(貧)NEW GENERATION 第31話 前玉うおるの黒歴史
作業場に改造された調理準備室にて、作者は、早口で語り出した。
「ひとことで言えばですよ。ハルキ様がわがバレー部に体験入部をしてきたときに、絶対にこの子は王子になるって思ったわけですよ。そんでもって、教室にハルキ様の様子を見に行ったら、うおる様が、わたくしの後ろを通りがかったんですね。その冷たく凛とした空気感が、明らかに他の人とは違っていて、その時、わたくしに数多のアイデアが降り注いだのです。そこでわたくしは――」
「経緯の説明は後にしてほしい。さっさと出してほしい」
「あぁっ、うおる様! いまのお言葉は解釈不一致でございます! よこしなさいと命令していただけませんかね。ぐふふ」
作者はハイレベルなオタクだった。
「よこしなさい」
オタクな彼女の希望に完璧にこたえ、うおるは奪い取るように紙束を受け取った。
それは、これまで描かれた全ての漫画、その生原稿だった。
たくさんの修正液が塗られ、何度も迷いながら、時間をかけて、探り探りを積み重ねたことが透けて見えるような、つまりそれは、愛をもって制作されたものだと感じた。
うおるは熱中した。丁寧にページをめくり続けた。
作者のオタク女は、視線をあちこちに移動させながら、落ち着かない様子だった。緊張感を隠せないまま、うおるの読書を見守った。
やがて、紙束が揃えられ、ハルヒメの手に渡る。
「どうでしょうか。お二人で乗り込んできたということは、『嗚呼、もしや気に入らない点があったのでは……!』などと、内心ビビり散らかしておるのですが、まじのガチで、少しでも嫌なところがあったら、言ってください。二人の王子を傷つけるのは、わたくしの望む処ではありませぬゆえ」
うおるは、なかなか感想をまとめられなかった。焦りにも似た感情を抱くとともに、憧れのようなものも感じていた。
「なんていうか……なんなの、この感じ。あたしの心の深いところを理解してくれているような感覚がある。あたしに心があるかどうか、そもそも定かではないけれど、心があたたまるというのは、こういうことなの……?」
ひどく使い古された言葉でいうのであれば、それは、やはり愛だった。
★
前玉うおるは、自分が主要登場人物として描かれた漫画について、その存在を許すことにした。
ただし条件を一つ、突きつけた。
「最初の読者を自分と今山ハルヒメにすること。その前に別の人に流したら、即刻滅ぼしにくる」
その言葉に、作者は声を裏返した。それは、歓喜の叫びであった。
「ヒェエ、滅ぼしにくるなんて、あまりにも魔王! 解釈一致ですぅ」
なお、この時、こっそり窓の外から姿を消してのぞいていたミユルも、そっと胸をなでおろしたのだった。
うおるは、作者の手を握った。
「たのしみにしてるから」
「嗚呼、やめてください。魔王が言うべきは、そんな言葉ではございません。『唾棄すべき駄作を産み落とそうものなら、このボクの魔眼の餌食と心得るがよい』って言ってほしいです!」
その言葉で、さすがの前玉うおるも、尊敬よりも不快感が勝った。
「……オタクきっもいんだけど、ハルヒメ、どうすればいい?」
「魔王っぽく、冷たくしとけばいいんじゃない?」
その言葉に、作者は反発する。
「嗚呼、ハルキ様、それもまた解釈違いでありますよ。光の王子ハルキ様は、万人に優しい太陽のような御方なのです」
「うおる。このひと終わってるよ。やっぱり禁書にして燃やそっか」
「落ち着いてハルヒメ。実はこれ、燃やすには惜しい名作なのよ」
「え」
うおるの華麗な手のひら返しに、今山ハルヒメは戸惑ったのだった。
★
翌朝、誰もいない屋上で、前玉うおるはひとり、絵を描いた。
ミユルと篠原の絡み合う構図の精密な絵を、画用紙の上に出力した。
二人の関係を考慮に入れた結果、篠原がミユルを壁に追い詰める絵になった。
「うまく描けてはいるけれど、やっぱり違う」
それは何故かと考えて、シンプルに愛が足りないのだという結論に至る。
「じゃあ、これはどうかな」
ハカセと慕う、生みの親、占い女の絵を描いた。
貧乳と言うには大きな胸。ちぢれた長い髪。黒い服を身に纏い、柔らかく微笑んでいる。
「うん。おかあさん。いいかんじ」
すこしだけ、愛を表現できた気がした。
だけど、まだ全然足りない。
母が望むものは何だろうか。それはきっと、家族。
すなわち、大平野好史と、大平野カクシコなのだろう。
足してみたけれど、まだ足りない。
だとしたら、ハカセの友人である比入氷雨と、その娘の比入ひのでが必要だろうか。
この二人も足してみた。
そこまで描いて、目立つ場所に落ち着かない余白があることに気付いた。
――何だろう、あたしは、どういうつもりなのだろう。
データベースにアクセスしてみても、その余白に何を描くべきなのか答えが出なかった。
五人目に誰を描くべきか。
しばらく考え込み、やがて気付く。
「もしかして、あたし?」
自画像で埋めた。
紙の上に、好きが広がっていた。
うまく描けたなんて、とてもじゃないが、言い難い。
今はまだ、そういう腑抜けた絵しか描けない。
うおるが描いたすべての絵は、突如として屋上に巻き起こった風に乗って、はるか遠くへ飛ばされていった。
見えなくなるまで見送って、目の前から消えてくれてよかったと思う。
――あれは、あたしの黒歴史だ。
――そう思えるくらいに、いいものを創ろう。いい人生を歩んでいこう。
そんなふうに、前玉うおるは心に刻んだのであった。




