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ないチチびいき  作者: クロード・フィン・乳スキー
新世代篇 後編
74/80

(貧)NEW GENERATION 第29話 比入ひのでの提案

 完全に停止している。ぴくりとも動かない。


 止まった世界。


 腕時計の秒針も、廊下を歩いていた人々も、窓の外で揺れていた枝葉も、何もかもが止まってしまった。


 動けるのは、一人だけ。


「もって一分かな、さっさと決着つけないとねぇ」


 ゆるく言いながら、ミユルは茶色い杖を、うおるの頭に押し当てた。


 意識を奪ってやろうというのだ。


 常人であれば、何が起きたのか分からないうちに気を失っているだけ。


 始まりもせずに戦いが終わる禁じ手レベルの特異な能力。


 しかし、今回の相手は普通ではない。未来技術の一部を詰め込まれた改造貧乳ドールだった。


 高い身体能力や高度な会話能力だけではなく、さらに異質な力も隠し持っている。


 それはまた、占い女が、彼女の暴走を恐れて破壊を目指した要因でもあった。


 前玉うおるの前髪が動いた気がした。


「なっ」


 予想外の出来事に、ミユルは勢いよく後ずさった。


 動くわけがないのだ。動けるわけがない。


 すべては、ミユルの願いの支配下にある。


 ミユルの意思で止められた時空に介入してくるなんて、そんなことが可能だなんて聞いていない。


 だが、たしかに動いている。もう見間違えることなどできないほどに、前髪が動き、隠された左目が、はっきりと見えている。


 まぶたが、ぴくりと動いたかと思ったら、一気に開かれ、うおるの水晶のような瞳があらわれた。


「天海ミユルの貧乳、捕捉完了」


 怒りの感情が込められた声を放ち、前玉うおるは動き出した。差し出されていた杖を掴もうと踏み込んできた。


「うそでしょお」


 言いながら、ミユルは杖を引っ込める。


 ――せめて、時を止められている間に、人が多い場所からは離れなきゃ。


 ミユルは杖に願いを込める。


 限界をこえて、時間停止を延長しながら、屋上へと駆け逃げた。


 屋上に着いたとき、時間停止が解けた。


 変身も維持できなくなった。


 杖も形を保てず、小さくなり、制服の胸ポケットに収まった。


 肩で息をしながら、膝をつく。


 ――きっと、うおるも屋上に来る。いつものように冷静に、


 巨大な壁におしつぶされるようなイメージが、脳裏をよぎった。


 屋上の扉が、ゆっくりと開く。


 やはり、前玉うおるが追いかけてきた。


 だが、ふらふらと、息を切らしている。


 それが演技ではないことを見抜くと、ミユルは心から安堵した。


 前玉うおるの慎重な接近に、天海ミユルは同じ速度で後ずさり、やがて背中が金網の冷たさに触れた。


 壁ドンならぬ、網ドンをする格好になった。


 もう逃げられない。


 かくなる上は、とミユルは覚悟を決めた。


「ねえ、うおる。あの本のこと、ハルキくんも、嫌がってるの?」


 うおるは、苦しそうに荒い息で声を出す。


「もちろん。こんな汚物の作者くたばればいいのにと吐き捨てていた」


 嘘である。


 ハルキと呼ばれることにも、作中での王子扱いに乗り気でないのは確かだが、会ったこともない作者に対して罵りの言葉を吐き捨てるほどではなかった。


 ミユルは大きく息を吸って力説する。


「ミユルはね、ハルキ派でもなければ、うおる派でもない。けれど、そんな風に争わせるだけの熱量が、あの作品にはあるんだよ。クールなうおると、アツいハルキくん。二人の王子の魅力は互角。ミユルは両方大好きで、強いて言えば、ハルうお派なんだよ!」


「きいてないんだけど」


「そもそもねえ、嫌がってるの、うおるだけだから!」


「描かれてるのは、あたしなんでしょ? あたしが嫌だって思ったら、それはダメなんじゃないの?」


「そうかもね! 正論だね! のがれようもないね! でもだよ、うおるちゃん。まともに読んだことあるの? そこにあらわれた職人魂とか、技術とか、愛とか自由とか夢とか希望とか、ちゃんと読んだことないのに否定するなんて、そんなにおかしなことって、ないよ!」


 その後、しばらく沈黙があった。


 前玉うおるは、控えめに言ってドン引きで言葉を失っていて、天海ミユルは、うおるの返答を待っていた。


 静けさを破ったのは、屋上の床を上履きが叩く足音だった。


 見かねたギャルが、物陰から歩み出たのだ。


「盗み聞きしてたら面白(おもろ)いもん見れたわ。ここまでハッチャケるミユル、初めて見たよね」


 比入ひのでであった。


 ひのでは、やや偉そうに格好つけた先輩風をこめたボイスで言う。


「うおる。よくきいて。ウチは、ミユルの暴走を止める秘策を、数秒前に閃いた」


「それはなに?」


「目には目を。歯には歯を。フィクションにはフィクションを」


「つまり?」


「ミユルが誰かといちゃつく同人誌を、うおるもつくればいいんだよ!」


「なるほど。でも誰と?」


 ミユルは、「何でひのでがここに」だとか、「どこから聞かれていたのか」だとか、「そもそも暴走なんかしてないし」だとか微かな小声で呟いていた。いろいろな思考が頭の中を駆け巡り、会話に入っていく余裕がなかった。


「ミユルが嫌がりそうな相手は……うーん、うちの好史パパとか?」


「思いつきで適当なこと言わないで。それは、シャレにならない」


「たしかに。氷雨ママのブチギレ案件にもなるかぁ。じゃあ他は……篠原ちゃんはどうよ。最近、ミユルとよく一緒にいるみたいだしぃ」


 篠原栄華。その名前を耳にして、ミユルは小さく肩を弾ませた。秘密を握って脅してくる相手とカップリングされることを想像して、大きな嫌悪感が小さな胸に広がった。


「よさそうね。いま、ミユル先輩の表情がこわばった。であれば、後輩の篠原にいたぶられる話がいいか」


「ま、まちなさい!」


 ミユルがうおるの腕を掴んだ。逃げられてはたまらない。なんとか説得しなおして、リベンジ同人誌制作を阻止しなくてはならない。


 しかし、掴んだ手は、叩き落とされた。


「この状況で、待てと言われて待つと思う?」


 うおるは、ひのでの手を掴み、二人で屋上から去っていった。


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