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女子校保健医さんの百合カルテ  作者: 芝井流歌


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16/50

16ページ/宣言

 


 八神麗緒は、すかさず教員スイッチを入れた。

 柚原七世という情報屋にあらぬ噂を流されようものなら、保健医としての威厳が保てない。弱みでも握られようものなら、バナナが何房あっても足りなくなるだろう。

 気を抜いてはいけない。保健医としての信頼を守るためには、噂の火種になるようなネタなぞ絶対に提供するわけにいかないのだ。

「やだやだぁ、やがみんのエッチぃ。……ははーん、やがみんがノックにこだわっていたのはそういうことでしたかーぁ」

 身体をくねらせてにやつく柚原七世。シーツを被せたあげくベッドに押さえつけていた現場を目撃されたのだから、無理矢理襲ったのだと勘違いするピンク脳もいるのだろうが、自分が鍵もかけず真っ昼間から職場で襲うおサルさんに見られているのかと思うと情けなくなってくる。

「はー……。バカかお前っ。ノックは常識だろうが。あたしがそういう野蛮人に見えるのか?」

「へーぇ? じゃあこの状況はいかにぃ?」

 ぴょんぴょん飛び跳ねて麗緒の肩越しの物を見ようとする柚原七世を通せんぼし、仕切りのカーテンをシャッと閉める。咳払いを一つして七世のカメラを取り上げた。

「イカにでもタコにでもない! ほらほら、患者の前で騒ぐんじゃない。用がないなら帰った帰った」

「あぁー、返してくださいよー! 今日は絶好のスキャンダル日和なんですよ? お祭りとなると、普段は見せない一面を見せる人がいますからね。情報屋にとってカメラは命の次に大事な物なんですー! 返してくださーい」

「はいはい。おとなしく帰るなら返してやるよ。お前の熱心さは評価するが、あたしの周りを嗅ぎ回るなら、蚊と共に容赦なく叩き潰すからな?」

「ひどぉーい。せっかくおいしい情報持ってきたのにー」

 七世は意味深に口角を上げた。「知りたいでしょ?」と言いたげな表情だが、その取り引き内容を察した麗緒もにやりと返す。

「おいしい情報? どうせチョコバナナクレープがおいしかったですよーとでも言うんだろ?」

「えー、どうして分かったんですか? おいしかったから、私なんて三つも食べちゃいました。先生はぶらぶら回れないだろうから、せめて情報だけでもと思ったのにー」

 七世は真面目にぷんぷんする。気が利くんだか利かないんだか、だ。口端に付いたチョコソースで察したのだと教えてやるつもりはない。ちょっと間抜けな絵面がかわいくて、麗緒は叱りたい気持ちが失せてきた。脱力し項垂れる。

「もー、そんなくだらんことだけで勝手に入って来るなよ。情報だけなぞいらんいらん。どうせ来るなら、あたしにも三つ買ってから来てくれ。ノックも忘れずにな? そして入室許可を聞いてから入って来い」

「んもー、人使い荒いですねぇ。しょうがないなぁ、じゃあ買ってきたら教えてもらいますからね? そのシーツの下の方が誰なのか。悩める受験生ですか? それともピチピチの一年生ですか? それともそれとも、オフィスラブ?」

 どれでもねーよ、と内心苦笑する。カーテンの向こうから布の擦れる音がした。頼むから出てこないでくれと懇願しつつ、ベッドを指指す七世の頭にチョップを食らわした。

「おいおい、そうじゃないだろ。誰が等価交換と言った?」

「ま、まさか! 教師が教え子にカツアゲですか? 情報もくれないのにクレープを要求するつもりですか? しかも三つも? 傲慢です! パワハラです!」

「やかましいっ。そんなわけなかろうが。分かった分かった。じゃあクレープはいらんから、悪いがほんとに帰ってくれないか? まぁチョコバナナクレープがおいしかったって情報を持ってきてくれたことだけは感謝するよ、ありがとな」

