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ないチチびいき  作者: クロード・フィン・乳スキー
新世代篇 後編
76/80

(貧)NEW GENERATION 第31話 前玉うおるの黒歴史

 作業場に改造された調理準備室にて、作者は、早口で語り出した。


「ひとことで言えばですよ。ハルキ様がわがバレー部に体験入部をしてきたときに、絶対にこの子は王子になるって思ったわけですよ。そんでもって、教室にハルキ様の様子を見に行ったら、うおる様が、わたくしの後ろを通りがかったんですね。その冷たく凛とした空気感が、明らかに他の人とは違っていて、その時、わたくしに数多のアイデアが降り注いだのです。そこでわたくしは――」


「経緯の説明は後にしてほしい。さっさと出してほしい」


「あぁっ、うおる様! いまのお言葉は解釈不一致でございます! よこしなさいと命令していただけませんかね。ぐふふ」


 作者はハイレベルなオタクだった。


「よこしなさい」


 オタクな彼女の希望に完璧にこたえ、うおるは奪い取るように紙束を受け取った。


 それは、これまで描かれた全ての漫画、その生原稿だった。


 たくさんの修正液が塗られ、何度も迷いながら、時間をかけて、探り探りを積み重ねたことが透けて見えるような、つまりそれは、愛をもって制作されたものだと感じた。


 うおるは熱中した。丁寧にページをめくり続けた。


 作者のオタク女は、視線をあちこちに移動させながら、落ち着かない様子だった。緊張感を隠せないまま、うおるの読書を見守った。


 やがて、紙束が揃えられ、ハルヒメの手に渡る。


「どうでしょうか。お二人で乗り込んできたということは、『嗚呼、もしや気に入らない点があったのでは……!』などと、内心ビビり散らかしておるのですが、まじのガチで、少しでも嫌なところがあったら、言ってください。二人の王子を傷つけるのは、わたくしの望む処ではありませぬゆえ」


 うおるは、なかなか感想をまとめられなかった。焦りにも似た感情を抱くとともに、憧れのようなものも感じていた。


「なんていうか……なんなの、この感じ。あたしの心の深いところを理解してくれているような感覚がある。あたしに心があるかどうか、そもそも定かではないけれど、心があたたまるというのは、こういうことなの……?」


 ひどく使い古された言葉でいうのであれば、それは、やはり愛だった。


  ★


 前玉うおるは、自分が主要登場人物として描かれた漫画について、その存在を許すことにした。


 ただし条件を一つ、突きつけた。


「最初の読者を自分と今山ハルヒメにすること。その前に別の人に流したら、即刻滅ぼしにくる」


 その言葉に、作者は声を裏返した。それは、歓喜の叫びであった。


「ヒェエ、滅ぼしにくるなんて、あまりにも魔王! 解釈一致ですぅ」


 なお、この時、こっそり窓の外から姿を消してのぞいていたミユルも、そっと胸をなでおろしたのだった。


 うおるは、作者の手を握った。


「たのしみにしてるから」


「嗚呼、やめてください。魔王が言うべきは、そんな言葉ではございません。『唾棄すべき駄作を産み落とそうものなら、このボクの魔眼の餌食と心得るがよい』って言ってほしいです!」


 その言葉で、さすがの前玉うおるも、尊敬よりも不快感が勝った。


「……オタクきっもいんだけど、ハルヒメ、どうすればいい?」


「魔王っぽく、冷たくしとけばいいんじゃない?」


 その言葉に、作者は反発する。


「嗚呼、ハルキ様、それもまた解釈違いでありますよ。光の王子ハルキ様は、万人に優しい太陽のような御方なのです」


「うおる。このひと終わってるよ。やっぱり禁書にして燃やそっか」


「落ち着いてハルヒメ。実はこれ、燃やすには惜しい名作なのよ」


「え」


 うおるの華麗な手のひら返しに、今山ハルヒメは戸惑ったのだった。


  ★


 翌朝、誰もいない屋上で、前玉うおるはひとり、絵を描いた。


 ミユルと篠原の絡み合う構図の精密な絵を、画用紙の上に出力した。


 二人の関係を考慮に入れた結果、篠原がミユルを壁に追い詰める絵になった。


「うまく描けてはいるけれど、やっぱり違う」


 それは何故かと考えて、シンプルに愛が足りないのだという結論に至る。


「じゃあ、これはどうかな」


 ハカセと慕う、生みの親、占い女の絵を描いた。


 貧乳と言うには大きな胸。ちぢれた長い髪。黒い服を身に纏い、柔らかく微笑んでいる。


「うん。おかあさん。いいかんじ」


 すこしだけ、愛を表現できた気がした。


 だけど、まだ全然足りない。


 母が望むものは何だろうか。それはきっと、家族。


 すなわち、大平野好史と、大平野カクシコなのだろう。


 足してみたけれど、まだ足りない。


 だとしたら、ハカセの友人である比入氷雨と、その娘の比入ひのでが必要だろうか。


 この二人も足してみた。


 そこまで描いて、目立つ場所に落ち着かない余白があることに気付いた。


 ――何だろう、あたしは、どういうつもりなのだろう。


 データベースにアクセスしてみても、その余白に何を描くべきなのか答えが出なかった。


 五人目に誰を描くべきか。


 しばらく考え込み、やがて気付く。


「もしかして、あたし?」


 自画像で埋めた。


 紙の上に、好きが広がっていた。


 うまく描けたなんて、とてもじゃないが、言い難い。


 今はまだ、そういう腑抜けた絵しか描けない。


 うおるが描いたすべての絵は、突如として屋上に巻き起こった風に乗って、はるか遠くへ飛ばされていった。


 見えなくなるまで見送って、目の前から消えてくれてよかったと思う。


 ――あれは、あたしの黒歴史だ。

 ――そう思えるくらいに、いいものを創ろう。いい人生を歩んでいこう。


 そんなふうに、前玉うおるは心に刻んだのであった。



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