第11話
「あれがモスクワ大公国軍か」
モスクワ郊外にたどり着いた前田慶次は、眼前に展開する部隊を見て呟くことになった。
「まさか、1571年4月中にモスクワにたどり着くになるとは考えていなかったが、相手の方が完全に虚を衝かれたようだな」
実際、オプリーチナや銃兵隊を主力とするモスクワ大公国軍はどう見ても2万名余りの軍勢を集めており、前田慶次を先鋒として進撃してきた約1万名からなるエジプト軍と比較すれば、その兵力比は2倍以上を誇っている。
更に言えば、モスクワ大公国軍は大砲までも装備してはいるようだ。
しかし、装備が違い過ぎる。
エジプト軍の兵の基本装備はカービン銃とはいえ、後装式ライフル銃である以上は約500メートルからの遠距離射撃が可能な銃だ。
それに対して、モスクワ大公国軍が装備しているのはマスケット銃であり、有効射程距離は100メートルにも満たない銃だ。
又、大砲にしても単なる鉄の弾を撃ち出すのが精一杯で、更に直接照準して撃つしかなく、発射速度が遅く、戦場での急な方向転換もほぼ不可能に近いことも相まって、こんな野戦で砲弾に当たった奴は余程に運が悪い奴、というのがオチの代物だ。
エジプト軍の装備を知っていれば、モスクワでの籠城戦も考えられただろうが、2倍以上の兵力差から野戦という選択肢をモスクワ大公国軍は選んだようだ。
又、こちらの余りの急進撃の知らせを受けて、相手は慌てて出撃を決断したらしく、ろくな陣形を組めていない、というより、部隊の完全展開には、まだまだ時間が掛かるようだ。
「哀しいねえ。こちらにはそれ(部隊の展開)を待つ義理は無い」
そう慶次が呟いた間を置かずして、磯野員昌からエジプト軍総攻撃の命令が下った。
「これが現代の軽騎兵のやり方よ」
慶次はそううそぶくと、モスクワ大公国軍の側面へと指揮下の部隊を急行させ、部下と共に思い思いに騎兵銃の射撃を敵に浴びせた。
当然にマスケット銃の射程距離からは完全に離れた距離からの射撃である。
他の部隊も同様に適宜の展開を行い、似たような襲撃行動をモスクワ大公国軍に対して行った。
エジプト軍からの一方的な雨のような射撃を浴びせられ、モスクワ大公国軍の多くが、すぐにパニックに襲われ出した。
モスクワ大公国軍の中でやや練度の高い騎兵の一部が、エジプト軍を追い払い、モスクワ大公国軍の立て直しを行おうとするが、向こうの騎兵は良くてピストル騎兵、ほとんどの騎兵が槍騎兵だ。
エジプト軍騎兵にしてみれば、そんな騎兵は単なる射的の的扱いに等しい。
佐々成政とかにしてみれば、
「これは騎兵への移動射撃の良い訓練になるな」
とうそぶく有様だった。
そうこうしているうちに、慶次は自らの戦術眼から、モスクワ大公国軍の後方に完全に回り込むことに成功し、モスクワ大公国軍に後ろからも射撃を浴びせだした。
(その時の慶次は知る由もなかったが)慶次の部隊が射撃を浴びせたのは、オプリーチナ部隊の一部であり、モスクワ大公国軍の全般的な督戦任務を帯びていたのだが、慶次の部隊の射撃は、そのオプリーチナ部隊を急速に崩壊させることになった。
そして、それがモスクワ大公国軍の完全崩壊のきっかけになった。
モスクワ大公国軍のほとんどが、モスクワへ逃げ込もうと敗走を始めた。
普通の指揮官だったら、この敗走部隊の混乱を嫌って、側面へと避けるのが通例だが。
慶次は普通の指揮官では無かったし、部下も同様だった。
「さて、この敗走部隊にクレムリンに連れて行ってもらうか」
慶次は部下と共にそううそぶくと、彼らと共にモスクワのクレムリンを目指して進軍していった。
(尚、伝令2騎を磯野員昌に送り、行動の事後承諾を求めていた)
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