(貧)NEW GENERATION 第35話 胸以外はすべて充実するでしょう(終)
前玉うおるは、柱の陰に隠れた。
篠原栄華と別れてから、食堂に着いたとき、遠くに板橋まなま部長の姿を見つけたのだ。
誰かと向かい合って座り、食事をしながら話し込んでいるようだった。
目をこらしてみると、相手は見るからにオタクで、眼鏡で、猫背だった。
その女性は、いやらしい同人誌の作者だった。
二人でご飯を食べるほど仲良し。これは、何を意味するのか。
前玉うおるは、思考をめぐらせる。
――まなま部長は一時期ネット上でバーチャル爆乳テューバーをやっていたことがある。
――それをやるには絵を描ける人材が必要。
――絵を描けるオタク先輩と、まなま部長は仲が良い。
――同人誌の作中描写において、王子などという変なキャラ付けはあるものの、うおるとハルヒメへの解像度がわりと高い。他の貧乳部員たちについても理解度が高い。
――食堂で二人で話し合っているのは、作品の今後の展開を相談しているのではないか。
姿を見られないよう注意して近付き、会話に耳を傾けてみる。
他愛のない話の中に、自分の名前やハルヒメの名前が出てきた。ひのでやミユル、それからカクシコの名前も登場した。
前玉うおるは確信に至る。
――まなま部長とオタク女子の合作だったんだ。
★
前玉うおるは、食事するのも忘れて保健室へと走った。
そこには今山ハルヒメがいた。すっかり指定席となったいつものベッドに寝転がっていた。
うおるの入室に気付いたハルヒメが身体を起こし、うおるに向き直る。
「うおる。おはよ」
「ええハルヒメ、おはよう。きいてほしいことがあるんだけど」
「ちょっと待って、その前に、自分の話をきいてほしい」
「何?」
ハルヒメは、うおるに言いたいことがあった。
「こないださ、なしくずしにいやらしい同人漫画を認めることになってしまって、自分の意志の弱さがとても悔しいんだよ。真剣に読んでみたら、たしかにうおるの言う通り、心をゆさぶるような良い作品であることは認める。
でもね、実は自分は貧乳を撫で回したい系女子ではあるけれど、それでもやっぱり、度を超えていやらしい描写にはどうしても抵抗がある。だから、あの漫画の作者に、いやらしい成分を少しでも減らしてもらって――」
「ちょうどよかった。あたしも、その漫画についての話題なんだけど、あのいやらしい同人誌の原作者って、まなま部長なんじゃないかって思う」
それを聞いて、思わずハルヒメは声を裏返した。
「えッ? 何がどうなってそうなんの」
「つまり、かくかくしかじかで――」
うおるは、アクロバティック考察を披露した。
「なにその面白いブラックジョーク。AIが陰謀論に染まり切るとか世紀末が過ぎるんだけど」
「…………あー、あたし、間違ったかしら」
「いや、いいと思う。ひどく人間らしいなって思ったよ。しかも、原作者なのかどうか本人に確かめるでもなく、こんな風に陰で話題にしてるあたり、かなりの進歩だよ」
煽り成分高めの指摘に、うおるは恥ずかしさで赤面した。
「ハルヒメ、一瞬とはいえ周りが見えなくなって暴走しかけたあたしのこと、ばかだなって思った?」
「ないない。そんなことないって。それに世の中には、もっともっと想像を絶するばかさ加減を発揮する人もいるから」
「今のあたしよりばかなのがいるの? たとえば?」
「自分の伯母さんとかね。今山夏姫さんっていうんだけど」
「ハカセの親友としてデータベースに名前があるけれど、どういう人なの?」
「たとえば、うおるにはもう巨乳バレしてるから言うけども、あの人は、自分のこの胸をまじまじと見つめながら、おかしなことを言ってたり」
「何を言われたの?」
「たしか『数式で言えば、貧乳になる運命の今山家と、貧乳になる運命のハルヒメ自身がミックスされた結果の巨乳ってわけね』って言ってたっすね」
「どういう数式? というか、それは数式なの?」
「データベースが通用しない人も世の中にはたくさんいるんすよ。伯母さんの話では、なんでも、『一族に貧乳と貧乳が積み上げられたことで、巨乳が爆誕した』って言ってたし」
「わからないわね。確率の話? というか数字要素が見当たらないのだけれど」
「うーん、円周率のパイってあるじゃん?」
「それがなに?」
「たぶんね、パイとパイを重ねてパイパイになるみたいなことなんすかね」
「……こんなことは言いたくないのだけれど、おそろしく頭の悪そうなおばさまね」
「悪そうっていうか、もう明らかに悪いよね」
今山ハルヒメは、肩をすくめてみせた。
世の中にはいろいろな人がいる。
まだまだ研究が足りないなと前玉うおるは反省した。
★
保健室にて、そのままハルヒメと話し込んでいたところに、黒いローブの占い女が隠し部屋から出てきた。
「待っていましたよ、うおる」
「ハカセ――いやお母さん。待っていたって、何か大事な用でも?」
「うおるに渡したいものがあります」
そうして秘密の通路を進み、暗い部屋に二人きりになった。
無言で差し出された大きな塊に触れると、プリンのような柔らかさだった。
「これは、まさか」
「そう。うおるが察している通り、それは、特製の虚乳です」
新装備は偽の乳だった。胸を盛るためのアイテムだ。
胸囲育成部からは忌み嫌われた呪物だ。ないちち賞賛部からは賞賛されたかもしれない宝物だ。新たなスタートを切った胸囲充実部ならどうだろうか。
「学園でいちばんの巨乳に仕立ててあります。好史さんには激怒されるかもしれませんけど、うおるにも選択の自由があると思います。使いたければ装備してください」
「今のところは使わないとは思うけれど……そうね、ありがたくもらっておく」
そうして虚乳を受け取ったのを見届けてから、占い女は、急にカードをシャッフルしはじめた。
机の上でぐちゃぐちゃに混ぜてから、一つのカード束に整える。
「急にどうしたの? 占い? 何を占うの?」
「うおるを占ってあげようかと思いまして。うおるが、今いちばん気になってることは何ですか?」
友情。人間関係。自分の将来。家族愛。世界の変化。
さまざまなことが気に掛かったのだが、それらは一瞬のうちに、一つの問いに収束した。
前玉うおるは即答する。
「胸囲充実部の行く末を」
小さな手がカードを並べて、次々にめくっていく。
やがて黒ローブの女は、占いの結果を淡々と告げた。
「今から未来にかけて、胸囲充実部の活動は――」
【ないチチびいき(貧)NEW GENERATION 完 】
今は昔、私は世界が平和にならないことについて、おおいなる不満を抱いていた。なぜ多くの人が苦しみを抱いているのだろう。平たくて、それでいて緩やかに円い盤石な地平線はどこにあるのだろう。そうして行き着いた答えが「貧乳」だった。わけがわからない? 私もだ。ありがとう。
――クロード・フィン・乳スキー




