします! 彼女に約束しちゃったんスよ。『ぼくが絶対里親探すから』って……」
「そう言われても、うちには……」
ダイアナがいる。
「彼女んちはペット禁止だし、もみじさんちは他のネコたちと仲良くやれそうならって言ってたんスけど、一匹だけ折りが合わなそうらしくて……」
そういえば、もみじも『飼う』ではなく『預かる』とだけ言っていた。星花の生徒にはにゃんこ好きが多いので、誰か引き取らないか聞くつもりで預かったのだろう。
マロ眉にゃんこの顔が脳裏を過ぎる。珍しい模様のかわいらしいにゃんこだった。去年、ダイアナを写真で一目惚れした時のことを思い出した。あの時も里親を探していると頼まれたのだった。
そしてこの青年はともかくもみじの役に立つのなら、この数日の御礼も兼ねて引き受けても……。
これもご縁か……。
「分かった。でもうちにも一匹いるから、もし相性合わなかったら悪いけど他を当たって?」
「まじッスか!」
勢いよく頭を上げ、青年がその端整な顔を近付けてきた。麗緒は思わず仰け反る。
「ち、近い近い!」
「あ……すいません。つい嬉しくて!」
中性的で笑顔が眩しい。心から安堵しているらしく、めちゃめちゃ嬉しそうだ。そこまで喜ばれると麗緒も悪い気はしない。ノリは軽いけど悪いやつではなさそうだ。
ふと、この青年をどこかで見たような気がしてきた。さっきまでは暗かったりメット越しだったりではっきりと見えなかったが、どこかで……。
「ねぇ君、どこかで会った?」
「え? いやだなぁ、先生! もしかして逆ナン? それともぼくのファン?」
「は? 芸能人なわけ?」
テレビは点けていてもあまり真剣には見ないので記憶に残っていないだけだろうか。青年は得意気に笑い、とんでもない返事をよこしてきた。
「芸能人ではないけど、星花じゃ有名人でしたよ?」
「星花で……」
「そ! 芸能人でもないのに、校内でぼくのこと知らない人いないってくらい有名人だったんスよ? 去年まではね」
「去年……」
脳内でフィルムが巻き戻り、記憶が蘇った。途端、麗緒は青年を指差し吹き出してしまった。
「あー! 星花祭の時に男装カフェで美邦に白目抜かせた子だ!」
「え? あー、そんなこともあったかな? なんだ、先生、ぼくのこと知ってんスか?」
「知ってるもなにも、あたしのこと『新しい保健の先生?』とか『先生いくつ?』とか言いながらほっぺた触ってきたくせに」
数秒の間はあったものの、今度はあちらのフィルムが巻き戻ったようだ。
「えー? あの時の保健の先生かぁ! なんだぁ、メイクも違うし白衣も着てないから、全然分かんなかったッスよ」
謎のバイク青年、もとい、星花女子学園高等部卒業生。名は獅子倉茉莉花と名乗った。
中性的な容姿だし『ぼく』なんて言ってるわりにずいぶんプリティなお名前じゃないか! とからかってやりたかったが、「マリッカって呼んでくださいね」と先手を打ってきたところをみると、自分的にもプリティなお名前を気にしているのかもと察したので飲み込んでおいた。
星花の卒業生というだけで、麗緒の警戒心はあっという間に消え去った。むしろ、接点はなくとも半年前まで在籍していたのなら生徒も同様でかわいい。
「そうならそうと早く言いなさいよ。女性の家をチャラいバイク青年が深夜に行ったり来たりしてるから心配したでしょうが」
「もみじさんは年も近いし先生でもないから友達みたいなもんッスよ。もしかして、もみじさんの彼氏かなーとかヤキモキでもしてました?」
にやにやされたので、げんこつで軽く「あほ」とこづいてやった。痛くもないくせに「いてーっ」と大げさに頭を抱える茉莉花。
もやついてたのは事実だが……。
「ったくもー、バカなことばっか言ってないで、未成年は早く帰りなさい。にゃんこのことは、あたしからもみじさんに連絡するよ。さっ、帰った帰った」
「ちぇっ、卒業生と知った途端に先生ぶっちゃってさー。まっ、奇麗なお姉さんに怒られるのも悪い気はしないけどね」
ドエムか、こいつ……。
「先生だもの。んじゃーね、送ってくれたことはほんとにありがとう。君も帰り道気を付けて」
まだ何か言いたげにしているので、強引に切り上げる。ひらひらと手を振ると「はいはーい」と素直な返事をしてメットを被った。背中でエンジン音を聞き流し、愛ネコの待つ部屋へとエントランスを過ぎる。
この後、すねたダイアナは迎えに来てくれず背を向けたまま寝たふりをするので、ひたすらご機嫌取りをするはめになった麗緒だった。




