24ページ/【番外編】れおとあなたんの甘い誕生日
八神麗緒は夢を見ていた。
愛ネコのダイアナと、生クリームの海で泳ぐ夢だった。グレーの毛並みを真っ白に染めながら、イヌかきならぬ『ネコかき』で器用に泳ぐダイアナ。「待て待てーぇ、あははははー」と、お決まりの台詞で平泳ぎする麗緒。
辿り着いた島はスポンジでできていた。そこらじゅうにチョコレートやらクッキーやらマカロンやらが転がっている。みな、麗緒に食べてほしそうにゆらゆら揺れている。
「うわーぁ、どれから食べようか悩むなー♪」
麗緒はお目々を輝かせながら選ぶ。あっちもこっちもおいしそうだ。早く早くぅ、と言わんばかりにお菓子たちが揺れている。
「やっぱチョコからかなぁ♪ いっただっきまー……ん?」
大きな板チョコにかぶりつこうとした瞬間、足元のダイアナがちょいちょいとスカートの裾を引っ張った。
「れおちゃんれおちゃん?」
「何? ダイアナも食べなさいよ。どれもおいしそうよー♪」
「えー、あなたんも食べていいのー?」
「いいのいいの!」
「やったぁ! んじゃ、いっただっきまーっす♪」
がぶりっ! とダイアナがかぶりついたのは麗緒の右腕。たまらず麗緒は振り払う。
「いったーぁ! なにすんのよ、ダイアナぁ」
「だってーぇ……♪」
ニヤリ、ダイアナは鋭い牙を剥き出して笑う。
「甘い物をいつもたくさん食べてるれおちゃんが一番おいしそうだもの♪」
みるみるうちに巨大化するダイアナ。まるで幼い頃に恐竜図鑑で見たティラノサウルスのような姿に変わっていく。
「だだだだだだ、ダイアナぁ?」
「ねぇ、食べていいんでしょー? れおちゃぁん」
鋭い牙が並ぶ巨大な口を開け、ダイアナは麗緒に襲いかかった。
「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
*
ガバッと身を起こす。真っ暗だ。ダイアナに飲み込まれたのか? 食べられたのか? 麗緒は身体中のあちらこちらを触り確かめる。どこも痛くなかった。
暗闇に目が慣れてきた。自室のベッドの上だ。なんだ、夢か……と胸を撫で下ろす。
枕元を摩ってみた。いない。部屋の隅に視線を移す。襲いかかってきたはずの愛ネコは、お気に入りのもふもふクッションで丸くなっていた。サイズも小ぶりのままだ。
まぁ、そんなはずないわな……と苦笑い。汗でTシャツが身体に貼り付いていた。気持ち悪いので、ベッドから降りながらTシャツを脱ぎ捨てた。
「んー? 起きた?」
……何か聞こえた気がする……。寝室を出ようとした例緒の足がぴたりと止まる。
振り返ってみた。当然、麗緒の他には誰もいない。
姉の幻聴か? いや、姉のような甘ったるいぶりっこ声ではなく、小学生低学年の女の子のような……。
五月だぞ? 夏の怪談話にはまだ早い。空耳、空耳……と言い聞かせてはいるものの、両腕には鳥肌が立っている。
片腕ずつ摩りながら、改めて寝室を出ようとすると、今度は足元から声がした。
「うなされてたよ? 怖い夢でも見てた?」
ハッキリと聞こえた。先程と同じ声だ。背筋に冷たいものが落ちていくのを感じた。
……これは幻聴ということで、確認しないほうがいいだろうか。それとも幻聴と断定するために、確認したほうがいいだろうか……。
麗緒は病院勤務時代に、何度も夜勤を経験している。幽霊なんかは信じないほうなので、巡回も特に怖いと思ったことはない。
だが、この耳ではっきり聞こえてしまった。幽霊なのか? これが幽霊というやつなのか……? 麗緒は恐る恐る、錆び付いてしまったかのような首をギギギと傾けた。
「怖かったの? 大丈夫、あなたんがいるよー♪」
音源と目が合った。見慣れた者が、見慣れない行動をしている。