 取り上げたカメラのストラップを首にかけてやり、回れ右し肩を押して扉のほうへ追いやる。途中ぴたりと停まり、七世の耳元で囁いた。

「あれ? 柚原……お前、バナナの食べ過ぎで太ったか……?」

「えぇっ! そんなことな……」

「がははっ! 嘘だよ。じゃーな」

 真面目が故にからかい甲斐のある生徒だ。七世は「ひどーい!」と振り向いたが、もう一度「じゃーなー」と手を振り、ピシャリと扉を閉じた。

 怒り覚めやらぬ足音が遠ざかるのを確認し、麗緒は肩でため息をついた。何もバレずに済んだはいいが、どっと疲れた。

「せんせ……?」

 カーテンの隙間から、もみじがそっと顔を出した。さすがにマスクは装着している。

「はー……。お騒がせしました。柚原のやつ、いつもこうやって勝手に入って来るんですよ……」

「ふふっ、私はスリルがあって楽しかったですけどね」

「笑い事じゃないです。誰のために必死こいてると思ってんですか……」

 頭をぐしゃぐしゃしながら、麗緒はデスクチェアにどかっと腰かけた。もみじは嬉しそうにくすくす笑っている。二杯目のアイスコーヒーをビールのごとくグビグビ飲み干し、ようやく落ち着いた。

「王子様みたいですね」

 デスクに近付いてきたもみじが突然吐露した。誰のことやらと、麗緒は立ち上がりグラウンドを覗く。

 しかし、先程までにぎわっていたストラックアウトは静かだった。『休憩中 しばしお待ちを』という手書きの紙がひらついている。景品がごっそりなくなっていた。誰かさんのせいで、急遽買い足しに行ったといったところだろうか。

「ありゃ? 誰もいない……。東のことですか? あいつはエースだし人気もあるけど、王子様ってよりは『騎士様』って感じですかね。負けず嫌いで闘争心が強すぎる。まぁスポーツやってればそれくらいでもいいのかもしれないけど、王子様っていう紳士さはないですよ?」

 座り直し、もみじのカップにもおかわりを注いでやる。もみじは丸椅子をコロコロ引きずり、麗緒の隣にちょこんと腰かけた。

「東さんじゃないです。麗緒先生が、ですよ」

「……はい?」

 何を言い出すのかと目をひん剥いた。手渡そうとしたコーヒーの水面が、たぽんと揺れる。

「紳士で王子様なのは麗緒先生です。マンションで匿ってくれた時も、送ってくれた時も、今だって必死に私を守ってくれたじゃないですか」

「あははっ、おおげさですよ。全部、当たり前のことしてるだけです」

 とはいえ、褒められるとむずむずするので目を逸らしてしまう。すでに胃はたぽたぽなのだが、手持ち無沙汰にまたコーヒーを注いでしまった。挙動不審を怪しむもみじの視線を感じる。筆記用具の引き出しを開け、そこに有るわけがないガムシロップを探すふりをした。

「それだけじゃないです。私の顔、絶対見ようとしないじゃないですか」

「いや、ガムシロを探しててですね……?」

「今の話しじゃないです。マスクを取った時の話しですよ」

 背を向けガシャガシャと引き出しをかき回し続ける麗緒にしびれを切らし、もみじは丸椅子ごと平行移動する。叱られることを予知したにゃんこのような表情の麗緒の正面を陣取った。

「なんで話し逸らすんですか? 私は嬉しかったから褒めてるんですよ?」

「いや、あの……褒められるようなことしてないですって」

「してます。現に私は助けてもらってるんですから。だから、私も麗緒先生に何か返せればいいなって思ってるんです」

「えっと……そんな、御礼してもらうようなことじゃ……。あっ、ガムシロの代わりにバニラアイスを乗せて……」

 麗緒が手を引っ込めかけたのを視界に入れたと同時に、もみじはすかさず引き出しをピシャッと閉めた。麗緒はびくっと肩をすくめる。ごまかすな、そうもみじの顔に書いてある。いつになく顔が怖い。

「王子様って言ったのが気に触ったのなら謝ります。でも、嬉しかったのと感謝してるのは本当です。だからこうしてクレープやらパフェやらを買って押しかけたんですけど、それも迷惑だったんなら、それも謝ります」

 眉をつり上げて捲し立てるもみじ。もどかしいのは分かるが、ちっとも『謝ります』という表情ではない。ハイテンション女子高生モードから一転、『怒らないから浮気を白状しなさい』と言わんばかりの、激オコぷんぷん妻オーラでメラメラだ。

 マスク越しでもフグのように膨れているのが見て取れる。余計にたじろいだ麗緒は、無意識にデスクチェアごとバックした。もみじはムッとして肘掛けを掴んだ。詰め寄るように麗緒の顔を覗き込む。

「麗緒先生? なんで逃げようとするんですか? 何かやましいことでも?」

 気迫に押され、麗緒は細かく首を振りながら自白する。

「いやいやいやいや、やましいことも謝ってもらうことも一つもないですよっ? あたしはその……感謝されるのはあたしだって嬉しいんっですけど、褒められるのが苦手なんです……。先生なんて呼ばれて偉そうなこと言ってますが、単なるヘタレなんです……」

「嘘です! 麗緒先生は教員としても一人の女性としても素敵な人です。褒められることなんて慣れてるでしょう? 優しくてモテそうだし、告白されるのだって日常茶飯事なんじゃないですか?」

「いやいやいやいや、んなわけないじゃないですかっ! 褒められるのが苦手なのだけはほんとなんですって!」

 詰問を浴びせるもみじと、防戦一方で首を振り続ける麗緒。二人は椅子ごとゴロゴロ移動していく。

「もったいないです! とっても魅力的なのに。もっと自分に自信を持つべきです!」

 膝頭がくっつく。もみじがずずいっと身を乗り出してきた。ディファインコンタクトを付けた麗緒よりも大きな黒目が、真っ直ぐ見つめてくる。

「もったいないです! もっと褒められてる自分を褒めてあげるべきです! それって褒めてる側の言葉が受け入れられないってことですよね? 信用してないってことですよね? 私が嘘かお世辞で言ってると……」

「わわわわ分かりました分かりました! 分かったから落ち着いてください、もみじさん!」

「いいえ、落ち着いたほうがいいのは麗緒先生のほうです。まだ目が泳いでますもん」

 今は何を言ってもボロがぼろぼろ出てボロボロになりそうだった。いつものもみじと全く違う印象を受けるのは私服だからか、やはり祭の成せる魔法なのか……。こんなに感情豊かだとは意外だった。

 自分がマンションに帰ると干物化するのと同様に、もみじも店員スイッチがオフの時があるのだろうか。だとすると、今のこのもみじが『素』なのだろうか……。

 思えばもみじはまた二十三歳。大卒の新卒と同じだ。高卒社会人なので落ち着いて見えてはいたが、その辺の大学生と同じくらいと思うと、キャピっていてもおかしい年代ではない。

「麗緒先生」

「は、はい!」

 麗緒は思わず姿勢を正す。

「もっと自分を大事にしてあげてくれないと……」

「……くれないと?」

「王子様って呼びます」

 真顔できっぱり告げるもみじ。麗緒はぽかんとマヌケ面をさらしてしまった。

「なっ、なんですかそれ! あたしは王子様どころか、単なる酒飲みのおじさまですよ? おばさま通り越しておじさまですよ!」

「いーえ! 王子様って呼びます! 見た目は小奇麗にされてる女性ですが、中身はとっても紳士的な王子様ですもん。呼ばれるのが嫌なら、もっと自分を愛してあげてください。できないなら王子様って呼び続けます」

 麗緒にとってはいつもの保健室。だが、お祭ムードで魔法のかかったもみじが、その日常を吹っ飛ばすようなとんでもない宣言をしてくれたのだった。




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