「だ、ダイア……」
愛ネコのダイアナが、ちょこんと座ったままこちらを見上げていた。
「よーしよーし♪ 怖かったんだねぇ。おいでおいで? あなたんが撫でさせてあげるよー♪」
唖然と立ち尽くす麗緒に手招きをするダイアナ。おいでおいでをするその姿は、まさに招き猫だ。
「どうしたの? 怖い夢はもう終わったよー? ほらほら、あなたんいるから怖くなーい、怖くなーい♪」
麗緒の踝にすりすりと頭を擦りつけるダイアナ。そんなことを言われても、この異常な状況はすぐに飲み込めるものではない。
「ああああああたし、まだ夢見てんのかなー? おっかしいなー、ダイアナがしゃべってる気がするー。まさかねー? あははははー……」
あえて心情を口にし、まじまじと観察してみた。見た目は何も変わらないうちの愛ネコだ。グレーの毛並みに浮かび上がる白い三日月模様も、うちのダイアナのチャームポイントだ。うちのダイアナに間違いない。
「あなたんがしゃべったらいけないの? れおちゃんが言ったんじゃん、『ダイアナがしゃべれたらなー』って」
ダイアナはふんっと鼻を鳴らした。不服そうに顎を引き、上目使いをしてくる。
「い、言ったけど……そりゃ確かに言ったけど……」
会話してしまった。愛ネコと会話してしまった。麗緒は次の言葉を促すかのようにじっと見つめてくるダイアナから一旦目を逸らし、壁のスイッチでぱちんと灯りを点けた。
明るくなっても状況は変わらなかった。相変わらずダイアナはじっとこちらを見上げている。麗緒はゆっくりしゃがみ、目線の高さを合わせた。
「だ、ダイアナ……ほんっとにしゃべれんの?」
「うん! れおちゃんが望んだんだよ? だから今日だけ。れおちゃんの誕生日の、今日だけね♪」
言ってマーキングしてきた。そっと頬に手を添えると、ごろごろと嬉しそうに喉を鳴らす。
時計を見上げた。午前二時を回ったところだった。日付が変わり五月十五日、麗緒の誕生日になっていた。
「あたしの……誕生日だから?」
「そっ♪ あなたんはれおちゃんにいつもお世話してもらってるけど、あなたんはれおちゃんに何もしてあげられてないから、誕生日の今日だけはれおちゃんの願いを叶えてあげたくて♪」
「ダイアナぁ……」
愛おしそうに目を細めるダイアナ。そのけなげな思いと会話が実現した嬉しさで、麗緒の不信感は一気に吹き飛んだ。
「あなたんも嬉しいよ? れおちゃんとずっとお話してみたかったんだもん♪ いつもありがとうって言いたかったし、あなたんの色んな気持ち伝えたかったから」
「うわぁぁぁん、ダイアナーぁ! かわいいやつめ! あたしこそありがとうだぞ? こんなあたしと一緒にいてくれてありがとうだぞー!」
がっしりと抱きしめ、頬を寄せる。ふわふわの毛並みがくすぐったい。ダイアナの体温が伝わってきて、嬉しさと同時にこみ上げてきた涙が溢れてしまいそうだった。
「れおちゃん、苦しいよぉ」
「あぁ、ごめん! 嬉しくてつい……」
こぼれそうな涙を指の背で拭い、腕の力を緩める。ダイアナは腕の間からすり抜け、にょろりと床に着地した。
「れおちゃん、お誕生日おめでとう♪ どうせ今夜は独りでケーキ食べるつもりでしょ?」
「どうせって何よー。あんたは食べれないんだからしょうがないでしょーが」
「ぶーっ! 誕生日くらい一緒にお祝いしてもいいじゃーん」
「だめだめ、にゃんこには毒だもの。その代わり、ダイアナにもごちそう買ってきてあげる♪」
わーい! やったぁ♪」
再びごろごろと喉を鳴らす。小さな身体から伝わってくる振動が心地よい。
「あとねあとね、あなたん、他にもれおちゃんにお願いがあるのー♪」
「お願い?」
麗緒は首を傾げる。誕生日は自分だ。お願いをするとしたら自分のほうではないか?
しかし、ダイアナとしゃべってみたいという願いは叶えてもらった。せっかく会話できているのだから、今度は自分がお願いとやらを聞いてやるか、と頷く。
「うん! まずね、裸でうろうろするのやめてほしいの」
「……はい?」
一瞬きょとんとした麗緒は、言われて現在の姿を見下ろした。下半身こそジャージは履いてはいるが、Tシャツを脱ぎ捨てた今、上半身は人並みの胸が露わになっている。にゃんこといえど同居人に痛いところをつつかれ、ぽりぽりとこめかみをかいた。
「いやぁ、つい……」
「つい、じゃなーい。だらしないでしょー? いくら独り暮らしって言っても、仮にもまだ嫁入り前の二十代だよー? 泥棒さんが入って来たらびっくりしちゃうでしょー?」
「は、はい……」
まさかにゃんこに説教されるとは思わなかった。しかし、的を得ている指摘に、言い訳も返す言葉もない。
「それとね、晩酌の片付けを朝にしないで? 飲み食いしたら、寝る前にちゃんと片付ける!」
「え、えっと……」
十二分に心当たる。確率で言えば、八割方朝食と共に片付けているのだ。こちらもずばり叱責されて当然の習慣である。低学年女児声のダイアナの目つきがどんどん厳しくなっていく。
「あとね、ゴミ袋はきちんと口をしばって! 今月に入ってすでに二回も出し忘れたでしょ? れおちゃんは気付かないのかもしれないけど、あなたんはすっごく鼻がいいからすっごくクッサいの! ゴミの日は忘れない! そんで袋の口はしっかりしばる! 分かった?」
自然と後ずさってしまうほどの気迫に、麗緒は「は、はい!」と頷くことしかできない。
「そうだ! あとねぇ……」
「まっ、まだあんのー?」
「えー? だから言ったじゃん! れおちゃんに伝えたいことがあるって」
「それって……」
確かに言ったは言った。しかし麗緒としては、まさか日頃の干物っぷりのダメだしだとは思いも寄らなかったのだ。いや、誰が予想できただろうか。多分、世界中探したところで、誕生日のサプライズで飼いにゃんこに叱咤されるなど予想できるご主人などいないはずだ。
「あのねぇ、れおちゃん。あなたんは、れおちゃんがあなたんを大事にしてくれるからこそ言ってるんだよ? 言ってる意味、分かる?」
「い、いや……さっぱり分かりません……」
「分からないー?」
ダイアナは目を細めた。もはや睨み上げている状態である。
「れおちゃんはね、あなたんを大事にしてくれる自慢のご主人様だから、あなたんはれおちゃんが大好き! だからね、あなたんを大事にしてくれる大好きなれおちゃんには、れおちゃんを大事にしてくれる人と幸せになってほしいの。だけどさぁ、今のれおちゃんじゃさぁ……」
ダイアナは更に続けるつもりでにじり寄ってくる。たまらず麗緒は頭を抱え後ずさった。
「分かってる? 毎日毎日変な甘ったるいビール飲んで、だらしない格好でだらしない生活してさぁ。こんなんじゃ大事な人どころか、あなたんだっていつか……」
「うわぁぁぁぁぁぁっ! ごめんなさい、ごめんなさい! ちゃんとするからもうやめてーーーぇ!」
*
ガバッと身を起こす。……真っ暗だった。
夢……? じゃあ、さっきのは……? 夢のまた夢なら、もしかするとこれも夢かもしれない、と疑心暗鬼になってくる。
麗緒は恐る恐る枕元を探る。いない。さっきと同じだ。
今度は肌に貼り付いたTシャツを着たままベッドを降りる。抜き足差し足で壁のスイッチに触れた。ぱっと明るくなり、部屋の様子が見渡せた。
「うにゃ……」
お気に入りのもふもふクッションで丸くなっていたダイアナが小さく鳴いた。急に灯りが点いたので、不思議そうに麗緒を見上げる。
「ダ……イアナ?」
寝起きで声がかすかすだった。だが、ダイアナは一度伸びをしたあと、「なー」と律儀に返事をくれた。
しばらく見つめ合う。呼んでおきながら用はないの? とでも言いたげに、ダイアナはきょとんとしている。
「しゃべれ……ない、よね……?」
そっと近付き、目線を合わせる。あちらも顔を寄せ、ざらざらの舌でぺろりと麗緒の頬を嘗めた。
抱き上げてみた。成ネコにしては小ぶりな身体がでろーんと伸びた。胴体も手足も異常はなさそうだ。若干迷惑そうにあくびをしている。
「ダイアナ……? お前はあたしのこと好き?」
返事はない。だが、言葉は通じたようだ。ゴロゴロと喉を鳴らしている。それが彼女の答えだ。
「ありがと、ダイアナ! あたしも大好きだよ!」
優しく抱きしめ、頬を寄せる。耳元でごろごろが大きくなった。
麗緒が腕を放すまで、ダイアナはじっと抱かれたままだった。麗緒はこうしてそばにいてくれるダイアナが大好きだ。ダイアナもまた、自分を大事にしてくれる麗緒が大好きだ。
麗緒は誓う。夢で指摘されたことは、ちょっとずつでも直していこうと。この愛おしい同居人に嫌われたくないから……。
「だからさ、ずっとそばにいてね? ダイアナ……」
八神麗緒。五月十五日生まれ。二十八歳。職業、養護教諭。好きなものは甘い物。嫌いなものは姉。
優しく厳しく生徒に指導する昼の顔とは裏腹に、夜の干物女は自分には甘いのだった。




